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第413回:流行り歌に寄せて No.213 「悲しみは駆け足でやってくる」~昭和44年(1969年)

更新日2021/02/11


最初に冷たく強い北風が吹く効果音。まずギター、ベースが入って、次はヴァイオリンで「ひゅるひゅるひゅるひゅる ひゅるひゅるひゅるひゅるひゅるひゅる」と風を表現し、効果音と絡ませた後、口笛での主題へと流れていくイントロ。

言葉を失い、ただ「う~ん」と唸ってしまほどのアレンジ。編曲の達人、寺岡真三の技である。彼はこの編曲で、この年の第11回日本レコード大賞編曲賞を受賞しているが、まさに至極であろう。

作詞は、この曲を歌うアン真理子本人である。私は最初この曲を聴いた時、1番の詞と2番の詞が矛盾していると感じたので「どっちなの?」と思わず問いかけたくなった。今は、その矛盾を抱えていることこそが「若い」ということなのだろうと、年寄りじみた答えを考えたりしてみる。

作曲の中川克彦については、今回資料を見ても彼に関する記載は見つからなかった。ただ、前出のレコード大賞編曲賞の受賞式の映像がYou Tubeにアップされており、タキシード姿の、まだ若き日の寺岡真三のアップの後、アン真理子がワンコーラスを歌うシーンが映し出されている。

その映像の中に、司会の高橋圭三の「作曲は牛乳配達の中川克彦君、18歳でした」というアナウンスが入っている。それが彼に関しての唯一の情報である。

すでにデビューして数年目を迎えているアン真理子と、牛乳配達の少年がどのように出会い、二人で曲を作っていったか。そして、既に『君恋し』で第2回日本レコード大賞、『お座敷小唄』で第6回日本レコード大賞編曲賞を受賞している名手、寺岡真三が二人の曲をなぜアレンジすることになったのか。私にとっては、たいへんに興味深いことである。

 

「悲しみは駆け足でやってくる」 アン真理子:作詞 中川克彦:作曲 寺岡真三・編曲 アン真理子:歌


明日という字は 明るい日と書くのね

あなたとわたしの 明日は明るい日ね

それでも時々 悲しい日もくるけど

だけどそれは 気にしないでね

ふたりは若い 小さな星さ

悲しい歌は 知らない

 

若いという字は 苦しい字に似てるわ

涙が出るのは 若いというしるしね

それでも時々 楽しい日もくるけど

またいつかは 涙をふくのね

ふたりは若い 小さな星さ

悲しい歌は 知らない

 

デビューして数年目と書いたが、アン真理子(当初は本名の佐藤ユキで活動)は、最初日劇のダンサー兼コーラス員としてデビューをしている。その後、平岡精二クインテットなどでソロのジャズヴォーカリストとして歌っていた。

そして、昭和41年にはヒデとロザンナを結成する前の出門ヒデと、「ユキとヒデ」というボサノヴァのデュオを結成した。そして『白い波/長い夜』『スノー・ドルフィン・サンバ/恋のスノー・ドルフィン』(『A面/B面』:以下同)という2枚のボサノヴァのシングルを発売している。

作詞は1枚目は両面とも水木英二(出門ヒデの別名)、2枚目は同じく両面とも中村小太郎。そして昨・編曲は2枚全曲とも渡辺貞夫である。ナベサダがボサノヴァに没頭し、本国ブラジルまで行って地元のミュージシャンと共演したレコードを出していた頃の作品なのである。

ユキとヒデの活動と並行して、佐藤ユキは「藤ユキ」という名前でソロ歌手としても活動をしていた。こちらも『あなたと二日いたい/ミニ・ミニ・デート』『もうだめもうだめよ/恋に命を』の2枚のシングルを出している。

こちらは1枚目は、川内康範:作詞 浜口庫之助:作・編曲、2枚目は作詞・作曲・編曲すべてが浜口庫之助である。歌謡界の大御所が曲を提供しているのだから期待度は大きかったのだろうが、あまりセールスには繋がらなかったようである。今回、他の人のカヴァーで『もうだめもうだめよ』を聴くことができたが、かなりの色気を感じさせる曲だった。

そして、昭和43年にユキとヒデを解散した後、しばらく藤ユキ名義で歌っていたが、翌昭和44年にアン真理子と改名し『悲しみは駆け足でやってくる』をヒットさせている。

日本のジャズ界を牽引したミュージシャンや、歌謡界の重鎮たちによって提供された曲は、残念ながら、今覚えている人は少ないだろう。ところが、どういうわけか知り合った郵便配達の少年と曲を作り、偉大な編曲家の力があったとは言え、ほとんど素人の作った作品が、あの頃を知る世代の人々の心に今でも残っているのは、不思議な気がする。と同時に、若さによってこそ作られた作品の強みのようなものも感じる。

彼女は、その後「佐藤由紀」名義で、ヒデとロザンナに『笑ってごらん子供のように』や湯原昌幸に『今にわかるわ』(大ヒットした『雨のバラード』のB面曲)の詞を提供している。

アン真理子は、昭和44年にソロデビューした、私にとっては10歳ほど年上のお姉さんたち、高田恭子、新谷のり子、千賀かほるの中では、際立って色っぽい存在だった。あの時代を知るご同輩には、賛同してくださる方は少なくないだろう。

-…つづく

 

 

第414回:流行り歌に寄せて No.214 「別れのサンバ」~昭和44年(1969年)


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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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