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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第152回:亡命ハンガリー人のアルベルトのこと

更新日2021/01/28

 

様々な人種、国籍の人が入り混じって住んでいるイビサにも、当然同国意識から生まれた県人会的に同国人が寄り集まる傾向がある。私がイビサでカフェテリアを開き、暮らし始めて数年経ち、ショーバイ柄、ずいぶん多くの人と知り合いになり、イビサに住んでいる日本人は他にはいないと、何とはなしに思い込んでいたところ、サンタ・エウラリアに一人、サン・ホセにも一人、日本人女性が住んでいることを知り、驚いたことがある。

彼女たちには、最後まで知り合いになるチャンスがなかった。それぞれに自分の小宇宙の中やサークルで暮らしていたのだ。異郷にあって、同国人同士が肌温め合うような関係は、イビサに似合わないものだと思い込んでいた。

ところが、同国人が寄り集まる傾向は結構西欧人、南米人にもあり、目を見張らされた。これは、自国語を思い切り話せる、コミュニケーションが容易に成り立つ、特に東ヨーロッパからの移住者は共産圏から逃れてきたという共通の過去を分かち合えるところからきているのだろうか、ユーゴスラヴィア、チェコ、ポーランド、ハンガリー、ウクライナ、ロシアの人々は寄り合う傾向が強いように思う。

十余年もイビサに住んでいながら、最後までイビセンコ(ibicenco;イビサ語)を話すことができず、怪しげなカステリャーノ(castellano;スペイン語)で間に合わせていた私が言うのも変な話だが、イビサに別荘を持っているような外国人は、オランダ、ベルギー人を例外にして、ドイツ人、イギリス人などは何年もイビサに住みながら、軒並み酷いスペイン語を操っていた。一つに、イビサでは自国語、英語、ドイツ語で用が足り、暮らすことができたせいだろうが、彼らの中に、どこかスペイン、イビサを見下す、こじれた優越感が臭ってくることがあった。

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旧市街の港近くのレストラン通り(イメージ参考)

イビサにハンガリー・レストランが一軒だけあった。以前書いたが、元バレーダンサーのハンガリー人がやっている店で、旧市街のカジェ・マジョールの中ほどにあった。レストランといってもウナギの寝床のように細長い間取りで、長いカウンターにスツールが5、6脚、奥にテーブルが3、4脚あるだけで、小柄な、体操の選手のような体つきの店主が愛想よく、コマメに動き回っているだけの典型的な父ちゃん、母ちゃん飯屋だった。

彼の名前をなんとしても思い出すことができない。台所に奥さんがいることは、彼が注文を受け、伝える際、ハンガリー語でやり取りしていたので知れるが、実際に顔を見たことはない。壁一面に張られたポスターや写真からみると、彼は相当名の通ったバレーダンサーだったようだ。ハリウッドの映画にも出演し、エリザベス・ティーラーと二人で撮った写真もあった。

彼のハンガリー・レストランで、二人のハンガリー人を知った。一人は著名な贋作絵描きのエルミア・ド・ホーリーで、もう一人はアルベルトだった。アルベルトの方は派手で金使いの荒いエルミアを嫌っている風が見え見えだった(第30回~32回:“天才贋作画家” エルミア・デ・ホーリー 1)。

アルベルトは大きく頑丈な体つき、顔もイカツク、濃い眉毛の端が跳ね返っていて、引き締まった頬に顎、意思の固まりのような口元と中世の甲冑でも着せ、大きな楯、長大な剣でも持たせれば似合いそうな男だった。彼はハンガリー動乱の時、イギリスに亡命し、そこで薬局のチェーン店を組織し、イギリス女性と結婚していた。サンタ・エウラリアに豪華な別荘を持ち(私は見たことがないのだが…)、かつイビサ旧市街や港に4軒の貸し店舗、レストラン、バーを持っていた。

同郷のバレーダンサーに言わせれば、アルベルトはハンガリーの王族に繋がる家系の出で、ハンガリーから持ち出した財産、宝石類だけでも膨大な金額に及び、それを元手にイギリスで大掛かりな事業を展開した…、カラダ一つで命からがら逃げてきた自分とは、まるで違う…ということになる。

