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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第707回:ミニマリストの生き方

更新日2021/05/13


ミニマリストという生き方は、アメリカの膨大な消費文化に対して生まれたと言ってよいでしょう。1950~60年代に比べ、家の大きさ、新築の一軒の床面積は3倍近くになり、車3台のガレージは当たり前になりました。その広い空間をこれでもかとばかり電気器具、家具などで埋めています。

そんな傾向に対抗するように、ミニマリスト運動というのかしら、動きが現れ、とても小さい家、間口2、3メートル奥行き7、8メートルのコッテージ(cottage)が、これで十分以上だとばかり売りに出され、そんな家のための敷地、団地が結構人気を集めています。とは言っても、まだまだほんの僅かな人たちに受け入れらているに過ぎませんが…。

このミニマリストが流行り出したのは、消費する電力、水、出るゴミを少なくし、地球に優しい生き方をしようという理想論が元になっています。もちろん、郊外の団地の値段がうなぎ上りで、そんなところに住んで住宅ローンの返済に追われる生活を拒否する感情が働いているでしょう。

私の目から見ると、ミニマリストの家はなかなか立派級に見えます。というのは、私たちは長い間12メートルのヨットに住んでいたので、ヨットの中の狭い空間に慣れ親しんでいたからでしょう。エッ、ヨットに住んでいたの? 凄い!と言われると、実情からかなり外れてしまいます。ヨットの生活というより、水上生活者だったと言った方が当たっているでしょうね。

私たちの小屋、家はアメリカで超貧乏人が住む、ダブルワイドというモービルホームです。床面積は1000平方フィート(約93平米)あります。日本の古い住宅なら普通の広さかもしれませんね。でも、私の両親が住んでいた家は500平米近くあり、弟、妹たちの家は300平米内外ですから、アメリカの基準からするととても小さい家の部類に入ります。

そんな私たちの小屋に、同僚の先生、生徒さんたちを呼び、バーベキュー・パーティーをします。私の両親、弟、妹たち、甥っ子、従兄弟たち、仲の良い友達がさらに友達を連れて泊まりに来ます。小さな家ですから、収容人員(寝室は一つ、そこにベッドが一台だけ)が限られていますから、後はリビングにエアーマットレスを敷き、雑魚寝です。テントを二つ張り、そこに寝てもらったことが何度もありました。

たぶんにお世辞でしょうけど、この家に来たほとんどの人は素晴らしい体験だった、ミニマリストの生き方を見せてもらったなどと言うのです。中には、自身こんな生き方をしてみたかったなどと言い出す生徒さんもいます。
私たちはミニマリストであろうとしたことなど全くなく、ただ単に貧乏なだけなのですが…。
そして、こんな生き方が好きなだけなのです。決して人に羨ましがられるような生活をしているわけではありません。尽きるところ、自分に合った生き方、何を取り、何を捨てるかの問題になってくるのではないかと思います。

私自身、ヨットで水上生活者になるとか、山の中、森に囲まれて暮らすとか、想像も期待もしていませんでした。ウチのダンナさんに引きずられるように、今までそんな生活をし、それが案外私に似合っていることに気がついたのです。

そして、実際の生活に必要なものは、意外と少ないことを知ったのです。それより、貪欲に自分を楽しむことの方に生活の支点を移したのです。早く言えば、モノは要らない、経験にお金と時間(これ、引退した今、時間だけはタップリあります)を注ぎ込むかだけなのです。

とは言っても、私の友達や弟、妹の家から自宅(この山小屋のことです)に帰ってくると、その落差の激しさに軽いショックを受けます。彼らの家には、素晴らしい近代設備の粋を行くカクレンボができそうな広大な台所、きっと高価であろうソファーセット、ダイニングテーブル、椅子、大型テレビ数台に、凄い音響の装置などなど、モノが溢れています。酔いやすい私はモノに酔ってしまうほどです。

我が家に到着して、ドアを開け中に入た時、私たちの家がなんとも貧乏臭く見えてしまうのは避けられません。本当に貧乏家だから当たり前のことなのですが、その格差は一体何なのだろうと驚いてしまうのです。

もちろん、家もモノです。人間を入れるウツワです。要は、そこに住む人がいかに幸せであるか、それに満足しているだけの問題だと思うのです。

明治維新前後に日本を訪れた西欧人は、サムライたちが貧乏を全く恥としていないことに強い印象を受けています。ウチのダンナさんの祖先が、貧乏で鍛えられたサムライだったかどうか知りませんが、彼自身、超金持ちになった私の妹や友達が、私たちのボロ家に来ても、恥ずかしいという感覚が全く欠如しているのでしょうか、自分のやり方で大いに歓待するのです。

激安のワインを、これぞアメリカで手に入る最高のワインのように出し、テーブルが狭くなると、ワークショップから大きなベニヤ板を持ってきてテーブルに載せ、緊急大テーブルにし、それにシーツを掛けてテーブルクロスにし、有り合わせの材料でお料理するのです。

それが意外や意外、とても受けるのです。そして、こんな生き方もあったのかと、彼らに新しい目を開かせるらしいのです。中には、私たちのような暮らしをしたかったと言う人まで現れました。が、彼らがモノに囚われている限り、いきなり仙人の生活などできるはずもないのですが…。 

尽きるところ、消費文化、ファンシーな物質文化から抜け出し、本当に自分がしたい生活がどんなものかを見極め、実行するかどうかの問題なのでしょうね。

私たちの場合は、貧乏が身についてしまった結果、ミニマリストになっただけなのですが…。

ダンナさん、「俺たちゃ~、貧乏だけど貧乏人ではない…」と、なにやら諧謔(カイギャク、難しい言葉を辞書で調べました)的なことを言っています。精神生活の豊かさがあれば良い、ということなのでしょうか。ミニマリストにせよ、大邸宅に住む大金持ちにせよ、充実した精神生活を望むなら、その一本の線の上では同じだというのです。

平穏で充実した精神生活を送ることができる人なんて、今の世の中に実際にいるのかしら…。

私たちは、少なくともモノに拘らない、縛られたくない生活を維持しようと心がけているだけですが…。

-…つづく

 

第708回:“Qアノン”への恐怖 その1

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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