第17回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 6
スペインに突然変異のように突出した大天才が現れることがある。絵画や音楽の分野でそれが著しい。系統的、理論的に物事を突き詰めていくことが不得意とされているラテン的気質だが、逆に優れた直感的ヒラメキがあり、いきなり物事の本質を掴む人間が出てくるように見える。
José Ortega y Gasset
ここにもう一人の巨人、ホセ・オルテガ・イ・ガセット(José Ortega y Gasset;1883-1955年)の名を出さないわけにいかない。
ホセ・オルテガ・イ・ガセットがほとんど書き散らすように対象にした分野は呆れるほど広く、オイオイ、お前は一体何屋なんだと言いたくなるほどのものだ。彼の野次馬とも見える関心の広さは、彼の父親が主幹となって発行していた新聞『エル・インパルシャル』(El Imparcial;1867-1933年)に若い時分から寄稿していたせいだろうか、ともかくその対象は人生哲学(生の理念;Razon vital)が元にあるにしろ、芸術一般、ゴヤ、ベラスケス、ガリレオ、ドンファンからヨーロッパ史に及び、そして、また出ましたよ、ドン・キホーテ論(チョット、信じられないけど、彼は7歳の時にドン・キホーテの全文を暗誦したと言われている)、それを演繹する型で生まれた“大衆の反逆”と“無脊椎のスペイン”に繋がり、スペインで王政が崩壊した後、共和制を支持するだけでなく、自ら憲政議会の議員にまでなっている。この時期にウナムーノと意気投合している。ウナムーノがアンダイエで『自由ノート』を発行していた時代だ。
私に、ホセ・オルテガ・イ・ガセットを語る資格なぞ全くないのは承知の上で言わせて貰う。第一、私は彼の膨大な量の著作のすべてに目を通したわけでもなく、2、3の代表作を斜め読みしたしただけだ。それを以って、彼の生涯を鳥瞰図的に眺めたのだが、それでもこの巨人は、スペインの血を持った汎ヨーロッパ人と言うことができる。
長いドイツ留学、アルゼンチンへの亡命、スペインに帰国する前にしばらく滞在したポルトガルから、挑発するようにスペインに向けて論評を発していた。外からスペインを観、客観的にスペイン全体を診断できたのではないかと思う。
ホセ・オルテガ・イ・ガセットが熱狂的に共和制を支持していたことは間違いない。と言うことは、正面切ってフランコの独裁政権に刃向かっていた。が一方で、ボルシェビキ・ロシア革命(レーニン主義のプロレタリア革命)をフランコのファシズムと同様に“野蛮な原始状態に引き戻す政体”と唾棄した。
彼自身、自分の思想 哲学を体系的に構築しようと意図していなかったように見える。そんな系統的なことはドイツ人に任せておけば良い、俺は感性の赴くままに右も左もブッチギルだけだとでも言うように、哲学、国家論、芸術論、ゴヤ、ベラスケス、ドンファン、ガリレオについて語り、歴史(主にヨーロッパ史)に弁論を張り、とりわけ現代文明論を展開している。
Manuel Azaña Díaz
彼は共和国連合政権、アサーニャ政権(1936-1939年)を支持していた。憲政議会のメンバーになってもいる。マヌエル・アサーニャ(Manuel Azaña Díaz;1880 -1940年)自身、豊かな中産階級の出身で、左寄りの知的エリートだった。言ってみれば、叩き上げの共産党員やアナーキスト、メンシェビキ(少数派)たちをまとめるだけの力量がなかった。だが、あの時期のスペインの混沌とした政情を纏め上げることは誰にもできなかったと思う。その間隙を突くように、フランコ反乱軍がスペイン全土を制覇したのだが…。
市民戦争前のスペインは、中世をそのまま引きずっているような王政、封建社会だった。文盲の貧しい農民や炭鉱労働者が何百万単位で中産階級を食わしていた。
私がスペインを訪れた1970年代になっても、識字率は低く、新聞や雑誌、本を読む階層と生涯一冊の本も目を通したことがない層の断絶は大きかった。後年、私がイビサ島でカフェテリアをオープンした時、下働き、皿洗いをしてもらったアンダルシアからの出稼ぎ組は、ウェイトレスに抜擢したアントニア以外、揃って自国語が読めなかったし、書けなかった。
スペイン語はわずかな例外はあるにしろ、スペル通りに発音すればよいから、日常的な読み書きだけなら簡単な言語だ。英語のように一つひとつの単語の綴りと発音を覚えなければならない言語ではない。極言すれば、ローマ字が読めれば、意味はともかく声を出して、読める言葉だ。
スペインの階級社会は貧富の差だけでなく、知的レベルで絶望的なギャップがあった。だから、ホセ・オルテガ・イ・ガセットが、大衆を“要求ばかりしていて、社会に対する義務感がない”と、今読むと、まるで大衆を侮蔑しているかに響く言葉を吐いているのは、その時代の下層階級を規定しているだけなのだろう。アメリカのケネディー大統領が、「国が君たちに何をしてくれるかではなく、君たちが国に何ができるかを問うべきだ」と演説したルーツは、オルテガの“大衆の反逆”に繋がっているのではないか。知的エリートが民衆をリードしていくというパターンでは、とても階級闘争に繋がらない。
日本語に翻訳されているホセ・オルテガ・イ・ガセットの著作は膨大と言っていいくらいの量だ。日本でどうしてこれだけ人気?があるのか不思議なくらいだ。
だが、ここにスペイン市民戦争の歴史で書き落とすことができない、炭鉱労働者の娘、熱血漢、ドロレス・イバルリ・ゴメス(Dolores Ibárruri Gómez;1895-1989年)が登場する。
第18回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 7
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