第26回: 公爵夫人とアントニオ
メンチュはどれくらいの時間と労力を重ねたら、こんなにきれいに日焼けできるのかと思わせるほど、顔、全身満遍なくほとんど茶褐色に焼いている。年齢不詳とは言っても、若造りした30歳後半から40代にかけてという意味だが、イビサ常駐組の女性だ。『カサ・デ・バンブー』の真下の入江で日光浴をした後、カンパリ・オレンジを飲みによく店に来た。
細面の顔は美人と言えなくもないが、すでに歳を覆い隠す術のない小じわが目尻、口元、首筋を覆っていた。ラテン系の女性の顔と体のアンバランスにはいつも驚かされるのだが、メンチュも細く小さい顔に不釣合いな大きな腰と胸を持っていた。
こんなことを私が知っているのも、『カサ・デ・バンブー』の眼下のビーチで、彼女はいつも素っ裸で日光浴をしていたし、『カサ・デ・バンブー』へも腰にパレオ(更紗)を巻いただけでやってきたからだ。
メンチュは少し間延びしたようにゆっくりとした話し方で皆に接し、スペイン語の会話を生き生きとさせるタコス(tacos;罵詈、下品な表現)などを会話に交えることはなかった。いつも丁寧に人と接していたように思う。ただ、歩き方だけはマリリン・モンローまがいで、大きなヒップを揺らしながらクネクネと歩くのだ。

イビサ旧市街の場末の通り
メンチュは港の奥まった袋小路に『公爵夫人』(La Duquesa)というバーを持っていた。「明け方までやっているから、一度来てね!」と呼び掛けられ、商売仲間の義理と興味本位で、早めに店を閉めた時に寄ったことがある。旧市街によくある間口が狭く、奥へ長細いバーで、客は外のテラスだけがゆったりと居座ることができる小さな酒場だった。
こんなところのアガリで生活し、私の店で散財というほどではないにしろ、お金を遣い、しかもその年々の最新の流行ファッションを着こなすことができるのかと、不思議に思ったのを覚えている。
イビサでバー、カフェテリア、レストラン、ブティックなどの自営業を商っている人たちの世界は存外狭く、2、3年目には大概顔見知りになってしまう。イビセンコ(イビサ人)や主にアンダルシアからの出稼ぎ、下働き組とは別の一種の仲間意識が生まれ、互いに競争はするが、イビサの市役所やお役所関係にはまとまって交渉するのが効果的で、そんな時には一挙に団結することが多かった。
イビサの旧市街で小アキナイをする云わばヨソモノ同士は、自然と互いに“アイツは何者なのだ?”と、お里が知れ渡ることが常だった。
メンチュのやっているバー『公爵夫人』は100%彼女の道楽商売で、バルセローナにいる別れた夫が彼女を追い払うために利益を度外視してやらせているということだった。その別れた夫が何とか“公爵”の末裔か何かで、メンチュが元公爵夫人なのは確かなようだった。それにしても、離婚したか別れさせられた元の夫の爵位をこんなちっぽけなバーの看板にしているメンチュの精神の貧しさを知って寂しく思ったことだ。
それに、彼女は相当の色情狂でアル中だという評判だった。「オマエ、あいつには気をつけろよ、色で釣られたら、その後は骨身までしゃぶられるぞ」と、余計な忠告をしてくれた知人が幾人かいた。
何時頃からか、メンチュはアントニオをつき従えて歩くようになった。そうなのだ、あのギター弾きのアントニオ、ウチの洗い場でピンチヒッター的に時折働いて貰っていた、素晴らしい歌い手のアンヘリータの兄のアントニオがメンチュの相方になったのだ。
アントニオはいつもメンチュから数歩下がり、メンチュの影のような存在になった。メンチュが長い間、日光浴をしている間も、木陰でギターを爪弾いているのだった。アントニオの仕事はメンチュが日光浴をする時、優しく丁寧にむしろオズオズと彼女の全身にローションを塗ることだった。
思えば、メンチュは如何にも親しげに誰彼なく挨拶するのに対し、アントニオと言葉を交わしているところを見たことがないことに気が付いた。サッカー場での披露宴で、人前で堂々とギターをかき鳴らしていた自信に満ち満ちたアントニオが、メンチュにはどこかオズオズと恥ずかしげに、彼女の影のように付き従っているのだった。

Bambu前の入江の海岸、岩場でも日光浴を楽しんでいる
一度、私は『カサ・デ・バンブー』の真下の入江から200か300メートル離れた、全く人目に付かない、私たちがプライベートビーチと呼んでいる(もちろんその狭いビーチは私のものではないのだが…)ところまで泳いでいったことがある。そこへ行くには、急なジグザグの崖を降りるか、泳いでいくしかない。そこに、メンチュとアントニオがいたのだ。ご他聞に漏れず、メンチュは素っ裸なのは当然だとしても、このビーチまではギターを持ってこられなかったアントニオも素っ裸だった。
一体、男は、ぺチャパイの女性が豊満な胸を持つ女性に羨望と嫉妬を感じる以上に、持ち物のサイズに拘る。思わず自分の息子と大小を比べるのだ。私自身にペニス・コンプレックスがあるとは思っていない。が、それにしてもアントニオの性器は巨大というか雄大で、大きな弧を描き悠然と垂れ下がっていたのだ。日本の銭湯、学生寮での風呂場、部活の後の更衣室で目にしてきたモノとは次元が違うのだった。アントニオはそれを誇るでもなく、手足のようにあるに任せ、揺れるに任せているようなのだ。
私だけでないと思いたいのだが、男はあのような、アントニオの持ち物のような壮大で罪深い色あいの一物を目の前にすると萎縮してしまうものだ。“とても敵わない”と訳もない負け犬根性が出てしまうのだ。水から上がったばかりの私のモノは縮み上がっていたという苦しい言い訳はあるにしろ、アントニオのはそれだけで存在感があり、伝説の一つや二つが生まれてもおかしくない形相なのだった。
二人が私に声をかける前に、私は意味のない挨拶、「今日もまた素晴らしい日だな」とか言うと、即座にメンチュは、「オラ! タケシ、そうよね、最高の空気、海の水だわね」、続けて、「私たちと一緒に太陽を浴びない?」と誘いかけてくれたのだ。
私は当初、ここで少し体を温めてから泳いで帰るつもりだったが、「店開きの時間だから…」とか言って、すぐに逃げるように泳ぎ帰ったのだった。
-…つづく
第27回:イビサの皇族たち ~ユーゴの王女様
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