第227回:流行り歌に寄せてNo.39
「ジャンケン娘」~昭和30年(1955年)
美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ、元祖三人娘である。元祖だから偉いのである。
資料を見ると、それ以前に初代三人娘というのがあって「黒柳徹子、横山道代、里見京子(または水谷良恵)」となっている。けれども、正直あまり知られていないし、何より"または"などとメンバーの確定がないのが頼りないから、元祖の方がずっと偉いのだ。
などと、東海林さだお氏のエッセイの、下手くそな真似事のような文章になってしまったが、私にとって最初の三人娘とは、もちろんこの三人である。
その後は、伊東ゆかり、中尾ミエ、園まりの"スパーク三人娘"、南沙織、小柳ルミ子、天地真理の"昭和46年デビュー組"、そして森昌子、桜田淳子、山口百恵の"中三トリオ"が、私にとって印象に残る三人娘たちである。
さて、今回ご紹介する『ジャンケン娘』は、その元祖三人娘を初めて同時に起用した同名の東宝映画の主題歌で、この映画は東宝としてはまだ5本目の総天然色(カラー)作品であった。
「ジャンケン娘」 伊田誠一:作詞 松井八郎:作曲 美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ:歌
ジャンケンポンよ ジャンケンポン 負けても 泣きっこなしよ
紙は花びら はさみは蝶々 石は野原の お地蔵さん
おてんば娘が 三人揃って ジャンケンポンよ アイコでしょ
みんなはさみだ 野原の蝶々 お花畑で ひらひらと
おてんば娘が 三人揃って ジャンケンポンよ アイコでしょ
ジャンケンポンよ ジャンケンポン 負けても 泣きっこなしよ
石が出ました お地蔵さんだよ みんなお目々はつぶりましょう
おてんば娘が 三人揃って ジャンケンポンよ アイコでしょ
泣いてはしゃいで 怒ってすねて 月が出てくりゃ 仲なおり
おてんば娘が 三人揃って ジャンケンポンよ アイコでしょ
ジャンケン娘は 仲良しこよし 何をするにも グウ・チョキ・パァ
三人揃えば 春がくるくる ジャンケンポン
この三人は、たまたま昭和12年生まれの同じ年(美空ひばりだけが遅生まれのため、学年は1級下)であり、当時は花の18歳、それぞれがすでにトップスターであった。
レコード会社専属の意識が、今よりも遙かに強い時代に、コロンビアの美空、キングの江利、ビクターの雪村を共演させることは並大抵のことではなかったはずである。
そこは、当時大変勢いのあった東宝映画が、いろいろな手段を講じて、その豪華なスターを一同に集め、相当な高価であったと予想される豪華な総天然色を使い、日本ではなかなか作れなかった豪華なミュージカルを制作することができた。
この映画は大ヒットし、初日11月1日の有楽町の日劇には、4,000人収容できるスペースがあるにも拘わらず、建物の周りを観客が7周するほどの行列ができたという伝説が残っているほどだ。
カラー作品である特長を生かし、監督はオープニングとエンディングで、その役柄の性格を反映するようなそれぞれの色の服を着せている。
冷静でリーダー格の美空には黄色、情熱家で楽天家の江利には赤、そしておとなしく薄幸なタイプの雪村には薄い青。
エンディング。後楽園ゆうえんちのジェットコースターに乗った三人が主題歌を歌うシーン。真ん中が雪村で、向かって左が美空、右が江利。
雪村の髪型はロングヘアー、ジャンケンではずっとパーを出し続けている。美空はセミロングで、チョキを、江利はショートで、グーである。
18歳の若さそのままに(とは言っても、もう皆さんしっかりと大人であり、今の感覚で言えば25-26歳と言ったところか)、歌い上げているが、その後の彼女たちの生涯を知ってしまっている私たちには、なぜか哀しみを感じてしまうものがある。
彼女たち個々の映画を観ても、そのような感情は生まれてこないのだが、三人娘が同時に演じ、歌っているからこそなのだろうか。
-…つづく
第228回:流行り歌に寄せてNo.40
「別れの一本杉」~昭和30年(1955年)
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