やっと青いミュースカイに乗れた。名鉄名古屋から犬山遊園まで。中部国際空港からやってきた新鵜沼行き空港特急は、名古屋でほとんどの客を降ろしてしまった。私は回送列車のような客室に入った。「1DAYフリーきっぷ」は10時から16時までは特別車の空席に座れる。せっかくだからその権利を使わせて頂こう。どの席も選び放題だ。
さて、これから目指す路線は「犬山モノレール」だ。正式名称は「名鉄モンキーパークモノレール線」という。日本初の跨座式モノレールであり、遊園地の送迎列車として運行されていた。しかし、マイカーの普及その他、赤字路線おきまりの事情で廃止が決まった。最終運行日は2008年12月27日。あと3ヶ月半である。期限が近づくほど混むだろうから、すこし早めにお別れに来た。今回の旅の重要な目的地である。
犬山線の風景。
しかし、その前に名鉄犬山線の車窓もしっかり見ておきたい。上小田井から犬山までが未乗区間となっていた。名古屋から放射状に延びる路線のひとつだから、きっと車窓は住宅街だろう。乗ってみてやはりその通りで、戸建て住宅の甍の波に、マンションやアパートがひょっこりと頭を出す。ところが、建物が少しずつ大きくなり、街になったな、と思ったら水田地帯になった。この変化は珍しい。どんな事情だろうか。
2年ぶりに犬山遊園駅を訪れた。前回は、のんびりと木曽川ライン下りを楽しんだ。しかしそれはスケジュールを間違えたためで、予定していたモノレールに乗れなかった。あのときは悔しい思いでモノレールを見上げた記憶がある。しかし、またいつか乗りに来ればいいや、程度の気持ちもあった。あの時はまさかモノレールが廃止になるとは思わなかった。はやる気持ちで出口へ向かう。いつもの私なら、乗ってきた特急列車が走り去るまで見送るところを、今回はすっかり忘れていた。
モノレール犬山遊園駅。
モノレール乗り場は線路の反対側だ。いったん改札を出てからモノレール乗り場への階段を上がる。赤字になり始めてから投資を控えたようで、エスカレーターなどという便利なものはない。残暑の厳しい平日だからかもしれないけれど閑散としている。私の他に乗客らしき姿は中年男性がひとりだけ。カメラを持っているから私と同じ鉄道ファンだと思われる。しかし、挨拶しても返事はなかった。ひとり旅であいさつを返せない人は、日常生活もこんな調子だろうか。会社員なら出世とは縁がなさそうだし、家庭人としても煙たがられる存在ではないか。
発車10分前。こんな場面での10分間は気まずい。しかし、しばらくすると学生さんらしい3人組が現れた。彼らはきちんと挨拶を返してくれる。挨拶の延長で会話を続けつつ、ともに車両の内外を撮り続けた。この車両はMRM100形といって、日立製作所と西ドイツのアルウェーグ社の技術提携で誕生した。一本の線路にまたがるモノレールとしてはもっとも早く開業し、この路線のノウハウが、後の東京モノレールや大阪モノレールに活かされた。電車なら床下に吊すべき機械が、車内に出っ張った大きな箱に収められている。東京モノレールもそうだ。しかし大阪モノレールでは客室の床が平らになり、一般の電車と変わらなくなった。
磨き上げられた客室。
MRM100形は犬山モノレールの開業と同時に走り始めた。1962年から走り続けて46年、造形は古さを感じるけれども、外観はラッピング広告で明るく装飾されて若々しい。室内もきれいに磨き上げられていた。さすがにシート地は張り替えられたばかりのようで、鮮やかなブルーに猿のキャラクターが並んでいる。難をいえば冷房装置を積んでいないこと。赤字路線に投資したくないという気持ちはわかるけれど、冷房を積んでいれば、もうすこし利用者も増えただろうと思う。
半袖シャツの運転士さんが乗り込んで発車。ふわっと風が流れる。3両編成の車内は連結部分が広く見通しがいい。運転席と客室の間に壁が無く展望室のようだ。もちろん私は運転席の後ろに立った。今日は大人ばかり数人だから静かだ。しかし、幼稚園児の遠足の日は、運転室まで騒がしくて大変だろうと思う。それとも今どきの遠足はバスを使うのだろうか。みんなで電車に乗る、という行為も教育だと思うけれど。
