第10回:ダニエル・ブルーの冒険 その3
山登りやハイキングの強さ弱さは日頃のトレーニングがモノをいうが、それ以前に個人差が大きいように思う。急な斜面や岩場に強くても、割り合い平坦な長距離に弱いタイプ、逆にスピードこそ遅いがいつまでも同じペースで歩けるタイプ、今まで快調に歩いていたのが急に、まるでバッテリーが切れたかのように動けなくなるタイプもいる。
陸上競技でいえば短距離スプリンターとマラソン選手の違いと言えば良いだろうか。これは前もって知ることのできない、予測不可能な体質だ。実際にそんな状況に陥って初めて分かる。そして、そんな状況に直面した時にはすでに遅いのだ。
一番先に弱ったのは、長男のアレキサンダーだった。持病のリウマチが悪化し、関節が腫れ上がり、歩行さえ困難になってきたのだ。それに加え、寒波が彼らを襲った。アレキサンダーの大きく腫れ上がった関節の痛みが激しくなり、うわごとを言うようになり、幻覚症状が出始めた。満足な食べ物のない長い極限状態が続き、黄金郷への幻想と気力だけで歩き続けてきたのだ。だがそれにも限度がある。
そこへ、天の恵みか野生の馬の集団が現れ、どうにか一頭仕留め、全員が満腹することができ、さらに3日間雪解けの道、泥になった道を前進した。後から合流したハンガリー人とインディアナから来た男は、ダニエル・ブルーの兄弟、従兄弟より体力が残っていた。
極限状態で生死を分けるのは、体力よりも希望を維持できるかどうかだと思う。以前、海難事故を調べていた時に実感したことだが、小さなヨットや船、漁船が遭難し、海を漂った記録を読み、早くに絶望した人間の生存率は非常に低く、目の前の現実に毎日対処するだけで、日々を過ごしているタイプの方が遥かに生存率が高いことを知った。多くの人はあまりに早く、生きるのを諦めるように絶望し、死んでいるのだ。
彼らはヨロヨロと視界の効かない雪の中、霧の中を進んだ。が、太陽が見えず、方向を定めることができない状態でよく起こることだが、大きな円を描いてまた出発点に戻ってきてしまうのだった。視界の効かない時はその場にジッとしていろ、動くな、天候の回復を待て、視野が開けるまで待て、焦って憶測で動き回るな、という鉄則が山にはある。余計な体力を消耗するなということだ。
ダニエルの悲劇を、このように知ることができるは、彼が書きつけていた日記というかメモがパンフレットのような小紙なって発行されたからだ。私の種本は、その小紙のコピーなのだが…。
彼はイリノイ州の田舎で育ち、現在の基準で言えば満足に学校に通ったこともなかったかも知れないが、彼の記述は実に正確で、きちんとした英語を書いている。何よりも優れているのは、自分たちが陥った最悪の状態の下でも、自分の行為を包み隠さず具体的に書き込んでいることだ。一種の記録文学のようなものなのだ。
現時点から鳥瞰図的に彼の旅を見ると、彼らは黄金に取り憑かれた無謀な若者集団のように見える。平原インディアンのどんな少年でも身につけているはずの平原でのサバイバルのため知識も技術も持っていなかった。また、長い徒歩旅行の準備もお粗末なら、あらかじめ知ることができたはずの行程の知識もない。
彼のメモ、日記は貴重な記録ではあるが、ヨット乗りや長距離ハイカーがつけるログ、1日に何マイル、どの方向に進んだ、どこそこのクリーク、川、集落に着いたというような具体的な記録に欠けている。
だが、彼らのように黄金に取り憑かれた若者集団が何百、何千と西に向かっていたのだろう。
ダニエルたち一行は、生存をかけた極限状態に陥った。アレキサンダーを見捨てる考えは毛頭なかったようだ。彼らは、自分のシャツを裂き、それでアレキサンダーの足を包み、焚き火の一等席に彼を横たえている。そして、話すことといえば、食べ物のこと、どうやってこの究極を逃れるかに終始した。
彼らは1846年の“ドナー・パーティー(Donner Party)”の事件を良く知っていただろう。
ドナー移民団はロッキーで猛吹雪に遭い、進退を極め、屍肉を食べ45名が生き残った事件で、彼らは死んだ36人の死体を食べることで生き残りを図ったのだ。ドナー隊の悲劇はセンセーショナルな事件として全米に知られていた。
食人の考えは彼らダニエルのグループにも広がった。自分が死んだら遠慮なく食ってくれと繰り返し言い合った。“自己生存こそ自然界での第一法則である”との結論に行き着くのだった。
![Donner Memorial](images/Donner Memorial_s.jpg)
ドナー・パーティーの悲劇を記念した銅像
<今は州立公園になっています>
一般にドナー・パーティー(ドナー隊)と呼び習わされている大隊の事件は
1846年から1847年にかけての冬にシェラネヴァダ山系で起きた。
ドナー・パーティーは大掛かりな食人で生存を計ったことでパイオニア史上有名になった。
ドーナー隊は一つのグループではなく、ダニエル隊とギッブス隊のように途中で合流したり、
分離したりを繰り返しながら、膨れ上がった移民集団だった。
この移民団は奇しくもダニエル隊と同じ州、イリノイ州の出身者が多かった。
大きな違いは、このドナー隊は必ずしも金鉱を目指したのではなく、
カリファルニアに移住しようとしており、女性と子供が多かったことだろうか。
-…つづく
第11回:ダニエル・ブルーの冒険 その4
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