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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第216回:流行り歌に寄せてNo.28 「想い出のワルツ」~昭和28年(1953年)

更新日2012/08/16

このコラム、4回前に美空ひばり、一人置いて江利チエミ、そしてまた、一人置いて今回の雪村いづみで「三人娘」を1回ずつ書くことができる。

さらに、「ゲイシャ・ワルツ」「テネシー・ワルツ」とここのところワルツ付いているので、もう1曲ワルツ曲をと少し調子に乗ってみた…までは良かったものの、今回の『想い出のワルツ』は、実は四拍子の曲で、三拍子のワルツ曲の形態は取っていない。

曲中で踊られているのは紛れもなくワルツであり、原題が "Till I waltz again with you"であることから、『想い出のワルツ』という邦題にしたのだろうが、訳詞の中には「ワルツ」という言葉がひとつも出てこないのも不思議である。

さて三人娘と書いたが、私にとって美空、江利に比べると、残念ながら雪村いづみに関してはあまりよく知らない気がする。もちろん、今までに何回も彼女の曲は聴いているし、テレビなどでもそのお姿を幾度となく拝見している。

それでも、私の中では印象が薄い。それとは関係ないだろうが、今回の曲をいろいろとネットで調べたが、調べ方が悪いのか、訳詞の部分を掲載しているものが見つからなかったので、久し振りに彼女の歌声から歌詞を起こしてみた。
(後でもう一度確認したところ、NHKの番組の録画がYou Tubeにアップされていたので、今回の漢字の遣い方などはそのテロップに従った)

歌詞起こしのために、何回も繰り返し、彼女の『想い出のワルツ』を聴いているうちに、その音が少しずつ心の底に積もってゆき、私にとっては忘れられない曲となった。そして、雪村いづみという歌手との距離も、かなり縮まった感じがする。

「想い出のワルツ」 Sidney Prosen:作詞作曲 井田誠一:訳詞 雪村いづみ:歌

Till I waltz again with you. Let no other hold your charms.

If my dreams should all come true. You'll be waiting for my arms.

Till I kiss you once again. Keep my love locked in your heart.

Darling, I'll return and then. We will never have to part.


Though it may break your heart and mine. The minute when it's time to go.

Remember Dear, each word divine. That meant I love you so.

Till I waltz again with you. Just the way we are tonight.

I will keep my promise true. For you are my guiding light.

星影青き 想い出の夜 

君と踊りし なつかしの夜

星影青き 想い出の窓

燃えるくちづけ 遠き夢かよ


また逢うその日を 心に描き

待ちましょう 待ちましょう 赤いバラ

星に捧げて また逢う日まで

わたしはひとり あの歌歌う


原曲"Till I waltz again with you"は、アメリカの大人気歌手テレサ・ブリュワーによる、1953年の2月から3月にかけての1ヵ月以上、「レコード・セールス」「ラジオ・リクエスト」「ジュークボックス・リクエスト」の3部門で全米No.1を独占していた大ヒット曲だった。

そう言えば、私の店の有線放送でも「50年代、60年代ポップス」のチャンネルでよくかかっていて、今回もう一度通して聴いてみた。これは飽くまで贔屓目(耳?)だと思うが、当時まだ16歳だった雪村の方が、21歳のブリュワーよりも大人の情感を持って歌っているように感じられた。

さて、その後も雪村いづみはカヴァー曲を歌い続ける。

『星を見つめないで』 "Don't Let The Stars Get In Your Eyes"
『はるかなる山の叫び声』 "The Call Of The Far Away Hills"
『オウ・マイ・パパ』 "Oh My Papa"
『青いカナリヤ』 "Blue Canary"
『マンボ・イタリアノ』 "Mambo Italiano"

等々、それらが大変なヒット曲になっていった。デビュー曲からオリジナル曲しか歌わなかった美空と違い、カヴァー曲を歌い続けたという点で、雪村は江利と共通点を持つ。

もう一つの二人の共通点は、歌手になったきっかけが家計を支えることにあったことだ。雪村は9歳の時に父を自殺で亡くし、母が経営していた映画会社が倒産して、合格していた高校進学もあきらめざるを得なくなる。

そして、新橋のダンスホールを皮切りに歌手生活をスタートさせたのである。この年が1952年で、『想い出のワルツ』によるレコードデビュー、そして大ヒットが翌年の4月だから、大変なスピードでスターダムの階段を上ったことになる。

それから60年。彼女は30年前に江利、23年前に美空、二人の盟友を早い時期に失いながらも、今日もなお歌い続けているのである。私も、真剣に彼女の歌声に耳を傾けさせてもらいたい、と今回強く感じている。

-…つづく

 

 

第217回:流行り歌に寄せてNo.29 「君の名は」~昭和28年(1953年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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