第1回:酒場サルーンと女性たち その1 【新連載スタート】
初っ端から孫引きになるが、丸谷才一の『男のポケット』(新潮社/1976)に、男は二種類に分けられ、酒を飲む男と飲まない男で、さらに酒を飲む男は酒場に行く男と行かずに自宅で飲むタイプに分かれ、そしてさらに、酒場に足を踏み入れる男はただひたすら酒が飲みたい男と、そこにたむろする女性目当てに酒を飲みに行く人種に分けることができると、細分化している。
なかなかうがった観察だが、そうまでかしこまらなくてもいいような気もする。その中間層も相当いるし、酒が入ると大スケベに変身する輩もいる。しかし、友人の酒飲み、私から見るとほとんどアル中、あるいは完全にアル中の連中は見事に揃いも揃って早死している。まるで、酒を飲まずして何の人生か、酒を飲まずにダラダラと長生きしたところで何になる、と酒に滅法弱い私に語りかけているかのようだ。
丸谷才一の分類に従えば、私は酒を飲めない、したがって酒場に足を向けない人種に相当する。それでいて、暑い日にビールをコップ半杯、冷えた白かロゼをこれもグラスに一杯ほど口にするのは無常の楽しみなのだが、その後がいけない。顔だけでなく全身ピンクを通り越し、真っ赤になり、茹で蛸になるのだ。ましてや歳を食い、脂ハゲになってから、タコ入道そのものになる。これでは酒場、バーでショットグラスをグイと飲み干すことなど夢また夢だ。下戸以下でハナからアルコールを受け付けない体質らしいのだ。
スペイン暮らしが長かった。
スペインのバール(Bar)は一つの文化を形作っていて、バールは酒を飲むだけの場所ではない。買い物カゴを下げたおばちゃんがコーヒーを飲みに立ち寄るのが、主な営業目的であるバールが多い。一番混むのは早朝、カフェ・コン・レチェ(ミルクコーヒー)にクロワッサンのような菓子パンで朝食を済ませる時間帯だ。
使っているコーヒーにそう違いはないはずだし、エスプレッソマシンも大半はイタリア製で大同小異だと思うのだが、微妙に味が違い、ひいきのバールが生まれる。また、地方から出てきて大都会のマドリッドやバルセローナでバールを開く人種が多いから、自然オーナーの出身地の色が出る。バレンシア地方からやってきた人のバールではフレッシュな搾りたてオレンジジュースを出す。北西部のガリシアから来たオーナーのバールは海産物のタパスが豊富だ、という具合にバールにも特色があり、タパスの種類が多く、昼食、夜食を軽く済ませようという時に至極便利だ。
スペインのバールの内装は、とても内装と呼べるようなものではなく、大きなガラス窓、ガラスのドア、足を踏み入れるとカウンター、そして安物のテーブルと椅子が数脚だけのところが圧倒的に多い。最近、バール事情も変わり、凝った内装の、イギリスのパブに似せたところが出てきてはいるが、大半は味もそっけもない、うなぎの寝床のように狭く、長細いホールがあるだけで、立ち飲み、立ち食いが基本だ。
イギリスのパブは一つの伝統を誇示している。まず内装が凝っている。会社、工場がハネる時、身動きが取れなくなるくらい混み合い、騒々しくなる欠点はあるが、お仕着せのメニューで昼食を摂るには格好なところだ。何とはなしに、ギリでハーフパイントをついでに注文してしまう。もちろん女性がハベルようなところではない。スペインのバールもホステスなどはいない。良くってもデブの元女性であるらしき女将さんがカウンターの内側に控えていることがあるにはあるが…。
スペインでも女性のいる、娼婦の侍るバールもある。これは普通のバールと歴然と区別されていて、“バール・アメリカーノ”(アメリカン風のバー)と呼ばれている。これはどんな地方都市、田舎町に行っても必ずと言い切って良いほど、ある。ドアの上に赤ランプを灯しているのですぐそれと判る。早く言えば売春バールだ。田舎では村や町の中心から離れた街道筋に赤ランプが灯っている。都会では何軒か一つの通りに固まっている。
でも、どうしてバール・アメリカーノが娼婦のハベルところを指すようになったのか、分からない。可能性としては、西部劇の舞台になるサルーン・バーにいつもウエストをキュウっと締め、豊かな胸を強調した女性が登場するから、女性の侍るバーをバール・アメリカーノと呼びはじめ、定着したのだろうか…。
私の好きな、尊敬する作家、翻訳家、常盤新平が『酒場の時代』(文藝春秋/1988年刊)というユニークなエッセイを書いている。残念ながら西部のサルーンには触れておらず、もっぱら1920年代の禁酒法時代のエピソード、禁酒法という狂った時代に焦点を絞っている。禁酒法時代は13年間だったが、その時代、全米のモグリのバーの数は禁酒法施行以前より多かったくらい、その期間にアメリカ人たちは酒狂いした。
全米でモグリのバーの数を知りたいと思い調べたが、ほぼ不可能だとすぐに分かった。と言うのは、一軒が摘発されると、斧、マサカリ、ハンマーを持った禁酒法取締官と酒を悪魔の飲み物と信奉するファナティックなキャリー・ネイション(Carrie Nation)のような反アルコール信者が加わり、バーを徹底的に叩き潰し、ウィスキー、ワインを下水に流した。すると1週間と経ず、近所に4軒のモグリのバーが開かれるのが常だったからだ。
禁酒法取締官の責任者だったアンドリュー・マッキャベンは、1931年に全国に22万2,225軒のモグリバーがあると報告し、付け加えて、実態は掴みようがなく、恐らく50万軒を下ることはないだろうとサジを投げている。
禁酒法時代にもし常盤新平が西部パイオニア時代のサルーン、それを経営していた者たち、渡り歩いていた娼婦たちのことを書いてくれていたら、と思う。きっと素晴らしいエッセーになっていたことだろう。

コロラド、新興鉱山村グリーリーの“元祖?サルーン”
ジェッシー・ジェイムスを撃ち殺した若者ボブ・フォードがここグリーリーでサルーンを開いている。
一度競争相手、商売がたきに焼かれたが、すぐにテントのサルーン、ダンスホールを開いている。
この写真はグリーリーにあったテント・サルーンではあるが
ボブ・フォードが開いたサルーンではない。
-…つづく
第2回:酒場サルーンと女性たち その2
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