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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第102回:グラナダからきたミゲル その1

更新日2020/01/30

 

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ミゲル(Miguel)と三人の子供たち

ミゲルが故郷のグラナダからイビサにやってきたのは、ほかの何千というアンダルシア人と同様、実入りの良い仕事を求めてのことだった。レスリングのグレコローマン・スタイルで鍛えた体はいかなる重労働にも耐えられる頑丈一点張りだったし、グラナダで建設労務者としての経験もあり、建築ブームに沸くイビサなら、払いの良い仕事にありつけるだろうという算段だった。

実際、彼はすぐに建設労働者として仕事を見つけた。彼はコンクリートブロックや軽量の穴あきレンガを積むのが専門で、ペオン(peon)と呼ばれている日雇い労働者よりは多少技能があった。はじめは良いと思っていた給与が、アンダルシアはグラナダよりはるかに物価の高いイビサで家族3人(すぐに増え、5人になったが…)で暮らしていくには十分でないことに気がついたのだった。彼は、妻のクストヴィア、2歳になるかならないかの長女のアナマリアを引き連れてイビサにやってきたのだが、お盛んなミゲルはすぐにもう一人、息子を授かり、ますますお金が必要になってきたのだった。

そこでミゲルは、昼間は建設現場、夕方6時からレストランの調理場で働くことにした。これは、朝7時から深夜の1時、2時まで、二つの仕事を掛け持つという、しかも建設現場も台所も体力勝負のキツイ仕事だ。アンダルシア人は怠け者だと言う人には、ミゲルの働きぶりを見せてやりたいものだ。ともかく、ミゲルはタフだった。

ミゲルは背丈180センチほどで、それほど長身ではなかったが、ともかくどこもかしこも頑丈、骨太、私などは、何をどうやっても絶対に敵わない圧倒的な体躯の持ち主だった。さらに、真っ黒でクルクルちぢれた濃い頭髪、硬い口ヒゲだけを残しているが、頬から下顎にかけて密集したヒゲを剃り上げるには、相当時間がかかりそうなご面相だった。もちろん、体毛もすごく、これほど毛深い人類がいたのか…と感嘆させられるほどのものだった。マウンテンゴリラと対峙しても引けをとらないであろう身体の持ち主のミゲルは、シャイで優しい性格の持ち主だった。

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レストラン『サン・テルモ』(写真は最近のテラス席)

彼が夜の仕事として入ったのがイヴォンヌのレストラン『サン・テルモ(San Telmo)』だった。ミゲルは徴兵にとられた時、ただ存分に食えるだろうというモクロミから調理場へ入った経験があった。それだけ、彼の家庭は貧しかったのだろう。そこで覚えただけの料理だから、レストランの調理場を切り盛りし、それなりの料理を出すことなど、最初から無理な相談だった。1年目はイヴォンヌの下で調理見習い(スペインでは“イモの皮むき”と呼ばれる)から始めたのだった。

フランス人のイヴォンヌの方は13歳でレストランに入り、長い徒弟修業を経て、カンヌのリッツホテルの調理師にまでなったから、腕は超一流だ。師匠としてこれ以上は望み得ない存在だ。

二人の間にどのようにして信頼関係が生まれたのか、様々な葛藤の末、互いを認め合うようになったのか分からない。イヴォンヌは一旦台所に入ると、妥協を決して許さない小うるさい専制君主だったし、自分のやり方ですべてを通そうとした。それはイヴォンヌの料理に対する誇りだった。そんなイヴォンヌの下で、ミゲルは耐え、学んだ。おそらく25-26歳にはなっていた若くはないミゲルは、軍の賄いで働いていたという経験だけしかなかったから、一から仕込まれたのだろう。

1年目のピークシーズンには、肉の担当を任されるまでになった。肉は牛も豚も半身で運ばれてくるから、それを捌かなければならない。腑分けし、適当な大きさ、厚さにカットし、目的に沿ったマリネ*に漬け、焼くだけの状態に仕込んでおく、そして、凹凸のある分厚い鋳物の鉄板の上で焼く。注文通り、レア、ミディアム、ミディアムレア、ウェルダンと焼き分け、お好みのソースを掛けて出す。

付け合せのジャガイモはイヴァンヌが厳選したベルギー産のもので、これまた、イモを焼くためだけのオープンで丸焼きにしたベイクドポテトに包丁を入れ、ノルマンジー産のバターを挟む。日本で、お寿司屋さんだけでないだろうが、いくら酢飯が余っても次の日に持ち越さないように、『サン・テルモ』では一度焼いたイモは翌日に持ち越さず捨てていた。

スペインや地中海の国々では、メインディシュに必ずといってよいほど“グワルニション(guarnición)”と呼んでいる野菜のごった煮のような付け合わせが供される。この“グワルニション”が店の持ち味になる。多くはその土地、その季節の野菜をフンダンに使った煮込みで、トマトの酸味が肉とイモによく合うのだ。

1年目、数種類あるソース、魚、ブイヤベース、クスクスは、イヴォンヌが下準備し、調理していた。デザート類もイヴォンヌの監督下で、ジプシーのアングスティアが作っていた。主力の肉料理はミゲルが受け持つようになった。

忙しい季節には、台所だけで6人はいたと思う。それにウェイター、ウェイトレスが5人、会計兼キャッシャー、洗い場兼皿引きが二人いたから、十数人がフルに働いているチョットした中小企業並みのレストランだった。

2年目から、ミゲルは夏場に昼の建設現場の仕事を辞め、『サン・テルモ』の調理場一本で行き、10月末日にレストランが閉まってから、建設労働に従事することにしたのだった。これにはイヴォンヌが基本給のほかに段階的に一皿の売り上げから幾らと、上乗せした賃金を払う契約にしたからだった。

おまけに冬期間は失業保険を貰いながら、建築会社から日当を貰うのだから、結構な稼ぎになるのだ。法的に言えば、明らかに違法なのだが、当時のイビサでは皆やっていることだった。それをタレコムと相当な奨励金を貰えるというウワサだったが、そんなことをしたら、イビサの港に水死体が浮かぶ…と言われており、タレコミをする者はいなかった。

ミゲルは朝9時には台所に入り、夕方の6時に開くレストランの下準備に精を出すようになったのだった。グアルニション、種々のソースも手掛けるようになり、『サン・テルモ』の顔になっていったのだった。

『サン・テルモ』のシェフともなれば、それなりに鼻が高くなり、プライドをチラつかせても当たり前なのだが、ミゲルにはそれがなかった。彼は、「俺は、グランシェフなんかではない。ただイヴォンヌに教えられた通りに料理をしているだけだ。マア、人並み以上にタフな働き者ではあるけどね…」と言うのだった。ミゲルのそんな性格を見抜き、イヴォンヌは本格的にすべてを教えたのだろう。

 

*マリネ(marinade;マリネード):素材に風味をつけたり、柔らかくしたりするために、酢・塩・オイル・ワインに香味野菜や香辛料を加えた汁に漬けること。

 

 

第103回:グラナダからきたミゲル その2

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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