第361回:流行り歌に寄せて No.166「あなたのすべてを」~昭和42年(1967年)
私の両親はプロテスタントのクリスチャンであったため、長野県から愛知県へ引っ越した時に、礼拝に行く教会も変えた。日本基督教団の富士見高原教会から、同教団の熱田教会へ。名古屋市の熱田区にあった教会は、さすがに都会の教会らしく礼拝堂の席数は富士見町の教会の3倍以上はあったし、信者の数も5倍以上在籍していた。
教会は、他でもよくあるように幼稚園の経営もしていて小さな園庭を持っていた。その園庭にあるベンチで、信者である大学生のお兄さんたちが、ギターを抱えて歌っていた記憶がある。
今考えれば、いわゆるカレッジ・フォークの初期の時代だったのだろう。生活に余裕のある20歳前後の大学生が、アイビールックを無理なく着こなして、楽しそうに笑いながら何曲かを口ずさんでいた。当然のごとくその周りには、華やいだ女学生たちが屈託なく佇んでいる。
田舎から出てきたばかりの私にとって、それは余りにも眩しい光景だった。“僕も大学生になったら、絶対にあんな風になるのだ”と心に誓うのだが、大学生にはなれなかったし、華やかな雰囲気の中に身を置いたことも、未だに皆無なのである。
「あなたのすべてを」 佐々木勉:作詞・作曲 林一:編曲 佐々木勉:歌
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佐々木勉。なにかとてもオシャレな印象を持った人である。美男子という顔立ちではないけれど、センスの良さを感じさせる。そして、甘く優しい声の持ち主だった。
前述のカレッジ・フォークの第一人者として、ホリ・プロダクションの社長堀威夫に見出され、この『あなたのすべてを』で歌手デビューを果たしている。
そして、ザ・ブロードサイド・フォーの『星に祈りを』や、ザ・サベージの『いつまでも いつまでも』など、カレッジ・フォーク系の曲を他の歌手に提供した。
また、時代を経てアイドル時代が到来すると、榊原郁恵の『夏のお嬢さん』(作詞は佐々木の最初の奥さんである笠間ジュン)や荒木由美子の曲を手掛けている。
さらに、ムード歌謡の世界でもパープル・シャドウズ及びロス・インディオスの『別れても好きな人』、ヒロシ&キーボーの『3年目の浮気』などでヒットを飛ばしているのである。
多才で器用な仕事人で、シンガー・ソングライターと、ホリプロの名プロデューサーとして活躍していたが、昭和60年、46歳の若さで急性肝不全のためこの世を去ってしまった。
この『あなたのすべてを』は喫茶店ではなく、当時流行っていた、いわゆるスナックで出会った男性のことを想い歌っているのだろう。カレッジ・フォークというジャンルだが、ムード歌謡であるパープル・シャドウズの『小さなスナック』の女性版という感じで興味深い。
私のよくお邪魔するカラオケ・スナックで、その晩のご自分の最終曲として『あなたのすべてを』を歌われる年配の女性がいらっしゃる。彼女は実に歌がお上手で、しかも英語、フランス語、中国語、朝鮮語の歌も素晴らしい発音で朗々と歌われる。
そんな中でも、『あなたのすべてを』は秀逸なのである。「数年前に死んじゃった亭主のことを想って歌っているのよ」と、彼女は少し哀しげな笑顔で話す。その目は実にチャーミングに輝いている。「ご主人、幸せですね」と私は素直な思いで言い返した。
-…つづく
第362回:流行り歌に寄せて No.167 「花と小父さん」~昭和42年(1967年)
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