■くらり、スペイン~移住を選んだ12人のアミーガたち、の巻

湯川カナ
(ゆかわ・かな)


1973年、長崎生まれ。受験戦争→学生起業→Yahoo! JAPAN第一号サーファーと、お調子者系ベビーブーマー人生まっしぐら。のはずが、ITバブル長者のチャンスもフイにして、「太陽が呼んでいた」とウソぶきながらスペインへ移住。昼からワイン飲んでシエスタする、スロウな生活実践中。ほぼ日刊イトイ新聞の連載もよろしく!
著書『カナ式ラテン生活』。


第1回: はじめまして。
第2回: 愛の人。(前編)
第3回: 愛の人。(後編)
第4回:自らを助くるもの(前編)
第5回:自らを助くるもの(後編)
第6回:ヒマワリの姉御(前編)
第7回:ヒマワリの姉御(後編)
第8回:素晴らしき哉、芳醇な日々(前編)

■更新予定日:毎週木曜日


■BUDO YA
通信販売の案内だけではなく、
スペインワインのTipsなどもある。
NorieとYoshiの個人ページも
それぞれ楽しい。

第9回: 素晴らしき哉、芳醇な日々(後編)

更新日2002/06/20

アミーガ・データ
HN: Norie
恋しい日本のもの:『友だち』『活字媒体』
『活きの良い刺身』

スペイン語なんて「オラ!」(やぁ!)くらいしかわからない。もともとスペイン語との唯一の接点といえば、福岡時代、仕事の息抜きによく訪れていた南米家具・雑貨店で、オーナーの夫人だったメキシコ人女性から挨拶程度の会話を教えてもらっただけ。当然、初級から完全にスペイン語のみで行われる授業についていけるはずもない。スタートは、劣等生からだった。


でも、楽しかった。だいたいがなんにもないところからのスタートだから、落ち込むこともない。半年後、ある語学学校から、インターネットでの仕事を手伝うことを条件に、授業代と住居代を提供するという申し出があった。喜んで受けたのだが、そのことだけは少し後悔している。「あのときもっとしっかり勉強しておけば。一生懸命勉強するか、しっかり遊ぶかすればよかった。なんか私、中途半端なんだよね」


インターネットは他の出会いも運んできてくれた。留学準備中の頃からメールで相談をしていた、バリャドリード在住の男性。彼はスペイン語の発音がもっとも美しいと称えられるこの街で、同じく素晴らしく質が良いと賞賛されるワインに囲まれて暮らしていた。当時すでに、スペイン生活4年目。そして彼、Yoshiの住むバリャドリードとNorieの留学先サラマンカは、約100kmと近かった。何度か会って、一緒に遊んで、そのうち「恋に? そりゃ落ちたんでしょうねー。だって、結婚もしたしね」

このままスペインに住み、彼の仕事を手伝う。決意はしたものの、国際結婚ではなく外国人同士の結婚はビザ関連の手続きが煩雑だ。彼女の場合は入籍を挟む約1年の間に3度も日本とスペインを往復し、念願の居住ビザを手に入れた。このくだりは彼女の個人サイトに詳しいのだが、「こぎれいなホームページ」でつくろうのをやめ、手続きの折々に感じたことをそのまま書いていて、とてもおもしろい。私がスペインに移住する際に、もっとも共感し、励まされてきたサイトだ。たとえば入籍直後はこんなかんじ。

「婚姻届を提出したあと、なぜか取り返しのつかないことをしてしまったような気がして、『今なら間に合うから、やっぱり結婚はやめたって言いに行こう!!』と、大使館を出たところで、わたしはだだをこねた」 うんうん、わかるわかる。モニターの前で何度も頷いてしまった。


こうしてふたりで運営することになった「BUDO YA」の業務は、スペイン産ワインの日本向け輸出と、日本で作られた刀剣の輸入。後者は、「近所に住んでいた忍術を習っているスペイン人のにーちゃん」から頼まれたのがきっかけ。前者は、Yoshiが、日本では興味のなかったワインの美味しさに、スペインに来てからハマったのがきっかけだった。Norieもまた、Yoshiと共に過ごすうち、スペインワインの魅力を知るようになった。

バリャドリードは、スペインの代表的なワイン産地リベラ・デル・ドゥエロ(「ドゥエロ川の岸辺」という意味)の中心的な集積地。周辺には日本で1本最低3万円くらいから取引される「ウニコ」で有名なベガ・シシリア社などのワイナリーが建ち並ぶ。ふたりもここに居を構えていたが、倉庫代などを考えて3年前に今の村に越してきた。ここは、まさにドゥエロ川のほとりにある。

道行く人は、みな顔見知り。村長だって例外ではない。いきつけのバルで働く女性の子どもだって、昼下がりにおばあさんと一緒にゆっくり散歩する犬の名前だって、知っている。向こうもみんなふたりのことを知っている。

親身になって世話を焼いてくれるひともいる。たとえば、カルロス。残念なことに2年前のセマナ・サンタ(イースター前の週)から入院生活を送っているのだが、今年のセマナ・サンタには奥さんのルシアがわざわざお菓子を作って持ってきてくれた。と、Norieの目から涙がポロポロ落ち出した。「もうね、私、本当にダメなの。カルロスの話になると、いっつも」 どんどん泣く。ここにはこころが通い合う大切なひとが、いる。


ふたりの家は、静かで空気の美しい村の、川まで2分の場所にある。陽光のふりそそぐ平屋のパティオに座って、NorieとYoshiは穏やかに笑っていた。商品として扱うリベラ・デル・ドゥエロの赤、ルエダの白、シガレスのロゼ、どのワインも自分の舌で確かめて美味しいとわかっているものだ。客を騙したりハッタリをかましたりすることはない。良いものを売って、その結果お客さんに喜ばれる、それがいちばん嬉しい瞬間なのだという。今の仕事にストレスはない。

将来の夢を訊いたら、「うーん、考えないなぁ」と首をかしげた。日本では年金だとか老後だとか、気がつけば先のことを心配していたのに、いまはほとんど考えないようになったという。素晴らしい、のか? 「いや、これってマズイのかもしんないよね」

今日が楽しい。目の前のものが、愛しい。あまり好きではなかった部分も含めて、自分自身をも受け容れることができるようになった。今この瞬間が、楽しい。

NorieはYoshiのことを、「信念のようなものがある。問題が起こっても必ず自分で解決する」頼り甲斐のあるパートナーだと語ってくれた。じゃあYoshiが考えるNorieのすごいところは? そう質問すると、彼はワインを美味しそうに流し込む彼女を見て、言った。「酒をたくさん飲むところ、ですかね」 確かに、酔った挙句に名門ワイナリーの創業者のおじいさんを相手に説教し、しかも「飲み過ぎないようにしてくださいねー」なんて諭したというすんごい逸話もある。でも。……いやまぁいいさ、本当の答えは大切にしまっていてくださいな。

共に飲んだワインは本当に美味しかった。これみよがしなクセがあるわけではなく、豊かな味なのにコロコロと気持ちよく喉を転がっていってくれる。それがNorieとYoshiの選んだリベラ・デル・ドゥエロであり、目の前にある人生をそのまま受け容れててらいなく愛するふたりの味、なのかもしれない。バリャドリードからマドリードに帰るバスの中から大きな夕陽を眺めながら、そう思った。体の中が、温かかった。

 

 

第10回:半分のオレンジ(前編)