アルベルトとはハンガリー・レストランで何度か、そして、偶然カジノで一度、それから、私が『カサ・デ・バンブー』をやっていると知ってから、自分の持っている地所のレストラン、バールを見せるために何度か『バール・エストレージャ』で会った。彼が私に興味というか関心を寄せたのは、彼が持っているギリシャ・レストランの店舗を貸すから、やってみないか、そこへ案内するから、一応見るだけでも見て、それから判断を下せばよい…という話だった。

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塩気が効いたフェタチーズが特徴のグリークサラダ

彼の奥さんと連れ子の息子にやらせているギリシャ・レストランは、港に面した一等地にあった。おそらく30代のイギリス人の奥さんは、瓜実顔にソバカスを一面散らかした、撫で肩、小柄な人だった。息子の方は小柄、細身、色白で、どこかナヨナヨした印象のまだ青年になり切っていないタイプだった。アルベルトが本格的にイビサに居を構える前に、毎年何ヵ月も過ごしていたギリシャでの食の体験から、イビサに一軒もないギリシャ料理の店をやれば当たると踏み、彼の奥さんと息子にやらせたのだった。

レストラン、カフェテリアなどの食べ物を扱う接客業に全く向かない性格の持ち主がいるものだ。もちろん、料理そのものが一定のレベルを保っていなければならないが、お客さんに接する態度、注文を取り、飲み物、食べ物をテーブルに運んでくるだけのことなのだが、そんなウエイター、ウエイトレスの仕事に、息子の方は全く不向きだった。基本的な態度、ヨウコソお出でくださいました、どうぞごゆっくり食事を楽しんでください、そして、またどうぞお越しください、という感覚が欠如しているのだ。結果、奥さんが台所から抜け出て、テーブルまで出向き、挨拶をしたりしていた。

料理は、注文が来てから作るものはグリーク・サラダ(フェタチーズが掛かったもの)くらいで、前もって作っておくことができるスブラキ(串焼きのようなもの)、ムサカ(ホワイトソースとひき肉とナスやジャガイモなどを層状に重ね焼きしたギリシャ名物)など、一応のメニューが整っていた。ギリシャビール“ミソス(Mythos)”こそ置いていないが、これで成功しない方がおかしいと思わせた。

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ギリシャの定番料理といえば「ムサカ」

根本的に、アルベルトが地所を持っているからという理由で、自分の奥さんと連れ子に店をやらせたのが間違いで、それじゃ…とばかり、食べる経験が豊富だというだけでギリシャ・レストランを始めた奥さんと息子の考え方、態度も安易過ぎたと思う。ある料理を食べたことがある、家庭で作ったことがあるというのと、レストランでお客に食べさせるのとは別の次元のことだ。

どうしてアルベルトが私に目を付けたのか、今もって分からない。アルベルトは一度も『カサ・デ・バンブー』に来たことがなかったのだ。マメに動き回る姿が目に付いただけなのだろうか。確かに、あの地所はそれ以上の価値があることは認めたにしろ、アルベルトの示した居抜きの賃貸料金は、とても私に払える金額ではなかった。頭から私には無理な金額だった。その旨をアルベルトに告げたところ、幾らなら払えるのか、と問い返されてしまった。そして、支払い条件も、彼は私に諭すように、「いいか、お前、こんな売買には、支払い条件、何年年賦などによって価格は大いに動くものだぞ…」と、彼がイギリスで展開し、成功した一端を覗かせたのだった。

私には、どうにも古臭い経済観念があり、負債を負いたくない、借金をしたくない感情が強く、たとえ5年でもローン返済のために縛られるのはゴメンだった。第一、冬場の一人旅、バックパッカーの期限限定付きではあるが、放浪の旅が楽しめなくなるではないか…。いくらイビサが気に入っていたとはいえ、私には借金、仕事に追われてまで、定住する覚悟がなかったのだ。私は丁寧に申し出を断った。アルベルトは、「ただそいつは残念だ、良いチャンスだったけどな…」と、あっさり納得してくれた。

バレーダンサーのやっていたハンガリー・レストランは3年も持たずに潰れた。あとで知ったことだが、これもアルベルトが同胞のよしみで場所を提供し、やらせていたものだと知った。

 

 

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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