第644回:老人スキークラブ
去年の12月末日で仕事から解放され、完全に引退し、1月1日にソレッとばかりスキー場に直行しました。自分自身への引退祝いとして、2ヵ月間のスキー三昧を決めたのです。元々雪山やスキーが大好きなダンナさんに異論があるはずもなく、“モナーク(Monarch;大アゲハ蝶)”というスキー場のシーズンパスを買い、スキー場近くの村にアパートを借りたのです。
このモナーク・スキー場は国有林の中にあり、かつアメリカ大陸分水嶺にありますから、テッペンは丁度富士山の標高ほどあり、従ってメチャ寒く、シバレルのが難点ですが、その分天然の粉雪の量がとても多く、しかも国有林の規制でミダリに観光開発できず、自然がふんだんにある雄大なところです。
初めてスキー場ロッジのサロンというのでしょうか、“ピクニック・ルーム”と呼ばれているスキー靴に履き替えたり、持ち込んだスナックやサンドイッチ、魔法瓶に入れたコーヒーやお茶などを摂る大きな部屋で、1階なのですが、傾斜地のため半地下のその部屋に足を踏み入れるなり、「あなた方どこから来たの? 私はパット、あなたの名前は?」と、それこそ、一斉攻撃のように十余人に紹介されたのでした。
これはウチのダンナさんが、誰彼なく、ニコニコ元気に挨拶する傾向があり、その返り討ちとも言えますが、どこの誰が、幼稚園や小学校じゃあるまいし、その部屋に入るなり、「ハロー、エヴリバディー! 皆さん、サアー、思いっきりスキーを楽しもう!」…なんて切り出す人がいるもんですか…。しかも禿げた東洋人のオッサンが、40~50年前に義理のお兄さんから貰った、いかにもレトロそのもののド派手なスキーウェアに身を固め、スキーもスキー靴もすべて時代物で、まるでそのロッジの壁に貼ってあるスキー場開設当事、戦後間もなくのポスターから抜け出てきたかのようなイデタチで闖入して行ったのでした。
そこにいた老人スキー愛好会的な面々の方が、ド肝を抜かれたのかもしれません。ダンナさん、そんなことを意識してかしないでか、氷を一気に割るように、彼らの仲間に加えられたのです。おまけに、何をやっていたのかと、当然のように今までの仕事のことを訊かれましたが、私の方は教職をやっと退職した…で終わりですが、ダンナさんの方はヨットで過ごした経験を生かしてヨット・ブローカー、おまけに西部のアウトローたちのコラムを書き続けていたと言った途端に、さすがコロラド、テキサス(このスキー場にはテキサス人が多い)、オクラホマの爺さんたち(奥さんであるお婆さんはそれほどでもないけど…)、ワーッと群がるようにアウトローに興味を示し、自分の土地の近くにビリー・ザ・キッドの何がある、ドク・ホリデーが泊まったホテルに俺も泊まった…云々をやり始め、ダンナさん意図せずに話題の中心になってしまったのです。
階上のレストランやバー、カフェテリアに行かずに、持ち込んだ飲み物、お弁当などを広げることができる、控え室的なその“ピクニック・ルーム”に足を踏み入れた瞬間から、私たちは彼らの仲間として迎えられたのでした。
まず圧倒されたのは、彼らの明るさ、積極性、行動力です。猫背でうつむきかげんで互いに目を合わせないような教授会とは180度違うのです。アメリカではまだ、スキーはお金のかかるスポーツ、遊びと考えられています。実際、お金と暇がなければズーッと続けることはできません。十数人いる御老体スキー愛好会?の人たちは、長い仕事のキャリアと子育てを終え、100%自分がやりたかったことに打ち込むことができるようになった裕福層といえます。そればかりでなく、彼らが現役でバリバリ働いていた時も、子供や孫を連れ、スキーだけでなくアウトドアスポーツに親しんできたことが知れます。そして、彼らが社会的に成功した人たちなのに驚かされます。
NASAを退官したロケット・サイエンティストのリー。商業船の船長から船会社の株主になったイギリス人のキース。1970年代にアメリカで、ということは世界で初めてスキー場(ウィンター・パークという大スキーリゾートです)にスノーボードのコースを設け、スノーボーダー歓迎を打ち出したうえ、アクロバット的冒険スキーのドキュメンタリー・フィルムで有名なワレン・ミュラーに出演した草分けスノーボーダーのお婆さん、りンダ。技術屋あがりで趣味で飛行機、しかもフォルクスワーゲンのエンジンを使い、造り上げ、飛び(数度落ちたそうですが…)、時の人になったお爺さん、アート。それに左足が付け根から切り押したようになく、右足一本で鮮やかな滑りを見せるジム、彼は障害者の競技選手です。皆さん、実に多彩な前歴と趣味の持ち主ばかりなのです。しかも、自分を偉く見せようという態度は微塵もなく、皆、今、現在、その日その日のスキーを存分に楽しんでいるのです。「今日の雪は良いけど、霧、モヤには参った」とか、「新雪は最高だった」とかが主な話題になります。
今、気づいたことですが、彼らは現役として働いていた時の仲間、知人、同僚は全く連れ込まず、持ち込まず、このスキー場のこの部屋で出会ったという一点だけで結び付いている人たちなのです。もちろん、この山々、雪と自然が大きな共通の喜びです。一旦スロープに散ったら、お昼時か帰る時まで顔を会わせることなどないのです。
それに、病気の話はご法度というわけではないでしょうけど、話題になりません。スキーに関連した膝の痛みにどう対処するかが論議を呼ぶ程度です。
今日会ったお婆ちゃんは、とても小柄の小さい体格でしたから、結構派手なスキーウェアにヘルメット、ゴーグル姿で優雅に滑っている様は、まるで中学生のようでした。部屋に入ってきてヘルメットを脱いでビックリ、真っ白な髪、もう縮まり始め、曲がりかかった背骨で、歳を訊くと86歳だと言うのです。それを聞いてダンナさん、「貴女は私の女神だ!」と持ち上げたところ、クダンのお婆ちゃん、MJというニックネームですが、「アナタも私の歳まで滑ったら、男の神として私の横に座らせてあげる…」と即答したのでした。いつも冗談には冗談で返すウチのダンナさんも、完全に一本取られ、ひたすら感心していました。
彼らが生き生きと輝いているのは、一瞬一瞬を存分に生きているからでしょうね…。
-…つづく
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