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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から
 

第809回:洞窟に住んでいたラウラ叔母さん

更新日2023/07/06


私たちが高原台地の森の中で暮らしていることは以前何度か書きました。
島国、しかも急峻な山の多い日本と違い、頂上があるのかないのか真っ平らな山というのか高原、2,000メートル以上の大きな台地が広がっていて、そこが谷間の平野とは異なる牧畜が盛んに行われています。谷間の平地は灌漑用水が網の目のように行き渡り、青々とした牧草畑があり、牛は牧草を食んでいます。

台地にも牧草地はありますが、灌漑できるところが限られていますから、牛はもっぱら放牧します。牛は山や国有林、はたまた私たちの所有地にまで自由に入りこみ、勝手に草を食べながらそいらじゅうを徘徊しています。ですから、この台地の牧場主は春先に一度牛どもを野山に放つと、冬の前に牛どもに全員集合を掛け集めるまで、ほとんど何もしなくて済みます。この放牧に広大な国有林も開かれます。その上、国有林の近隣にある私有地にまで侵入してきます。
 
私たちの地所は丁度そんなところにあります。フリーレンジと呼ばれている地域では、牛さん優先で、例え私有地でも牛は自由に出入りしても良い、もし牛に侵略されたくなかったら、自分の土地をバラ線を張った柵でグルリと囲め、ということになります。これは大仕事でした。

フリーレンジは西部開拓時代に設立された、大牧場主優遇法案ですから、山や国有地から牛を駆り出し集めるときに、一昔前なら、個々の牛の尻に付けた焼印で(今では耳にチップの入ったタグを使っていますが…)どの牛が誰のものであるかを識別し、平原にある牧場にそれぞれ追い込むのですが、これがいつも紛争の種になり、西部劇などのテーマになったりします。

私たちが住む高原台地でも、秋と春先に山に放牧してあった牛を集め(ランドアバウトと言います)高原にある各牧場へと移動させるのにぶつかります。牛の大群が道路を全面、長々と塞ぎ、車が通れなくなるのです。カウボーイが大忙しの季節です。

今では、流れカウボーイもキャンピングカーを引っ張ってあちらこちらの牧場を流れ歩くのでしょうけど、ひと昔前までは、流れカウボーイたちは牛舎、牧舎の中に麦ワラを敷き、そこに寝泊まりしていたものです。中には孤独を愛するカウボーイもいたのでしょう、この高原大地にたくさんある洞窟を常宿、仮住まいにしていた者も相当数おり、どこの洞窟も焚き火用に石を円形に積んであり、寝場所は平にして、小石などは綺麗に取り除いてあります。

私たちはこの界隈の洞穴を随分覗き歩きました。よく使われる古い洞窟は、上の方がかなり煤けていて、長年使われてきた様子が窺われます。壁や天井にそこに住んだ人物の名前年代など刻まれていて、興味を惹かれます。“James Robinson was here 1878.”とか彫られているのです。一体どんな人だったのでしょう? どんな暮らしをしていたのでしょう?

ですが、狩猟ハンターたちが侵入してきて、洞窟もすっかり様変わりしてしまいました。大層な物品を運び込み、同時に缶詰やインスタント食品を持ち込むのでしょう、そのゴミ、空き缶や空き箱が散乱するようになってしまいました。この高原台地の洞窟文化?を、狩猟ハンターたちが壊してしまったのです。
 
まだ一つだけ、昔?の面影を残している洞窟があります。ここから郵便局(箱型のトレーラーですが)に行く時、ダンナさんが自転車で行く時、心臓破りの坂と呼んでいる崖を切り開いて道路を作った箇所があります。その崖と谷を挟んだ反対側に洞窟が三つ、お行儀よく並んでおり、その中央の洞窟の入口は半分ですが、石を積み上げ、西陽と風を遮るようにさえなっているのです。かなり本格的な住居であることを思わせます。

そこが、この高原台地、グレードパークで歴史的著名人?(こんなところですからユニークな人は多いのですが、歴史的有名な人物、詩人、アウトローなどは出ていません)“ラウラ・ヘイゼル・ミラー(Laura Hazel Miller)”が住んでいた洞窟だとは知りませんでした。以下、ラウラ叔母さんのことは、ここグレードパークのコミュニティ通信と古い『デンバー・ポスト』(1948年12月の日曜版)紙の受け売りです。
 
ラウラ叔母さんは1866年7月23日アイオワ州で生まれました。このグレードパークの地所は谷間にあり、そこだけは水のないところには育たないと言われているコットンウッドが密生していますから、1年を通してクリークに渓流があり、地下にも豊かな水層があるのでしょう。この高原台地の乾燥地帯でこれだけいつも青々と茂っているところはありません。ラウラ叔母さんの土地はグレードパークの一等地です。この土地を1905年に“ホームステッド(開拓者にタダで土地を割り当てる法案)”で得ています。
 
彼女を覚えているグレードパークの住人も少なくなってきました。大きな牧場を営むキング夫妻は、ラウラ叔母さんの思い出をローカルコミュニティ紙に語っています。
ラウラ叔母さんの土地は、この高原台地では珍しく小川が流れているところです。逆にそれが災いして、春先の雪解け洪水で丸太小屋の家が流されてしまいます。前後するように、旦那さんと息子さんを事故で亡くし、ラウラ叔母さんは独り身になってしまいます。

当座の住居として、敷地内にある洞窟に住み始めたのですが、女手一つで小屋を再建することもできず、そのまま居続けたことのようです。キングさん夫妻は、ラウラ叔母さんをよく買い物に連れて行ったと語っています。それが1944年から1950年にかけてのことですから、ラウラ叔母さん、近所の人たちに助けられながら洞窟で一人暮らしを続けていたようです。いくら洞窟が想像する以上に快適だとはいえ、前面が開いていますから、冬の寒さは想像に余りあります。大きな薪ストーブを中央に据えてはいますが、ほとんど吹きっさらしの野宿みたいなものです。

『デンバー・ポスト』の記者がラウラ叔母さんを訪問した時、ラウラ叔母さんは87歳のお婆さんでしたが、ラウラ叔母さん、とてもそんな歳には見えず、頭脳明晰でインテリだという印象を受けています。
 
ラウラ叔母さんはインディアンの血は入っていませんが、ユートインディアンのバスケットを巧みに作り、それをグレードパークの雑貨屋に同居している郵便局、ザ・ストアに並べてもらい、売っていました。大した現金収入にはならないでしょうけど、そのお金を洞窟の中に備え付けた棚に置いた大きな広口瓶に入れていたそうです。また彼女は、野菜、グリーンピース、コーン、それに果物を自分で大量に瓶詰めにして貯蔵していたと言いますから、機械類なしに彼女一人で耕せる畑、何本かの果樹、そして何頭かの乳牛で自給自足に近い生活を成り立たせ、戦後になっても、まるでパイオニアの暮らしをしていたようなのです。

その上、ラウラ叔母さん、産婆さんとしても活躍していました。グレードパークにお医者さんはいません(現在でも)から、急に産気付いても処置のしようがなく、ラウラ叔母さんに来てもらうしかありませんでした。恐らく、アイオワ州に住んでいたムスメ時代、看護学校に通っていたのでしょう、アメリカの正看護婦の資格を持っていましたから、産婆さんとしてだけでなく、簡単な治療、手当てを住民にし、重宝がられていました。

ラウラ叔母さんに直接会い、ゆっくり話を聞きたかったと思います。

超タフなお婆さん、96歳、1962年の冬に亡くなりました。

 

 

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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