武豊線の大府行き列車に乗っている。終点の武豊駅から起点の大府へ向かうかたちだ。しかし、武豊線の歴史をたどれば、この方向が順路といえる。この路線は名古屋地区に鉄道を建設するために、武豊港から建設されたからだ。いまから122年も昔の話である。時の政府は東京-大阪間の鉄道整備を計画し、まず東京-横浜間を開業させた。続いて大阪-神戸間が開業。次にその中間の名古屋地区に着手した。その拠点として武豊港が選ばれ、資材運搬用として武豊線が作られた。
武豊駅は海から離れた場所にあった。当時の武豊港駅は現在よりも南にあったという。地図を見ると、武豊駅から南へ続くように道路が延びており、緩やかにカーブして製鋼工場で突き当たる。その里中交差点のあたりが元々の武豊駅、港があった場所である。直角二線式という珍しい転車台が復元されているらしい。もっと涼しい季節に再訪したい。
衣浦臨海鉄道が分岐する。
武豊線は鉄道建設に重要な路線だった。しかし、現在は単線のローカル線である。武豊から大府までは19.3キロ。所要時間は約30分。鉄道資材の輸送を終えた後は、東海道線に接続する線路という利点が認められ、沿線に工業が発展した。鉄道貨物輸送の便を見込んだと思われる。貨物主体なら単線で十分。旅客列車はそのついでだったらしい。そんな武豊線にしびれを切らした地元有力者によって知多鉄道が計画された。それが現在の名鉄河和線である。電鉄線の開通によって、武豊線は近代化のきっかけを失った。名古屋から近いのに非電化路線のままである。
私が乗っている車両はキハ75形と書いてあった。東海道線の電車にそっくりで、近代的な外観だ。加速も電車並みに軽快である。かつてのローカル線の気動車とは違う。座席はふたり掛けのクロスシートで、なによりも冷房がちゃんと効いていて嬉しい。JR東海は新幹線で儲かっているから、ローカル線に対しては、「せめて車両だけでも良い物を使おう」と思っているらしい。いや、車両だけではなく、ダイヤもまずまずだ。東京近郊とは比べるべくもないけれど、日中は30分おきだ。これは名鉄のローカル路線とほぼ同じである。名古屋近郊で平均的な頻度だ。
半田駅の保存機関車とミツカン本社。
平均的な頻度で列車が走ると、沿線も平均的に家が建つ。車窓は住宅街である。戸建ての家が多く、庭もあるようで緑の多い車窓である。濃い緑の樹木が残暑を照り返す。窓を開ければ草木の匂いが入ってきそうだ。しかし残念ながら窓は開かない。新しい車両は嬉しいけれど、窓が閉めきりになってしまうところが気に入らない。
製鉄工場の手前に線路が増えて、東成岩という駅に着く。引き込み線があるということは、貨物列車を運行した時代の名残だろうか。右窓には立体駐車場が見える。パークアンドライド用かと思ったら、シネマコンプレックスの来客用だった。ここにクルマを停めて列車に乗るという使い方もできそうではある。しかし、建物付属の駐車場など、本来は裏口である。武豊線の駅は裏口扱いにされてしまった。やはりこの地域もクルマを使う土地柄なのだろう。この列車の乗降客も少ない。
最初の列車交換。
東成岩駅を発車すると、引き込み線から分岐する線路が見えた。レールの頭が光っている。現役で使われている線路で、木々に囲まれているけれど、方向としてはFEスチールの敷地だ。JFEスチールの名は耳慣れない。川崎製鉄と日本鋼管が合併し持株会社となり、その製鉄事業会社がJFEスチールになった。この工場は元川崎製鉄である。
こうしたことを、携帯電話のネット接続機能で地図を確認し、会社名を検索して知った。知りたいと思ったことを、いつでも手元の小さな機械で確認できる。すごい時代になったものだ。これがユビキタスである。私の大嫌いな単語である。きちんと日本語を当てず、何でもカタカナで済ませる習慣は気に入らないが。ついでに「武豊線」で検索すると、貨物輸送は現在も行われているようだ。東成岩駅から分岐する線路は、衣浦臨海鉄道半田線というそうだ。資材輸送を行っているものの、製鉄製品は扱っていないらしい。そんなことまで解ってしまう。
