マドリード州は人口約550万、うち約350万人がマドリード市内に住む。なので中心部では、東京と同じくらい家賃が高い。そのかわり市内を少し離れると、たとえば北の外れの成増あたりの我が家からだとほんの10分も車を走らせたら、いきなり茫漠たる荒野が現れる。あぁ、ドン・キホーテの地なのだなぁ、と思い、いつも胸が震える。よく考えると、ドン・キホーテって読んだことないのだけど。
知人から、マドリード州内の小さな町に、ピカソ美術館があると聞いていた。それは町役場の地階を利用してオープンした、小ぢんまりとしたミュージアムなのだそうだ。行きたいなぁ行きたいなぁと思いつつ、どうも近すぎて機会を見つけられないでいたのだが、前回ゴヤの話をした余勢を駆って、当日の朝11時にいきなり心を決めた。
町のツーリスト・インフォメーションに電話する。「ピカソ美術館には、どう行くんですか?」「あぁ、すぐわかるわよ。小さなところだからね。バスを降りたら村の広場に行きなさい、そこにあるから」 教えられたように、マドリード近郊バスに乗る。4.19ユーロ。枯草色の海のような大地、岩肌を剥き出したノコギリ山の連なりなどダイナミックなランドスケープの中を進むこと1時間半後、私は町の広場に立っていた。
町の名前は、ブイトラゴ・デル・ロソヤ。マドリードから75km北にあり、人口はわずか1500人足らず。こんな小さな町もローマ時代に建設されたのだそうだ。ローマ人は、本当に頑張ったよなぁ。こんな辺境も、ローマ時代から町だらけだなのもの。その後アラブの支配を受け、キリスト教の支配下に入った中世には商業で栄え、14世紀には城塞も築かれた。
廃墟と化した城塞
広場の奥に2階建ての、まるで公民館のような町役場がある。開けっ放しの木の扉から入る。誰もいない。間違ったかと思ったが、ちゃんと案内板がある。「オラァ、コンチハァ、入りますよぅ?」などと小声で様子を窺いながら、恐る恐る足を進めた。地階ということなので、ともかく突き当りの階段を降りてみる。
と、やっと入り口らしきものが現れた。こちらもドアは開けっ放し。カウンターのPCで作業をしていたお兄さんが手を止めて、「さ、どうぞ入って」と、ニッコリ微笑んだ。なんだかまるで、自宅に遊びにきた友人に対するかのような口調。入館は無料だし、とてもフレンドリーな雰囲気。「えっと、何時までですか?」「2時だけど、いいよ、終わるまで待ってるから」 あら、町役場なのに、なんてお役所的じゃないお言葉。お礼を言い、すっかりあたたかい気持ちで奥に進む。
町役場内の案内板
この美術館が収蔵するピカソのコレクションは、油彩画、水彩画、リトグラフ、陶器などの約60点。どれも、エウヘニオ・アリアスさんの寄贈によるものだ。
エウヘニオは1909年に、このブイトラゴに生まれた。9歳まで学校に行き、あとは床屋さんとして働いていたという。そんな彼にも、あの日が訪れた。1936年、スペイン内戦勃発。詳しくは書いてないがおそらく人民戦線側だったのだろう、彼は最終的にフランスに追放され、第二次世界大戦中は対独ゲリラとして活動していたらしい。
1946年、彼は妻とともにフランスのコート・ダジュールの町に落ち着き、床屋さんを開く。そこで偶然にも、ピカソと知り合ったのだといわれる。フランコ将軍率いる国民戦線に加担したナチスによる無差別爆撃『ゲルニカ』を描いたピカソもまた、安住の地として南仏を選んでいたのであった。偉大な画家と、一介の床屋さん。しかし二人は同胞として、友情を深めていったのだという。
ふたりがそれぞれに対峙した内戦は、あまりにも大きくふたりの人生を、そしてスペインを変えてしまった。目の前の青い地中海は、間違いなくピカソが青春を送ったバルセロナや生誕地のマラガに続いている。ピレネー山脈を越えるとやがて景色は茫漠たる荒野になり、そこにはエウヘニオの故郷ブイトラゴや、ピカソがベラスケスやエル・グレコの絵に感動したプラド美術館のあるマドリードがある。しかし、フランコの独裁が続く中、故郷に帰ることはできない……。
もしも私が日本に帰ることができなくなったらとしたら。ふたりの悲しみと友情とに思いを馳せてみたら、胸がきゅっとつかまれたような思いがした。
美術館には、ピカソが親友エウヘニオに贈った様々な作品が展示されている。その中に、木の箱に焼き画を描いたものがあり、なにかと思って見たら散髪セットだった。もちろん、エウヘニオだけに捧げたオリジナル。でも決して高級なわけではなく、存分に使い込まれたその箱はとにかく素朴で、素敵。この図柄が、案内板に使われていた。
他の作品にも、「アミーゴ・エウヘニオへ」「偉大なる友・エウヘニオへ」という文字やイラストが、カラフルな色彩で躍っている。ある新聞記者は、この美術館のことをこう評したという。「ここは、芸術と友情に捧げられたミュージアムだ」 賛成。
2時少し前に鑑賞を終わり、カウンターのお兄さんと話す。来館者はほとんどマドリードからだが、ピカソに興味のある外国人観光客も少なくないとのこと。来て良かったです、と言って立ち去ろうとした私の脇をすり抜けて、7、8歳くらいの女の子が入ってきた。さっき、上の広場で自転車を乗り回していた子だ。「また来たよー!」と元気に言いながら、奥の展示スペースへ入っていく。なんて身近なピカソ。
町役場の外に出る。パンを片手に持ったおばさんや自転車を乗り回すちびっこで溢れる小さな広場を横切りながら、思った。そういえばピカソが描いたドン・キホーテも、常にサンチョ・パンサと一緒だったのではなかったっけ? なんか、友情っていいなぁ、とかなんとか。角を曲がろうと見上げると、そこには「ピカソ広場」という表示があった。2003年の7月、そこには平和そのものの光景が広がっていた。
Museo Picasso
Plaza de Picasso,1
28730 Buitrago del Lozoya(Madrid)
918-680-056
入館無料