第362回:流行り歌に寄せて No.167 「花と小父さん」~昭和42年(1967年)
不思議なテイストの作品である。私の中では、ハマクラ先生の作品の中で、最も難解な曲という気がしている。
タイトルからして、何か妙である。「花」と、「小父さん」(この表記も、最近ではほとんど見かけない)というのが、どうも結びつかない。多くの解説を読むと『バラが咲いた』の姉妹曲であるフォーク調の作品と位置付けられたりしているが、その詞の内容には、猟奇的なエロスさえ感じる曲だと私には思える。
1番の最初の2行と2番については、小父さんの語りになっているが、1番の3行目以降は、ずっと花が語っている形になっているのも、型破りな作り方だと思う。
最初は、植木等の初ソロアルバム『ハイおよびです!!』のために、ハマクラ先生がもう1曲の『笑えピエロ』とともに提供した曲であるという。植木はこの頃、コミカルな歌を歌い、そのような役の映画に数多く出演し、大変な人気者になっていたが、そのあり方に疑問を感じていたという。
そこで、六輔・八大コンビやハマクラ先生など、著名な作家たちが手掛け、コミカルなものとは距離を置いた曲を提供して、このアルバムが作られたという。
植木等はこの時、不惑40歳で、当時としては立派に小父さんと呼ばれる年齢になっていたが、のびやかに、また丁寧に歌唱しており、大変に好感の持てる歌い方で、私の頭でっかちな曲の解釈など、撥ね退けられてしまうようだ。
「花と小父さん」 浜口庫之助:作詞・作曲 中村五郎:編曲 伊東きよ子:歌
<歌詞削除>
編曲家の中村五郎は、ハマクラ先生との仕事の他にも、多くの人と組み編曲をしている。また、作詞を手掛けたり、海外の曲の訳詞などもこなす多才な人でもある。
伊東きよ子は、私は不勉強ながらデビュー曲であるこの『花と小父さん』だけでしかその名を記憶していないが、この後も9枚のシングルを出し続け、70年代の前半まで活動していた。
発売されたシングルも、ハマクラ先生の他にも、作詞家では、橋本淳、山上路夫、寺山修司、安井かずみ、岩谷時子、千家和也、作曲・編曲家では、すぎやまこういち、筒美京平、村井邦彦、宮川泰、平尾昌晃、森岡賢一郎、クニ河内、馬飼野俊一、馬飼野康二、小谷充、渋谷毅など、歌謡界を代表する錚々たるメンバーによって作られており、所属の渡辺プロダクションの力の入れ方が、ひしひしと伝わってくるようである。
目鼻立ちがくっきりとした、相当な美貌の持ち主である。昭和22年1月24日、北海道札幌市出身。宝塚音楽学校に入学し、東宝のインターナショナル・ダンシング・チームのオーディションにも合格してダンスの世界に踏み出すが、まもなくアキレス腱を痛め、その世界を断念して宝塚も退学した。
その後、アメリカのフォークグループ “The New Christy Minstrels”への加入を経て、渡辺プロダクションと契約し、踊りから歌の世界への転身を見事に果たして、『花と小父さん』でデビューをしたということである。このデビュー・シングル盤のB面『愛のかけら』は伊東きよ子本人の作詞作曲による曲であった。
『花と小父さん』はその後、同じナベプロの天地真理がカバーし、藤圭子、畠田理恵がそれに続いている。そして、みのもんたが還暦の年、里見浩太朗が76歳の年になってカバーをし、今や小父さんを超えた、おじいさんたちによる愛唱歌の体をなしているようである。
-…つづく
第363回:流行り歌に寄せて No.168 「真赤な太陽」~昭和42年(1967年)
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