ピーチライナーには戻らず、桃花台東からバスで高蔵寺に出て、そこからバスと鉄道の合の子のような珍しい乗り物に乗る予定だ。今回の旅はバスが多い。見知らぬ街のバスの車窓も楽しいものだが、ハスに乗りつつ調子に乗って、全国のバス全路線踏破など妙なことを思いつかないよう気をつけたい。次の乗り物はバスと鉄道の境界線である。ここで止めておかなくては大変なことになる。
桃花台東のバス停で高蔵寺行きのバスを待っていると、栗色の長い髪の美女がやってきた。どこに行くのか、なぜピーチライナーを使わないのかと訊きたいけれど、不用意に話しかけて不審人物だと思われたくない。20年前は無邪気に見知らぬ人に話しかけ、その土地のいろいろな話を聞かせて貰ったものだけれど、あれは私が高校生だったから相手も気を許したわけだ。それに気付いたのは今から10年前ほど前のこと。久しぶりの旅先で、たまたま話しかけた中年女性に睨まれた。助平心など微塵もなく、そう思わせる女性でもなかったのだが、あの日以来、私はもう若くないと自覚している。
高蔵寺行きのバスはピーチライナーが途切れた方向へ真っ直ぐ進む。ニュータウン地域が終わると畑になり、いきなり人口密度が下がる。しかし丘を越えると市街地になり、建物の密度が増していく。高蔵寺駅のエリアになったのである。ピーチライナーは、このルートで延伸し、高蔵寺と結ぶ計画だった。経営不振のため計画は凍結されたけれど、当初から全通させておけばもしかしたら成功したのではないか。名鉄とJRのアクセスがある街として、桃花台も発展したに違いない。私がそう思うくらいだから、地元にも同じ思いはあるだろう。
バスは高蔵寺駅の北口に到着した。しかし次に乗る路線はJRではなく、JR東海バスの関連会社、名古屋ガイドウェイバスである。名鉄系のバスは北口、JR系のバスは南口、という棲み分けができているらしい。私は高架駅下の通路を歩いて駅の反対側に出た。私にとって駅は鉄道に乗るための場所だが、今回はバスの乗り継ぎ拠点だ。なんだか鉄道に無礼な気がする。友人宅を通りがかったのに、忙しくて挨拶もできない。そんなやるせなさを感じてしまう。
どうみても普通の路線バス。
名古屋ガイドウェイバスは"ゆとりーとライン"という愛称が付いている。ゆとりーとラインの大曽根行きの発車まで約30分の待ち時間だ。私は書店をぶらついたあと、ドーナツショップで時間を潰した。ベッドタウンの駅にある全国チェーンの店にいると、束の間、旅を忘れてしまう。携帯電話でメールをやりとりすれば、ここは日常である。転ずれば、日常もまた旅……と達観する域に私はまだ達していない。
ロータリーにゆとりーとラインのバスがやってきた。バスである。どう見てもごく普通の路線バスだ。しかし私はタイヤ付近に注目する。車輪のそばに小さな突起があり、そこに円盤が付いている。この円盤がレールに接触して舵を取ってくれる。これがゆとりーとラインの仕組みだ。こどもに説明するときは、ミニ四駆のガイドローラーのようなものだと言えば解りやすい。ミニ四駆を知らない人には……まずミニ四駆を見てもらった方が良いかもしれない。
バスは普通のバスのように高蔵寺駅を出発した。この先、竜泉寺口バス停までは道路を走る。しかし小幡緑地駅の手前から専用道路に入る。その専用道路が法規上の"軌道"であり、鉄道路線乗り潰しの対象になる。鉄道路線の乗り潰しに公式ルールはないので、これは対象外! と宣言してしまえば乗らなくていいわけだが、面白そうだから乗ってみようと思っていた。
一般道ではガイド車輪が格納されている。
名古屋は面白い街で、ガイドウェイバスだけではなく、新交通システムやリニアモーターカーもある。自動車の渋滞は解消したい。しかし鉄道は造りたくない。そんな雰囲気があるらしい。しかし、ピーチライナーは赤字で廃止だし、リニモもこのゆとりーとラインも苦戦しているようだ。新交通システムの実験は答えが見えていない。
バスは高蔵寺の街を走り抜け、庄内川を渡り、右に曲がって県道15号線に入った。普通のバスだから停留所に止まり、乗降客がいなければ通過する。平日の昼下がりだから道路は空いている。3車線の広い道で、適度な起伏と緩やかなカーブがある。バスは法定速度を守ってのんびり走っているけれど、スポーツカーで走り抜けたい道である。
