第217回:流行り歌に寄せてNo.29
「君の名は」~昭和28年(1953年)
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
今年81歳を迎えた大ベテラン声優・来宮良子(きのみや りょうこ)が、未だ20歳の時の名台詞。菊田一夫原作・NHKラジオ連続放送劇『君の名は』の冒頭のナレーションである。
1952年4月10日から放送を開始し、翌々年の同日まで続いた作品で、「このラジオドラマが始まる時分になると、銭湯の女湯が空っぽになった」という"伝説"さえ生まれるような大人気番組であったことは、すでによく知られている。
声優は、後宮春樹役が北沢彪、氏家真知子役が阿里道子。北沢彪は、その後NHKの朝の連続テレビ小説・第一作『娘と私』の父親役を演じていたから私も知っているが、阿里道子という人は覚えていないし、あまり資料にも残っていなかった。今回YouTubeで、彼女の声を聞く機会に恵まれたが、明朗で可愛らしい声であった。
主題歌をはじめ音楽担当はすべて古関裕而で、生放送であったため、バックグラウンド音楽として、番組中、古関はずっと即興でハモンドオルガンの哀調を帯びた音色を聴かせている。
当初、番組中で主題歌を歌っていたのが声楽家の高柳二葉という人だったが、レコーディングの際は織井茂子が代わって行なっている。残念ながら、高柳版の主題歌を現在聴くことは困難なようだ。
「君の名は」 菊田一夫:作詞 古関裕而:作曲 織井茂子:歌
1.
君の名はと たずねし人あり その人の 名も知らず
今日砂山に ただひとり来て 浜昼顔に きいてみる
2.
夜霧の街 思い出の橋よ すぎた日の あの夜が
ただなんとなく 胸にしみじみ 東京恋しや 忘れられぬ
3.
海のはてに 満月が出たよ 浜木綿の 花の香に
海女は真珠の 涙ほろほろ 夜の汽笛が かなしいか
さて、ラジオ放送中の1953年に作られた松竹映画、大庭秀雄監督による『君の名は』も大ヒット作品となった。後宮春樹役を佐田啓二、氏家真知子役を岸惠子という、ご存知、ゴールデンコンビ。
北海道ロケがあまりに寒かったために、岸が肩からグルリと耳や頭を被ったそのストールの巻き方が"真知子巻き"として、当時の女性に大人気だったのは有名な話である。
さらに「真知子」という名前を、生まれてきた子に付けることも大変に流行ったらしく、実際私の知っている人で1953年生まれの「真知子さん」は3人いる。
さて、今から20年ほど前にテレビで放映されていた番組で、佐田啓二の遺児である中井貴一と、岸惠子が対談していたことがある。
中井「岸さんは本当に美しくていらして、今でも憧れているのです。父も岸さんと結婚していたら、僕ももっとずっと良い男に生まれていたかも知れないのですが」
岸「いやあねえ。そうなったらあなたは生まれてなくってよ」
中井「そう言えば、そうですね」
確かに、あの映画の中の岸惠子はとても美しかったと思う。他にも淡島千景、月丘夢路、淡路恵子などの素敵な女優さんが共演しているが、アイヌの女性ユミを演じる、当時20歳の北原三枝。彼女のワイルドな魅力は実に良いのだ。
ユミのテーマとも言える『黒百合の歌』も名曲。主題歌と同じく、菊田一夫作詞、古関裕而作曲で織井茂子の歌。12回前の当コラムに書いた、このコンビの作で、伊藤久男の熱唱が光る『熊祭(イヨマンテ)の夜』と同様の、アイヌの躍動感が表現されている。
伊藤久男は、この映画『君の名は』の挿入歌としても『君いとしき人よ』『忘れ得ぬ人』『数寄屋橋エレジー』を歌っている。
また、織井茂子と佐田啓二のデュエット曲『君は遙かな』や、淡島千景が役名で、彼女の気持ちを歌う『綾の歌』など。三部に分かれていることもあって、この映画には挿入歌がかなり多く使われているようだ。そして、そのすべてが菊田、古関コンビによる作品なのである。
今回すべて聴いてみたが、それぞれに趣向を凝らした力作ばかりで、お二人の才能に改めて敬意を表したい思いである。
個人的には『君いとしき人よ』が最も好きであるが、このイントロをご本家『君の名を』と同じメロディーにすれば、より情感が高まるのではないかなどと思うのは、後追いファンとしての身勝手な要求だろうか。
-…つづく
第218回:流行り歌に寄せてNo.30
「高原列車は行く」~昭和29年(1954年)
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