第122回:ハンブルゲッサ “ミモ”のこと その2
ペドロを初めて『ハンブルゲッサ“ミモ”』で見た時、彼は中肉中背の体型だった。ところが、ほんの2、3ヵ月でアレヨアレヨと言う間に下っ腹が出てきて、立派なビール腹を突き出して、ウエイター業をこなすようになった。朝食をビール一杯で始め、一日中飲み続けている様子だった。その割りに、酔っ払うことはなく、マメにテーブルの間を動き回り、注文を取り、テーブルを拭き、散らかった紙の皿やコップを片付けていた。
彼の接客態度にはどこか尊大なところがあり、私たち同業者に対しても、自分は今こんなことをしているが、お前たちと同じレベルの人間ではないぞ…と、常に自分を優位に置こうとしている臭気が漂っていた。そんな態度は、腹が突き出てくるに従ってますます顕著になってきたのだった。
ペドロが公然とルーフィーの腰に手を回しているのを見た時、アレッ? マサカと思った。ルーフィーは細めの小さな泣き顔の持ち主で、可愛らしさを残しているとは言え、二人の子供を持つ、おそらく40歳に近い中年だった。顔の小ささとは反比例するように、首から下はデーンとした典型的なラテン系のオバハン体型になりつつあった。一方のペドロは20代後半だったと思う。
イビサ港から旧市街を望む
ペドロが『ミモ』のオーナー然として、店を取り仕切るようになるのは早かった。その辺の事情はジョルジュが『カサ・デ・バンブー』にやってきて、報告というか愚痴をこぼしたので、インサイダー・レポートとして詳しく知った。同じゲイ、ホモ仲間意識からか、聞き上手のギュンターがジョルジュの相手になり、イビサ港界隈での痴話を聞き出し、知ったのだった。
ペドロはハンバーガーのメニューを変えた。サイズを大中小にし、バンの大きさもそれに応じ、その上焼き方もステーキ並にウエルダン、ミディアム、レアとし、ポテトチップも大中小のサイズに分けて注文を取ることにしたのだ。ジョルジュは、「あんな小さなハウラ(jaula;掘っ建て小屋、鳥かご)の一人しか入れない台所でそんなことできるわけがない…」と、こぼすのだった。
もうルーフィーは何でもペドロの言いなりで、メロメロだと言うのだ。ルーフィーの中で母親の部分が徐々に減り、ほとんど消滅し、女の部分が大幅に占めるようになったのだ。そんな枯れない女と男のチスメ(chisme;スキャンダラスな噂話、ゴシップ)には慣れっこになっているイビサでは、さしたる話題にもならなかった。
ところが、シーズンオフに店を閉めてすぐに、ペドロが売上をすべて持ち逃げしたのだ。総額がいくらだったかは判然としないが、ルーフィーと二人の子供の半年分の生活費が消えたのだった。ルーフィーとは顔見知り以上の同業者意識があったが、彼女はペドロの愚痴を一切こぼさなかった。ジョルジュと息子の方が憤り、もしペドロがイビサに舞い戻ってきたら、港にぶち込んでやる…と息巻いていた。
グァルディア・シヴィル(Guardia Civil;治安警察)の制服
次のシーズンがセマナサンタ(イースター)を機に始まった。なんと『ミモ』の店の前に、さらに太ったペドロがいたのだ。ジョルジュは『ミモ』を辞め、台所にはルーフィーが入っていた。父ちゃん、母ちゃんショーバイの典型に落ち着いた…と思っていたのだが、それも、イビサの港、旧市街の歴史に残る乱闘が起こるまでのことだった…。
私は目撃していないが、ペドロとルーフィーの息子がハデな立ち回りを演じた様子は様々なバリエーションでイビサすずめの口に上った。互いの胸ぐらを掴み、テラスを転げ周り、テラスのテーブル、椅子をひっくり返すは、ルーフィーが泣き叫ぶは、座っていた客は逃げ惑い、あるいは止めようと間に入ったりの修羅場になったと言うのだ。
一体、スペイン人は血の気が多いと言われているが、鼻が触れ合うほど顔を付き合わせて、口喧嘩、しかも激しい言葉を投げ付け合うが、手を出さない。十余年スペインに住んだが、殴り合いどころか掴み合いの喧嘩を観たのはたった一度、それもアメリカ人とドイツ人だった。
手を先に出したら、そのまましょっ引かれ、相当な刑罰を食うからだとか、暴力は一手に官権が握っていて、民衆には許されていないからだとか、根強いカソリックの拘束だとか言われているが、どんなに激しく罵り合っても手だけは出さない。とりわけ、フランコの時代、その後彼の残影がある時代までは、と過去形が当たっているかもしれないが…。反面、警察、とりわけグァルディア・シヴィル(Guardia Civil;治安警察)が警棒で市民を文字通り滅多打ちにしているのは何度も目撃した。
何が原因でペドロとルーフィーの息子が乱闘を始めたのか、100の理由があってもおかしくない状況だった。いつ爆発するかは時間の問題だったと言える。どこの国でもそうだと思うが、官権は家庭内の問題に関与したがらない。家庭内暴力がはびこり、蔓延することになる。泣く子も黙る恐怖のグァルディア・シヴィルも家庭内の問題には立ち入らない。二人は市の警察にしょっ引かれはしたが、起訴はされなかった。
数日、『ミモ』は閉店していたが、顔にアザをつくり、手に包帯を巻いたペドロが陣頭に立つようにハンバーガー屋を再開した。ルーフィーは一挙に10歳も年を取った表情で焼けた鉄板の前で汗だくになっていた。その後、ルーフィーの息子の姿を見かけなくなった。叔父を頼ってヴァレンシアに行ったということだった。『ミモ』は完全にペドロが取り仕切る店になり、ルーフィーは太り、まるでペドロの母親のような様相になった。
浅黒いペドロはよくヒターノ(gitano;ジプシー)と間違えられたが、純血のヒターナであるカルメン叔母さん(洗い場の方のカルメン)は、「あれほど悪い血を持ったヒターノはいないよ。あんなのがいたら、家族郎党内でシマツするよ…」と言っていた。
第123回:押し売りと訪問者たち
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