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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 
第422回:地上と地下の乖離 - JR東西線 -

更新日2012/05/17



放出という地名をどうして「はなてん」と読むんだ。いや地名はたいてい、元の言葉に字を当てたものだから、なぜ「はなてん」という地名に「放出」という字を当てたんだ。不便じゃないか、と会社員時代の私は思っていた。不便の理由は難読地名だからではなく、取引先に放送出版という名の広告代理店があって、略して「放出」だったから。その会社の所在地は上本町だった。ほんとうにややこしい。

そんな思い出はともかくとして、地名のほうの放出は伝説に由来するらしい。名古屋の熱田神宮からご神体の剣を盗み出した者がこの地で荒らしに遭い、神の怒りだと思って盗んだ剣を放した。その「放って」が語り部に「はなってん」として伝承され、「はなてん」になったという。それなら当て字は「放手」ではないか。地名は不思議である。


片町に行かない片町線

その放出駅から片町線の電車に乗る。15時23分発。予定より22分の遅れだ。銀色の車体に紺と橙の帯を巻いた207系電車であった。行き先は西明石で、京橋からJR東西先に乗り入れ尼崎へ到達し、さらに東海道本線、山陽本線に乗り入れる。始発は片町線の長尾駅で、2時間以上のロングラン列車だ。

例によって運転席の真後ろに乗った。放出を出ると線路の砂利が新しくなっていて、両側の柵が簡素である。おおさか東線の延伸工事だろう。おおさか東線は放出から先、片町線の鴫野駅まで並走し、鴫野の先で北へ分岐する城東貨物線も複線電化する予定だ。運転席の窓から単線非電化の線路が見えた。放出までのおおさか東線もあのような線路だったのか。


線路改良工事が進捗

この片町線も関西本線と同じ1984年に乗って以来、28年ぶりである。京橋駅には品数の多い立ち食いうどん屋が合ったと記憶している。当時の片町線は京橋のひとつ先の片町が起点だった。しかし1997年にJR東西線が開業すると、京橋と片町の間は廃止され、片町線の電車はすべてJR東西線へ直通となった。

片町線に学研都市線という愛称が与えられている理由は、片町駅を失ったからだろうか。京橋を発車するとそこはJR東西線であり、しばらく走ると地下に潜る。京橋駅と片町駅は近かった。地下に潜り込んだ辺りが片町駅だったような気がする。潜ってすぐに大阪城北詰駅があって、駅間としては妥当な位置で片町駅の役割をしている。


京橋駅に到着

 

大阪城北詰といっても大阪城へは橋がふたつ。寝屋川と第二寝屋川と名付けられた運河を渡らなくてはいけない。駅の出口案内に大阪ビジネスパークという文字を見つけた。こちらは現在の仕事のひとつが関連しており、よく見聞きする場所である。そうか、昔の片町駅のそばにあったか。これで仕事中に場所を想像できるようになった。

日本の鉄道路線にすべて乗ろうと旅をすれば、ときどき仕事に役立つ場面がある。訪れた駅や路線の記憶があると、初対面の相手に出身地を聞くだけで、数分の話のタネになる。仕事で複数の地名を聞けば、脳裏で地点を結んで三角形や四角形を描ける。気象情報を聞いて自分がいる場所への影響を予測できたりする。これが意外と効果的で、だからこそ若い人に汽車旅を奨めたい。


JR東西線で地下へ。片町駅跡地を見る

JR東西線は京橋と尼崎を結ぶ路線だ。もともと片町線と福知山線を結ぶ路線として計画された。それぞれの沿線の人口が増えて、大阪都心への乗客が増えた。尼崎駅と京橋駅の乗り換え客が増えて、その混雑を解消するための短絡線であった。新線開業だから乗りたいと思っていたけれど、都心を貫く路線だから地下鉄である。景色が乏しいから、つい後回しにしてしまった。

片町線から引き続き運転室の後ろにかぶりついている。運転台の背後は反射防止のため幕を降ろされてしまったけれど、右側は開いている。真っ暗なトンネルに、ヘッドライトに照らされた線路が光る。信号機の青い光がぽつんぽつんと現れる。新しい地下鉄は車内信号機式が多いけれど、この路線は地上信号式だ。片町線や福知山線に合わせたらしい。青い燈光は線路も淡く照らし幻想的である。


北新地駅のホームドアは稼働していた

大阪天満宮駅はホーム柵があるけれど稼働していない。警備員が何人か立っている。設置工事が終わったばかりのようだ。次の北新地駅はホーム柵を稼働させていた。国土交通省は鉄道会社に対し、1日10万人以上が利用する駅で優先的にホーム柵を設置するよう求めている。案内板を見ると、北新地駅は梅田駅のそばらしい。JR東西線は都心直通だ。そうでなければ混雑解消の意味がない。

北新地の次は新福島駅。さっき大阪環状線の架線にビニールがかかったという福島駅の近くである。ここまでは脳裏の地図に見当を付けられるけれど、次の海老江は難しい。ホームの看板によると野田阪神駅が近い。阪神電車から地下鉄千日前線に乗り換えた記憶がある。あそこにJRの駅があったとは気づかなかった。記憶の中で地上の風景が再現される。しかし今は夕方である。地下と地上の景色が結びつかない。


地上へ向かう

電車は淀川の下を通って、御幣島駅、加島駅に停車する。御幣島駅は他の鉄道路線と接続していない。西淀川区役所の近くらしいから、この付近の人々には待望の駅だっただろう。加島駅は東海道本線の直下である。しかし東海道本線の駅はない。かねてより駅がほしいという運動があったかもしれない。ただし、どちらも乗降客はそれほど多くはなかった。日曜日の16時前だから、都会の電車もこんなものだ。


隣の線路と鉄橋の形が違う

加島駅で停車中、前方にトンネル出口が見えた。コンクリートの壁の間の勾配を上っていくと、東海道本線の線路群の間に出た。大きな鉄橋で神崎川を渡り、線路群を眺めつつ走っていけば、前方に尼崎駅が見えた。島式ホームが4つもあり、線路と分岐器が多い。鉄道好きには心が踊る景色である。


尼崎駅へ進入

しかし、浮かれた気持ちを抑えたい、という気持ちもある。尼崎駅から福知山線に乗る。その先に祈りを捧げたい場所がある。2005年4月25日に起きた脱線事故の現場である。

 

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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