第177回:テーブルマナーと歩き食べの習慣
アメリカ人のテーブルマナーは動物園のゴリラ並だと、よく言われます。 イギリス人がテーブルマナーにうるさいのは食べ物の不味さをごまかすためだとも言います。とはいえ、アメリカ人でも、家やレストランできちんと食卓についている時は、日本人のお酒の席と同じ程度の最低限度のルールというのでしょうか、マナーが守られているようです。
しかし、家族一同がきちんとテーブルに揃って食事をする機会がどんどん少なくなっています。日本に行って朝、昼、晩、全員家族が揃って「イタダキマース」と食事を始めるのはなんと素晴らしいことだと思わずにいられません。
アメリカ人の家庭では、朝ご飯はコールドシリアル(コーンフレークのように工場で作られたプロセス食品)に牛乳をかけてかき込むのが一般的で、それぞれ自分の出勤時間、登校時間に合わせ、別々の時間に食べて出かけて行きます。
お昼はファーストフーズかテイクアウエイ(日本ではテイクアウトですね)、または学校、会社のカフェテリアで済ませ、唯一、家族揃って取るはずの晩御飯も、週に1回か2回全員が揃えば良いほうでしょう。彼らの言い分は、「皆それぞれに忙しく、異なった時間帯で動いているから、しょうがない」というのです。それに加えてテレビを見ながら食事を摂ることが多く、家族の対話どころか食べ物を味わうこともなおざりにされています。
日本やヨーロッパに比べ、アメリカ人ははるかに歩きながら食べたり飲んだりしてるのは確実です。日本やヨーロッパでどうにか許されているのはソフトクリームと焼き栗くらいのものでしょうか、ところがアメリカでは、伝統的なハンバーガー、ポテトチップ、ホットドック、それにピッツアも歩きながら食べることができるサイズと包み紙が工夫されていますし、メキシコ料理のタコスやブリート、最近流行のラップと呼ばれるナン、チャパティのような薄いパンケーキで肉野菜お好みのものを丸めて包んだもの、歩きながら食べる食品全盛の感じなのです。
もともと、アメリカ人のチューインガムは世界中で有名でしたし、その後、スターバックが出現しコーヒーをどこでも持ち歩き、飲むようになった下地があったことは確かです。私が学生だった40数年前に車の中では大いにハンバーガーやソフトドリンクなどを飲み食いしていましたが、まだ、商店街や学校のキャンパスを歩きながら食べている人は見かけませんでした。
ところが、今では教室の中まで飲み物、食べ物が侵略してきています。私の勤めている大学では、建物の中は全館禁煙ですが、食べ物、飲み物の教室への持ち込みは個々の先生の判断に任されています。大半の先生、私もそうですが 教室内での飲食を許しています。というのは、10時から午後の2時3時までぶっ続けで授業があり、昼食の時間が取れない学生が結構いるからです。
コーヒーやコカコーラなど飲み物、棒状のスナックを食べる学生さんは全体の30パーセントくらいいるかしら。時々本格的なお昼ご飯を持ち込む学生がいて、ギョッとさせられます。昨日、日本語の授業にスパゲティーミートソースに臭いの強いパルメザンチーズをたっぷりかけたものを持ち込んできた女性の学生さんがいました。教室中に臭いが広がり、男の学生さん、覚えたての日本語で、「センセイ、ハラヘッタ」と言い、大いに受けていました。
こんな状況ですから、アメリカ人にとって、「テーブルマナー? それ何?」になってしまうのは当然のことかもしれません。
「東京ソナタ」という映画の中で、お父さんが食卓に着き、ハシを上げるまで、反抗期の息子までが、お預けをくった犬のように食卓でジーと待っているシーンがありました。日本の「頂きます」「ご馳走様でした」は素晴らしい習慣です。そのような表現、習慣は私の知っている数ヵ国語にはありません。食事の時の礼節は毎日のことでもあり、大切な文化の一部だと思います。
ここまで書いて、ウチの元日本人らしき仙人に読んでもらったところ、「お前、温泉バスのこと忘れたのか?」と言われました。私たちが日本に帰るとダンナさんの家族全員連れ立って一、二泊温泉に行くのが恒例になっています。その時、バスに乗り込むやいなや、バスが動き出す前に、皆が皆バリバリ、ゴソゴソとお菓子、飲み物を引っ張り出し、食べ始めるのです。「あれが、礼節のある文化と言えるか?」と言われてしまいました。
食事は人目を隠れて行い、セックスは公衆の面前で行うという、現代の私たちと全く逆のモラル感覚をもったトロブリアンド島の人々を紹介した文化人類学者マリノフスキーは、これだけ簡単明快な事実があるのですから、私のアメリカ歩き食べ文化、日本礼節文化論より、比較文化論がやりやすかった? と結論付けに失敗したエッセーの言い訳にもならない言い訳にします。
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