定速運転のバスは快適で、このまま終点まで走っていきそうだ。しかし不意にバスは止まった。バス停のない道ばたである。どうしたのだろうと思ったら、一呼吸おいて左に曲がり、空き地に乗り入れた。その先に遮断棒の下りたゲートがある。あまりにも普通のバスなのでうっかり忘れていたけれど、ここからが専用区間であった。ネコ一匹入れないような堅牢な門を予想していたけれど、工場の守衛所のような簡素な作りになっていた。バスは遮断棒の手前で一時停止し、すこし進んでまた停止。さらに進んでまた停止した。ガイド車輪がガイドレールに組み合うことを確認したのだろうか。
専用軌道の入り口。
さあ、いよいよ軌道区間だ。といっても、今まで乗ってきたバスがそのまま走っているから鉄道という実感が湧かない。ただし景色は変わる。道路、いや、軌道が高架区間に入るからだ。バスは坂道をグイグイと上がった。道路としては何でもない上り坂だが、鉄道では不可能な角度である。上りきってしばらく走ると小幡緑地"駅"だ。上下の軌道を包むようにドーム型の屋根。洒落たデザインである。しかし到着する車体はバスだからホームは低い。国道脇の歩道と同じくらいの高さに見える。しかし、ヨーロッパの長距離列車のホームにも似ているが、そこまで言うと褒めすぎかも知れない。
専用軌道は高いところを走っているので見晴らしがよい。見渡す街は名古屋市街である。意外と緑が多く清々しい気分になった。ふと運転席を見ると、運転士は両手を膝の上に置いていた。専用軌道はガイドレールが誘導してくれるから、ハンドルに手を置く必要はないのだ。足の方も動きは少ない。信号が無く、駅以外でブレーキを踏む必要がない。常に一定の力でアクセルを踏んでいるようだ。
各駅ともドーム風のデザイン。
ずいぶん高いところを走っているから、真下がどうなっているかも解らない。地図に寄ればここは県道202号線と30号線の真上である。下の道が渋滞していれば優越感に浸れるのだが、この時間は空いていそうだ。しかし、森山を過ぎたところで前方下に道路が見えた。がら空きというほどではなかった。なるほど、この時間の混み具合なら朝のラッシュ時は大渋滞だろう。
ガイドウェイバスはバスと鉄道の利点を組み合わせたシステムだ。都心部の交通渋滞を避けるために専用の道路を造る。郊外は多様なルートを走行できるように一般道路を走る。だからゆとりーとラインの運行系統はいくつもあって、専用区間の大曽根と小幡緑地までは共通だが、小幡緑地から郊外方向は3つのルートが設定されている。しかし、このシステムが成功したかというと判断が難しい。日中の高蔵寺発の便が1時間3本から1本に減ってしまったし、瀬戸みずの坂発の便も1時間1本から2時間に1本になってしまった。
そうなると、この路線にはもともと専用軌道を造るほどバスの需要があったのか、という疑問もある。名古屋都心へ向かう人たちは、どうせ大曽根で乗り換えるなら、最寄りの中央本線や名鉄瀬戸線の駅で乗り換えるのではないか。大曽根で止まるのではなく、あと少し伸ばして名古屋駅。いや、せめて、名古屋城のそばまで到達していたら、市役所、県庁への足として便利だと思う。あるいは大曽根で地上に降り、都心部各地へ乗り換えなしで行けたらいいのに。
眺望がよく気持ちいい眺め。
どうも交通評論家のようなことばかりを思いつく。名古屋はまるで交通実験都市だから、乗り比べれば誰でもそんな気分になるのかもしれない。そういえば愛知万博で乗ったIMTSも、このシステムの進化版だと言える。ガイドウェイバスの軌道建設コストを下げ、自動運転を取り入れたものがIMTS。きっとどこかで開業するかも知れない。
白くて丸い大きな建物が見えてきた。ナゴヤドームである。都会に近づき、風景から緑が消え、専用軌道を見下ろすような高い建物が増えてきた。車窓左手にひときわ大きな駅が近づいて、終点の大肥曽根駅に到着した。均一料金のバスではないから、後ろから乗って前から降りる。降りるときに運賃箱にお金を入れて、運転士さんに「お世話様」と声をかける。「ありがとうございました」と返ってくる。なるほど、バスの良いところはちゃんと残っているんだな、と思った。
ナゴヤドームが見えた。
-…つづく
第165回からの行程図
(GIFファイル)