運転室付近の展望はすばらしい。
モノレールの列車は犬山遊園駅を出てすぐに左へカーブし、森の中を通る。車内放送は録音された女性の声だ。右に犬山城が見えます……から始まって、途中の成田山、モンキーパークの説明へと続く。森の軌道はすぐに終わり、視界が開けるとお線香の香りが漂う。眼下は墓地である。諸行無常。これから遊園地で遊ぼうという人々への、意味ありげな洗礼である。不自然な取り合わせだと思うけれど、ここは戦国時代に犬山城が作られた土地だから、小高い場所には寺院が付き物だといえる。モノレールの線路は寺の敷地をなぞるように迂回して作られている。
森の中を走る。
犬山モノレールは1.2kmの短い路線だ。しかし途中に駅がひとつある。成田山駅だ。千葉県にある成田山の別院の最寄り駅である。車窓左手に大きな社殿が現れた。私はモノレールの写真を撮るために降りた。実は今回、某ニュースサイトから犬山モノレールのレポート記事を依頼されている。新汽車旅日記は完全に自分の趣味の旅だから、ぼんやりと列車に揺られ、紀行文も気楽に書いている。しかし、レポート記事として発注を受けたら、その期待に応える仕事をしなくてはいけない。
車窓に現れた成田山。
「新汽車旅日記」が始まったときは、「ITやゲームの記事ばかり書いているライターが、息抜きに自分の好きな鉄道に乗って書く」というスタイルだった。それがきっかけで、調子に乗って鉄道雑学の本を書いたところから、少しずつ鉄道の仕事が増えてきた。いまでは鉄道が本業で、息抜きにゲームで遊ぶという有様だ。もっとも、ゲームは本来息抜きのためのものだとも言える。それを言ってしまうと乗り鉄のたびも同じかもしれない。結局のところ、自分の仕事はどれも遊んでいるように見える。遊んでいるように見せれば成功で、読者に苦労を悟られてはいけない。これはゲームの記事も鉄道の記事も同じことだろう。
線路一本、ホーム一本。ホームの安全策は細い鉄枠とフェンスのみ。成田山駅は豪華な社殿とは対照的に簡素なつくりだった。長い階段を下りて、軌道をくぐって歩く。こちらから列車を撮れば順光である。カメラをかまえた場所は成田山の駐車場で、作業服姿の男性二人が測量をしていた。モノレールなきあとの利用者のために、駐車場を拡充するのだろうか。成田山は商売繁盛のご利益があって、縁日になると大混雑するそうだ。いや、ちょっとまて、それなら犬山モノレールには成田山のご利益が無かったということになるぞ。名鉄が手を引くというなら、霊験あらたかな成田山が経営を引き継いで、ご利益を示してほしかった。
再び深い森の中。
犬山モノレールの路線は列車のすれ違い設備が無い。私が降りたときに見送った列車が、終点が折り返して来る。それを撮影して、また折り返してきた列車に乗った。成田山駅を出ると再び森の中だ。今度の森はさっきよりも深く大きく、列車はずっと緑のトンネルを走っていく。名鉄の駅、寺、墓と言う日常から、遊園地と言う別世界へのアプローチとして、モノレールと森はうまく境界の役目を果たしている。列車はもう一度ゆるく左へカーブして、動物園駅に着いた。
箱庭のような景色。
軌道はさらに先へ続いており、そこには白いモノレール車両が停まっていた。混雑するときは重連で運行するのだろう。しかし、最近はそんな日があっただろうか。それを思うと、さらに寂しさが募ってくる。帰りの列車には親子連れがひと組。遊び疲れたこどもたちを列車の前に立たせて、父と母が記念写真を撮っている。あの親たちも、こどもの頃に、こんなふうに記念写真を撮ってもらったかもしれない。
動物園駅
廃止後はここに車両が保存されているという。
(注)列車の時刻は乗車当時(2008年9月)のダイヤです。
-…つづく
第286回からの行程図
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