夜明けの散歩を楽しみ、市内電車と渥美線に乗り、満足して豊橋駅に戻った。寒いけれど晴天で、日の当たる座席は心地良かった。これだけ充実した時を過ごしても、まだ朝9時すぎである。このあと、名鉄(名古屋鉄道)の広大な鉄道網のうち、東側の路線を旅する予定だ。そこには3月末で廃止される区間が含まれている。
名鉄の窓口で『まる乗り1DAYフリーきっぷ』を購入する。この切符は3,000円で、名鉄の路線すべてに乗り放題となるほか、10時から16時までは特別料金なしで
"特別車" に乗れる。特別車とは、特急列車に連結された指定席で、リクライニングシートになっている。JRでいうところのグリーン車のようなもので、名鉄名物の先頭車展望席も特別車だ。料金は1回の乗車あたり350円。それがこの『まる乗り1DAYフリーきっぷ』だと日中は無料になる。
10時まで待って、その特別車に乗ってみようと思ったけれど、なるべく多くの路線に乗るために先を急ぎたい。JRと名鉄共用の改札口を通り、3番線ホームに向かう。名鉄の名古屋駅はJRの駅に内包されており、1番線、2番線がJR飯田線、3番線が名鉄、4番線以降がJR東海道線となっている。平行する路線を走り、ライバル関係であるはずの名鉄とJRが、豊橋駅では同居している。
もともとは飯田線も豊川鉄道という私鉄であり、名鉄の前身の愛知電鉄と線路を並べていた。その後、両方の会社が提携して、単線2本を複線として使い始める。両者は戦時統合で名鉄となったが、飯田線だけが国鉄に買収されてしまい、名鉄が取り残された。地方鉄道の栄枯盛衰の結果、東海地区で大勢力を築いている名鉄が、この豊橋ではホーム1本という境遇だ。本線の終着駅なのに。
特別料金なしで展望車に乗る。
その3番線に、真っ赤なパノラマカーが入ってきた。先頭車の運転席を2階に上げ、1階の最先端を展望座席にしつらえている。小田急ロマンスカーよりも僅かに早くデビューしたため、日本発の展望電車として名鉄を全国的に有名にした銘車である。子供の頃に絵本で見た憧れの電車が、いまここにいる。そう思うと嬉しくなり、先頭車両まで走った。なんとしても展望車に乗りたい。
まだ10時前だから、特別車に乗るには特別料金が必要だ。しかし、このパノラマカーは特別料金はいらない。ややこしいが、この車両は老朽化したため、新型の特急電車と交代し、現在は特別料金不要の急行列車に使われているのだ。時間帯によっては各駅停車としても走っているという。こんなに贅沢で楽しい電車に特別料金なしで乗れるとは、名鉄の沿線に住む人が羨ましい。毎日パノラマカーで通勤できるなら、名古屋に引っ越したいと思う。
けれど、展望席の乗客は少なかった。中間車の乗客が多い。地元の人々にとって、旧式のパノラマカーは珍しくないのかもしれない。眺望よりも、駅の出口に近くて便利な位置を好むようだ。
展望車の眺め。
パノラマカーがゆっくりと走り始めた。豊橋駅の構内は線路が複雑に入り組んで興味深い。駅の共有だけではなく、豊橋から先の一部の区間において、片方の線路がJRの所有で、もう片方の線路は名鉄が持っている。そして、愛知電鉄と豊川鉄道の頃から変わらず、現在も名鉄とJR飯田線が複線の線路を共有している。だから、すれ違う列車がクリーム色の飯田線だったり、赤い名鉄だったりする。相互乗り入れのような、そうで無いような、妙な場所だ。途中に飯田線の駅がふたつあるけれど、名鉄電車は通過する。
一般の人にはどうでもいいことだけれど、私にとっては珍しくておもしろい。どちらかがダイヤを改正するときは、きちんと調整しなくてはいけないはずだし、保線や信号の段取りはどうなっているのだろう。鉄道はきちんと段取りを組まねば動かない、頑なまでにシステム化された交通機関だと思っていたけれど、そのシステムは、きちんと調整すれば、意外と融通が効くのだ。決まりごとだらけで不自由な会社や組織は、これを見習うべきかもしれない。
前面展望は楽しいけれど、10分も経たずに降りるべき駅、国府に着く。せっかく特等席を確保できたし、一日乗車券を持っているから、このまま終点の岐阜まで乗ってもかまわない。しかし、今回の旅の目的はパノラマカーではなく、名鉄の東側の路線網である。パノラマカーは古いとはいえ、まだがんばれるかもしれないが、廃止される三河線は今回を逃すと乗れなくなる。後ろ髪を引かれる思いだが、それより強い力で前髪を引っ張られている。
豊川方面の電車に乗り換える。
名古屋鉄道は、全国の私鉄で2番目に大きな路線網を有している。1位が近畿日本鉄道、3位が東武鉄道である。名鉄がこのような規模になった理由は、太平洋戦争前の国策により、東海地域の私鉄が名鉄に合併させられたからだ。関東西南部は東急が小田急や京急、京王を統合して大東急時代を迎えたが、戦後それぞれの会社が分離独立した。名古屋鉄道から分離独立する会社は少なかった。
名鉄豊川線は国府から豊川稲荷を結ぶ7.2Kmの路線だ。その建設は第二次世界対戦中で、参詣目的の鉄道路線ではなく、海軍工廠への資材輸送が目的だった。第30回の飯田線の旅で、海軍工廠で働いていたおばあちゃんたちに出合った。彼女たちが通った工場だ。豊川海軍工廠は700棟以上、5万人以上の行員が働いていた。
豊川稲荷への参詣ルートは豊川鉄道(現JR飯田線)が担っていた。名鉄は戦後になって独自に豊川線を延伸し、昭和29年に豊川稲荷に達している。電車は国府を出ると単線をのんびりと走り、高架線で市街地を越える。沿線には日立製作所の工場があり、その先には公団住宅もある。ここが海軍工廠の跡地だろうか。
公団住宅の真っ只中に列車交換の信号所があり、そこで上り列車と待ち合わせて、少し走ると諏訪町という駅がある。ここはホーム1本の単線の駅だ。もうすこし手前に置いて、列車交換できる駅にすればいいと思う。海軍工廠の都合で駅をずらしたのだろうか。
もっとも、いまは静かな近郊の駅である。電車はひっそりと停まり、静かに発車する。車内は参詣客と思われる老人が多い。賑やかな会話の中に「ここでなぁ」と懐かしむ声が聞こえた。
豊川稲荷のシンボル。
参詣の人々と豊川稲荷を降りる。時間にゆとりができたので、私も豊川稲荷に足を伸ばした。もう2月に入ったというのに、境内は"初詣"という文字が掲げられている。
歩き始めると腹がすき、呼び込みの声に誘われて、いなり寿司とさつま揚げを食べた。さつま揚げの店で、持ち帰らずにすぐ食べたいと言うと、わざわざひとつ揚げてくれた。手のひらほどの大きなさつま揚げをかじり、あつ、あつ、と声を上げながら駅に戻った。
さつま揚げの調理を待つ。
-…つづく
■第43回~47回
の行程図
(GIFファイル)