線路は真っ直ぐだがアップダウンが多い。
車窓左手に住宅街、車窓右手は工場が並ぶ。知多半島の反対側の知多新線もそうだった。線路が土地の用途の境界になっている。工場側の沿線も樹木が並んでいる。自然の豊かな河和線や知多新線には及ばないけれど、季節を感じさせる風景だ。単調な景色といえばそうでもなくて、時折、大きなマンションが現れたり、ショッピングセンターの横を通る。新興住宅地に作られた新線のようでもある。ただし、線路の作りは古い。線形はほぼ直線だ。しかし土地の起伏に合わせて線路も上下している。これが新線ならコンクリートの高架線で平坦に貫くことだろう。
半田駅は知多半島の中心的な都市らしい。駅舎は市役所側を向いていて、駅前には駐車場がある。こちらはパークアンドライド用であろう。その駐車場の北側に蒸気機関車が飾られている。C11形だった。武豊線で活躍した機関車だろう。C11形は炭水車を持たず、短距離の支線用として製造された。機関車も興味深いけれど、その向こうにある黒い建物も興味深い。三本線の下に丸のマーク。食用酢のミツカンの本社である。日頃なじみの商品のメーカーを見つけると、ちょっと嬉しい。
並木の向こうに製鉄所が見える。
次の乙川駅で下り列車と交換した。片道30分の所要時間で、30分間隔で運行すると、列車交換が1回か2回ある。東成岩も半田もすれ違い可能な構造だったから、がんばればもっと増発できそうだ。朝7時台は1時間あたり4本も走っている。でも、名古屋近郊は「日中は30分に1本」がちょうどいいかもしれない。この駅の周辺もショッピングセンターの大きな建物がある。しかし、この規模はマイカー客向けであろう。
車窓右手にまた線路が合流してきた。これも衣浦臨海鉄道の碧南線である。この路線は長い。境川の河口を渡って南下し、武豊港の対岸まで延びている。沿線にはINAXやトヨタ自動織機、トヨタ自動車など名だたる工場がある。マリーナや公園もあって、乗ってみたくなる路線である。貨物線用線など休日は暇だろうから、トロッコ列車でも走らせてくれたらいいと思う。動態保存の気動車や機関車を走らせたらどうか。
貨物列車とすれ違う。
東浦駅で貨物列車と交換した。赤いディーゼル機関車は国鉄形のDE10に似ているけれど、番号はKE655とあった。側面には衣浦臨海鉄道と書いてある。機関車ごと武豊線に乗り入れているようだ。衣浦臨港鉄道の観光列車も武豊線に乗り入れて大府まで行けばアクセスしやすい……と妄想が停まらない。どうやら、かなり眠くなってきたらしい。
列車は半島の付け根にたどり着いたらしい。工業地帯が終わり、右の車窓は水田が広がっている。名古屋に近いのに、なぜこちらが宅地にならなかったのかと思う。知多半島の住宅は、沿岸の工場で働く人が中心で、名古屋に通う人ではないのだろうか。唐突に大きなショッピングセンターが現れて緒川駅着。沿線に大きな集客施設があるけれど、どうも武豊線の乗客増には結びつきそうもない。
半島の付け根は農耕地域。
この緒川駅でもう一度下り列車と交換した。この時間、武豊線は3本の列車を運行している。次が終点の大府だから、ダイヤを工夫すれば2本で済む。3本の列車を投入する理由は、きっかり30分間隔にこだわっているからだろう。これは贅沢な車両の使い方で、ローカル線の処遇としてはかなり厚いものである。中京圏鉄道のルーツとして、きっと武豊線は大事にされているのだろう。
(注)列車の時刻は乗車当時(2008年9月)のダイヤです。
-…つづく
第286回からの行程図
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