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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
 

第412回:流行り歌に寄せて No.212 「池袋の夜」~昭和44年(1969年)

更新日2021/01/28


「池袋」というのは、私にとってあまり馴染みのある場所ではないが、例えば山手線の外回りで、その先の巣鴨や田端、日暮里辺りに比べれば、何度か足を運んだ土地ではある。

一番最初だと思われるのは、はっきりしないが、小学校の2年生から4年生の時分、家族4人で、椎名町に住んでいた母方の伯母を訪ねて上京した時のことだ。まだ隣にパルコなどなかった西武百貨店の食堂で、お子様ランチをご馳走になった。長野県の地元のデパートのお子様ランチと比べて、かなりお洒落だったことを覚えている。

中央東線の新宿で降りて、山手線に乗ればわずか3駅目なのだが、私か妹が、初めての地下鉄に乗りたいとねだったのかも知れない。真っ赤な車体に白い帯のある電車の丸ノ内線に乗った記憶がある。ただ、その時は「池袋」という町名を具体的に覚えてはいなかったと思う。

私がこの町の名前をはっきりと認識したのは高校3年生の時、Z会で知り合った文通相手の住所が、東池袋のアパートとなっていたからである。文字がとても綺麗で、クールなのに優しい、私にボブ・ディランの “Don’t think twice, It’s all right”という言葉を教えてくれた女性だった。

彼女は、近くで次々と建設が進むサンシャインシティの様子をアパートの窓から眺めて何を感じていたのだろうと、今考えてみる。一度もお会いしたことのなかった人だけに、イメージは広がっていくのである。

その後は、上京後に通った『文芸座』『文芸地下』。たいがいはオールナイトで、英国のピーター・セラーズのクルーゾー警部シリーズや『何かいいことないか子猫ちゃん』『パーティ』『マジック・クリスチャン』、フランスのレ・シャルロのクレイジーボーイ・シリーズなどのコメディ映画をよく観に行った。

『ウッドストック』や『ラヴィ・シャンカール わが魂の詩』などを観たのも、この映画館だった。昭和51、2年のことだ。

社会福祉の仕事を始めてからは「国際障害者年日本事務局」が東池袋のサンシャインシティの麓近くにあったために、昭和55、6年頃は、足繁く通っていた。ところが、その後池袋で飲んで帰ったという記憶はない。たいがいは渋谷まで移動して飲み歩いていた。映画館にも、深夜に入り、翌朝退館してそのまま家に帰っていたから、飲むことはなかった。

だから、私は「池袋の夜」という世界を、まったくと言っていいほど知らないのである。



「池袋の夜」 吉川静夫:作詞  渡久地政信:作曲  寺岡真三・編曲  青江三奈:歌


あなたに逢えぬ 悲しさに

涙もかれて しまうほど

泣いて悩んで 死にたくなるの

せめないわ せめないわ

どうせ気まぐれ東京の 夜の池袋

 

他人のままで 別れたら

よかったものを もうおそい

美久仁小路の 灯りのように

待ちますわ 待ちますわ

さよならなんて言われない 夜の池袋

 

にげてしまった 幸福は

しょせん女の 身につかぬ

お酒で忘れる 人世横丁

いつまでも いつまでも

どうせ気まぐれ東京の 夜の池袋

 

作詞・作曲・編曲とも、以前ご紹介した『長崎ブルース』とまったく同じメンバーの方々である。

青江三奈は、この曲で前年の『伊勢佐木町ブルース』に続いて、2年連続の『日本レコード大賞 歌唱賞』の栄冠に輝いている。そして『全日本有線放送大賞 金賞』及び『日本有線大賞GOLDスター賞』も同時に獲得している。

そして、この年の『第20回NHK紅白歌合戦』では、紅組のトップバッターとしてこの曲を披露したのである。

「せめないわ せめないわ」から「どうせ気まぐれ東京の」で一気に盛り上がり、「夜の池袋」と完璧な結び方をしている。今聴いても、ワクワクと拍手のタイミングを考えたいくらい素晴らしい歌唱なのだ。

ひとつだけ、素朴な疑問がある。戦後の「ブルースの女王」とまで呼ばれ、『恍惚のブルース』から、伊勢佐木町、札幌、長崎、気まぐれなど、シングルカットされたものだけで(A・B面合わせて)20曲以上の『~ブルース』というタイトルの曲を持つ彼女なのに、なぜこの曲を『池袋ブルース』としなかったのだろうか。他の歌手も含めて、後にも先にも『池袋ブルース』というタイトルは聞いたことがない。

私事だが、(緊急事態宣言が発出していて、今は叶わないが)最近は、店を休みにしている第3月曜日に、今まで行ったことのない土地の居酒屋を、一人訪ねるのを楽しみな行事としている。

この歌の中に「美久仁小路」と「人世横丁」という地名が出てくる。両方ともかなり小規模な通りのようだが、人世横丁の方は、残念なことに平成20年7月に解体されてしまったようだ。

次回、夜の街を気兼ねなく歩き回れるようになったら、まだ踏み込んだことのない池袋の夜、美久仁小路辺りに真っ先に繰り出してみようと思う。行きたい店の目星は、だいたい付いている。

-…つづく

 

 

第413回:流行り歌に寄せて No.213 「悲しみは駆け足でやってくる」~昭和44年(1969年)


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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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