第7回: 戦争を知りたい女子大生
更新日2002/05/02
クロアチアのドブロクニクのSOBEに、20歳の日本の女子大生がやって来た。民家の一室に泊るSOBEは、プライベートルームとも呼ばれ、ホテルが高い東欧ではとてもポピュラー。バスターミナルで客引きに行った宿の主人に、「日本人が泊っている」と聞いて、この宿に決めたらしい。
「実は日本のNGOのボランティア・プログラムに参加して、ザグレブの孤児院に1ヶ月滞在していたんです。戦争の現実に触れたくて、戦争孤児の施設で働きにきたのですが、私の居場所なんかありませんでした。クロアチアは聞くのと、実際に来て見るのとでは大違い。こんなに豊かで平和な国にボランティアの必要なんかないですよ。何のために来たのやら……、結局ボランティア商法にひっかかっただけのようです。ドブロクニクの戦争被害の実態を見て帰ります」。
この女子大生、一人旅は初めて。高いお金を払ってプログラムに参加したらしい。航空券も言われるままにNGOを通して購入。後で普通の料金より5~6万円も高かったことを知り、NGOの商売ぶりにもショックを受けていた。
「ドブロクニクの世界遺産破壊も修復が終わっているんですか? 私はこれからどうすればいいんでしょう?」
あくまで生々しい戦争被害跡を見たいという彼女。しょうがないので、ウィーンから出国するまでの約7日間で廻れるルートをアドバイスすることにした。
教えたルートは、まずドブロクニクからバスでボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボへ。サラエボからは、バスでユーゴスラビアのベオグラード。そして鉄道でハンガリーを経由してウィーンというルート。サラエボもベオグラードも戦争の跡が今も生々しく残る街。きっと彼女の興味と欲求を満たしてくれることは間違いない。いずれも治安はそれほど問題なく、普通の行動さえしていれば大丈夫。
「私、ゼッタイに行きます。お願いですから、詳しい行き方を教えてください!」
そう頼まれて移動や宿泊についての細かい話をしていると、彼女の目は見るからに輝き始めていた。幸いにも、ここの主人の親戚がサラエボで同じくSOBEを経営していて、事前に安心な宿の手配もできた。
また思いがけない幸運もあった。自炊ができる宿のゲスト専用キッチンで話していると、同宿の20歳のイギリス人大学生がやってきて、彼女と一緒にハンガリーまで行くことになった。
「ちょうど僕も同じルートでハンガリーまで行くんだ。もう少しこの街にいる予定だったけれど、クロアチアは物価が高いし、予定を早めて一緒に行ってもいいよ。でも戦争の跡を見たいなんて変わっているね」。
そして次の日の早朝、彼女とイギリス人学生はサラエボ、そしてベオグラードに向けて旅発ち、それから数日後、宿に彼女から電話がかかってきた。
「おかげさまでサラエボで戦争についてじっくり考えることができました。貧しいながらここは素晴らしいです。豊かなクロアチアよりとても居心地がよくて、国や街も好きになりました。明日ベオグラードに向かいます」。
→ 第8回:悪夢のハンガリー・スロヴェニア徒歩越境