第226回:流行り歌に寄せてNo.38
「銀座の雀」~昭和30年(1955年)
私が、最初に森繁さんに持った印象は「歌うおじさん俳優」というものだった。
昭和39年、東京オリンピックの年のお正月から、TBSテレビで放映された『七人の孫』で祖父役を演じたが(何とこの時、森繁さんはまだ51歳!)、自身の作詞、山本直純作曲による『人生賛歌』を主題歌として歌っている。
今でもよく覚えているが、「どこかでほほえむ人もありゃ どこかで泣いてる人もある あの屋根の下 あの窓の部屋 いろんな人が生きている…」という歌詞だった。
翌々年の昭和41年、NHKテレビ放映の『太陽の丘』でも主題歌を歌っている。こちらも作曲は山本直純、作詞は川崎洋という人である。
森繁さんが語るように、「あなたよ 君らよ 考えても見よう お互いに 一つずつの 人生なのだ なれば友よ 友よ!」と歌い出した後、コーラスになる。共演していた九重祐三子とともに歌っていた。
さて、すでに何回か書いているが、私は店でお客さんがいらっしゃらなくなると、有線放送で歌謡曲を流すチャンネルに変えてしまうことがよくある。
このコラムを書くようになってからは、殊に「昭和歌謡チャンネル」をよく聴いているが、今回ご紹介する『銀座の雀』はこのチャンネルで知ったもので、その後私のお気に入りの曲になり、何度となく聴き返している。
「銀座の雀」 野上彰:作詞 仁木他喜雄:作曲 森繁久弥:歌
1.
たとえどんな人間だって 心の故郷があるのさ
俺にはそれがこの街なのさ
春になったら細い柳の葉が出る
夏には雀がその枝で鳴く
雀だって唄うのさ 悲しい都会の塵の中で
調子っばずれの唄だけど 雀の唄はおいらの唄さ
銀座の夜 銀座の朝
真夜中だって知っている
隅から隅まで知っている
おいらは銀座の雀なのさ
夏になったら鳴きながら
忘れものでもしたように
銀座八丁飛びまわる
それでおいらは 楽しいのさ
2.
すてばちになるには 余りにも明るすぎる
この街の夜この街の朝にも
赤いネオンの灯さえ
明日の望みにまたたくのさ
昨日別れて今日は今日なのさ
惚れて好かれてさようなら 後にはなんにも残らない
春から夏 夏から秋
こがらしだって知っている
みぞれのつらさも知っている
おいらは銀座の雀なのさ
赤いネオンに酔いながら
明日ののぞみは風まかせ
今日の生命に生きるのさ
それでおいらは うれしいのさ
実はこの曲も主題歌なのである。昭和30年、川島雄三監督による日活映画『銀座二十四帖』に使われていた。
オープニングは森繁さんが歌っているが、劇中ではアコーディオン弾きの男と、ギターを爪弾く女による二人組の流しが、銀座のクラブの中で歌うという設定になっていて、男は『若者よ!恋をしろ』の中島孝、女の方は『君の名は』の織井茂子という豪華版なのである。
さて、森繁さんは(一番で言えば)「たとえどんな人間だって」から「雀の唄はおいらの唄さ」までの前半部は台詞の如く語るように歌い、「春から夏 夏から秋」の後半部は2拍子をとるように力強く歌い、最後の「それでおいらは 楽しいのさ」は再び台詞の如く締めている。
歌に表情のあるような、そんな歌い方をする人なんだとつくづく思う。聴けば聴くほど、この『銀座の雀』は森繁さんらしさが最もよく表されている曲のような気がする。
ところで、この曲はいわゆるオリジナル曲ではないのである。この曲の出される5年前に、作詞作曲者が同じで『酔っぱらいの町』という曲が作られていた。詞と曲の所々にいくつかの違い(『酔っぱらいの町』の方が全体的に短い)はあるものの、ほとんど同じ曲といっても言い過ぎではないだろう。
面白いのは「酔っぱらいの町」は森繁さんと藤山一郎の二人のデュエット曲になっていることである。デュエットといっても合唱部分はないのだが、『銀座の雀』で言えば、前述の前半部を森繁さんが歌い、後半部を藤山一郎が歌っている。
国民的ハイバリトン歌手、藤山の張りのある声と、森繁さんの台詞のような歌い回しがミックスされて、味わい深い曲に仕上がっている。You
Tubeに双方アップされているので、ぜひ一度この二曲を聴き比べていただきたいと思う。
-…つづく
第227回:流行り歌に寄せてNo.39
「ジャンケン娘」~昭和30年(1955年)
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