■このほしのとりこ~あくまでも我流にフィリピンゆかば

片岡 恭子
(かたおか・きょうこ)


1968年、京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大学図書館司書として勤めた後、スペイン留学。人生が大きく狂ってさらに中南米へ。スペイン語通訳、番組コーディネーター、現地アテンド、講演会などもこなす、中南米を得意とする秘境者。下川裕治氏が編集長を務める『格安航空券&ホテルガイド』で「パッカー列伝」連載中。HP「どこやねん?グアテマラ!」




第1回:なぜかフィリピン
第2回:美しい日本がこんにちは
第3回:天国への階段(前編)
第4回:天国への階段(後編)
第5回:韓国人のハワイ
第6回:まだ終わってはいない
第7回:フィリピングルメ
第8回:台風銀座(前編)
第9回:台風銀座(後編)
第10回:他人が行かないところに行こう(前編)
第11回:他人が行かないところに行こう(後編)
第12回:セブ島はどこの国?
第13回:フィリピンの陸の上
第14回:フィリピンの海の中
第15回:パラワンの自由と不自由

■更新予定日:第1木曜日

第16回:男と女

更新日2006/12/07

日本国内で36年ぶりに狂犬病の発症者が出た。亡くなったのは二人ともフィリピン帰りの60歳代。いったいフィリピンのどこで犬に噛まれたのだろう。首都マニラで普通に生活しているかぎりは、犬に噛まれることなんてまずないだろうに。だいたい想像がつくのだ。フィリピン人のおねえちゃんを追いかけて、彼女の故郷で犬に噛まれでもしたのだろう。

フィリピンへの日本人渡航者は40万人を超える。そのうちの大多数が観光客ではない。仲良くなったおねえちゃんを追いかけて、または現地でおねえちゃんと仲良くなるために、初老の男性がばんばん渡比するのである。

比人女性と結婚して現地で長く暮らす邦人男性曰く、「その手はだいたい3年で来なくなるよ。お金が尽きて捨てられるからね」。
セブシティのゴーゴーバーのたくさんあるエリアで会った男性。タイとフィリピンだけを行き来している。長らく日本には帰っていない。スービックの長期滞在者向けの日本人村で会った男性。マニラで調達した比女性を同伴していた。タガログ語はもちろん英語もできない彼らはともに、南の島で現地女性と第二の人生をと甘い夢を見る60歳代だった。


ヒトデ

6年前、日本で気に入らない派遣の仕事をしていたときのこと。派遣先があまりに田舎で公共交通機関がない。タクシーに乗っていると仏頂面の運転手に話しかけられた。
「なんかええことないかなあ。外国とか行かへんの?」

中米グアテマラから帰ってきたばかりだと答えると、彼は身をのり出して言った。
「タイとかなあ、暖かいところに行ってみたいんや。いろいろ教えてくれへんか」。
奥さんに死なれた後、リストラされた。仕事が見つからず、しかたなくタクシーの運転手になった。一人息子は実家に顔を出すこともない。彼はついてない自分の半生を語った。その後まもなく、彼と同じようについてなかった私は鬱病で半年ひきこもり、その間に音信不通になった。彼は今どこでどうしているだろうか。幸せに暮らしているといいのだが。

日本人だけではない。台湾、韓国、ドイツ、アメリカ、オーストラリア。いろんな国の男がフィリピン女性を求めてやってくる。2006年8月、かつて米軍基地があったクラークの隣街アンヘレスに行ったが、まるで街全体が巨大な歓楽街だった。アメリカ人男性がたむろするバーには、誘われたいフィリピンの女の子たちが出入りする。戦後の日本で進駐軍に群がるパンパンもこんな感じだったのかなと思った。マニラでもセブでも、車椅子の白人男性をよく見かけた。戦場での負傷が原因なのか、生まれつきなのかはわからない。


夕日

フィリピン最後の秘境と呼ばれるパラワン島を旅していたとき、日本人観光客が来ることはほとんどないホンダ湾沖のリゾートで、日本人男性ニ人とフィリピン人女性一人という妙な組み合わせの3人組に会った。レセプションで英語の説明があったが、彼ら邦人男性にはもちろん理解できない。通訳代わりに使われると面倒なので彼らとは離れていた。

その翌日、プエルト・プリンセサの街中でまた彼らと会った。ジョリビーというミツバチハッチみたいなキャラクターが目印のファーストフード店で隣り合った。
「こちらにはお仕事で来られたのですか」と、ちょっと意地悪な質問をしてやった。
「女がいるんでフィリピンにはよく来るんですよ」。まったく悪びれもせずに彼らは言った。
「でも、もう明日の便で日本に帰るんです」と男が言うと、日本語がほとんど分からないのに彼女が泣き出した。彼女がマニラから連れてこられたのか、地元プエルト・プリンセサで調達されたのかは分からない。彼女と男性ニ人の意思の疎通は、彼女がその場の空気を読むことでなんとなく成り立っている。男ニ人で一人の女を連れているのだから、現地妻ではないだろう。

彼女の足元には買い物した紙袋がいっぱい置かれていた。「なに? 悲しいの?」と男の一人が彼女に声をかけた。なかなか泣き止まない彼女の涙はいったい何を意味するのか。自分に贅沢をさせてくれる、日本人の金づるがいなくなることがそんなに悲しいのだろうか。それとも、何日か一緒に過ごすうちに男に情が湧いたのだろうか。

米軍基地のあったスービックに3ヵ月滞在した。その隣街オロンガポは、やはりアンヘレスと同じような歓楽街だった。2004年当時、日本語の歌詞の曲が流行っていた。「いつもいつも心で愛してた。誰かとまた恋に落ちても。いつもいつも心で愛してた。あなただけの場所があるから」と宇多田ヒカルの歌詞をぱくったうえに、心で愛すという聞き慣れない言葉が含まれている。歌っているのは日本人の父を持つジャピーノの女の子。アンヘレスやオロンガポには、米兵を父に持つアメラジアンも多い。

フィリピン人の日本への、またやくざのフィリピンへの入国が厳しくなったため、渡比するやくざはめっきり減った。代わりに日本に来られなくなったあの娘を追いかけて、日本人のおっちゃんが大挙して海を渡っている。フィリピン妻と幸せな家庭を築く人もいれば、保険金と遺産目当てで殺される人もいる。愛があれば、裏切りもある。それはいつの時代も万国共通。南の楽園フィリピンだって例外ではないのだ。

 

第17回:道さんのこと