■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”.
第2回: Save the Last Pass for Me.
第3回:Chim chim cherry.
第4回:Smoke Doesn't Get in My Eyes.
第5回:"T" For Two.
~私の「ジュリーとショーケン」考 (1)

第6回:"T" For Two.
~私の「ジュリーとショーケン」考 (2)

第7回:Blessed are the peacemakers.
-終戦記念日に寄せて-


■更新予定日:隔週木曜日

第8回:Ting Ting Rider~マイルドで行こう

更新日2003/08/28


私は開店以来ずっと、自宅から店までを自転車で通勤している。砧公園に程近い用賀にある自宅から、自由が丘の店までの約6キロの道のりを、毎日25分くらいかけて走る。時速にすると15km/hに満たないゆっくりしたペースだが、殊に往路で夕暮れ近い街並みをのんびりと眺めながら漕いでいくには、ちょうどいい速さだ。

「あっ、あそこの犬オシッコしてるよ。よく足にかからないでうまいことできるもんだなあ」とか、「今度のベンツのヘッドライトは、何であんなバカボンに出てくるお巡りさんの目のような形にしたんだろう」など。まったくどうでもいいようなことを考えながらペダルを踏んでいることが多いが、時には季節の流れとともに移ってゆく花の姿や、樹木の葉の色にも目が行くこともある。

歩いていたのでは、一つひとつの景色に関わりを持ちすぎてその度に立ち止まってしまうし、車に乗ってしまうと、景色が瞬時に走り去り見逃してしまうものが多すぎる。そういう意味では自転車はもっとも頃合いがいい。

私は、小さい頃からスピードというのが苦手だった。モーターの付いた乗物がだめで、車の助手席に乗っていて自分の許容範囲を超える速度を出されると、いつもハラハラする。当然のごとく、運転免許は一切持っていない。男の子はたいがい中学生ぐらいになるとバイクや車に興味を持ちだし、免許が取れる歳になると先を争って取得して乗り回したものだが、その頃から、私はそういったものにまったく興味がなかった。

そんな中で、自転車だけは好きだった。小さいときは、父親の後ろに乗せてもらい、いろいろなところに連れて行ってもらうのが何より楽しみだった。小学校の5年の終わりに長野県の岡谷市から愛知県名古屋市の港区に引っ越した。生活環境が極端に変わり、なかなか友だちのできない私を、休みになると父はよく自転車で連れ出してくれた。

生まれて初めて新幹線の車両を見たのも、初めてプロ野球観戦をしたのも、父の自転車の後ろに乗った小さな旅の行程の途中だった。現在はもう走っていない新幹線0系「ひかり号」の、陸橋の上をあっという間に通り過ぎるかっこいい颯爽とした走りも、中日球場でバッタバッタと三振を取っていた阪神・江夏投手の姿も、今でもはっきりと思い出すことができる。

(ここまで書いて気がついたのだが、スピードが苦手と言いながら、遠い日々の心に残ったひかり号も江夏投手も、どちらもスピードが魅力のヒーローだった。自分が体感するのと見るのとでは、かなり違うものだ。)

父は帰り道、よく冗談で「帰りはおまえがお父さんを乗せていってくれ」と言ったものだが、当時のやせっぽっちの私には、とうていそんな脚力はなかった。今ならそれは簡単にできそうだが、提案してみたところで父がどういう顔をするかはわからない。

中学の3年生の時、名古屋市の港区から春日井市に移り住んだ。その時、自転車通学をするようにと、初めて自転車を買ってもらった。車種はブリヂストンのシャインスター、ハンドルは今ではまったく見かけないセミドロップ。当時としては最新式の自転車で、父親も大いに奮発してくれたのだと思う。うれしくて、うれしくてたまらなかった。

それだけに、通学1日目に、知らないうちにサドルカバーとタイヤにナイフで大きく傷をつけられたときは、とんでもないショックだった。生まれて初めてと思うほどの憤怒の感情が出てくるのを押さえきれなかった。

傷つけた人間を必死で捜したが、結局わからず仕舞い。33年たった今でも「下手人はそこに直れ、成敗してくれるわ」という気持ちは変わらない。とても悔しかったが、大切な愛車にこれ以上傷を負わせるのは耐え難いし、その度に修理していたのではお金が持たない。次の日から自転車通学をあきらめ、電車通学に切り替えた。

高校も市内だったので、今度こそと自転車で学校に行った。幸い一度もつまらない目に遭うこともなく3年間通すことができた。坂道が多い道のりで、当時入っていた柔道部の練習がきつく、帰り道には「この自転車に羽が生えてたら」と何度も思ったが、片道8キロを毎日漕ぎ続けた。その自転車は、その後両親とともに長野県の田舎に移り、今では物置の中で静かに眠っている。

東京に出て来てからは、結婚するまで自転車とは無縁の生活だった。結婚した後も、いわゆるママチャリというのを乗り回していたが、4年前に店を始めるとき、通勤用に今の自転車を購入した。マウンテンバイクもどきの街乗り用(悪路や荒地は走れない)の自転車で、マルキン自転車がスポルディングのブランドで出している、街でよく見かけるタイプのものだ。フレームは、往年のシャインスターを思わせるような黒と銀のものを選んだ。

私の個人用としては2台目の自転車だが、スーパーで気軽に買ったのにもかかわらず、かなりタフにできていて、たいへん助かっている。昨年の7月、坂道を下っているとき、飛び出してきたバイクとの接触を避けるため急ブレーキをかけ転倒、鎖骨を複雑骨折し、職場復帰するまで2ヵ月という大怪我を負った。その時も、自転車の方はライトのところが少し割れただけで他はまったくの無傷、軽いメンテナンスをしただけで、すぐ乗ることができた。

雨の日には合羽をまとい、台風が来ているときや雪の日以外は、たいがい自転車に乗る。大雨の日に、やけくそ気味に大口を開けて歌謡曲でも歌いながらペダルを踏むのも、結構楽しいものだ。ただそんな姿を、一度知り合いの(かねてから憧れていた)美しい女性にしっかり見られてしまったことがあって、そのときは恥ずかしさで2、3日落ち込んでしまい、その後大口の方は自重している。

店のお客さんにも自転車ファンは多い。イタリアやフランス製などの「外車」を乗り回している人も少なくなく、中にはサンダーバードのように5号まで持っている人もいる。「靴は革靴、スニーカー、トレッキング・シューズと履き分けるのだから、自転車も同じですよ」というのがその方の弁である。なるほどな、と思う。

振り返って考えると、私は靴さえ履き分けない。勤め人をやめてからはまともな革靴も持たず、毎日どこへ行くときも、ホーキンズのウォーキング・シューズ一点張りだ。そして、つま先がワニさんのようにパカッと開いてしまうまで履き続け、ようやく、また色も形も同じタイプのホーキンズを買う。

車に興味のない私だが、唯一乗ってみたいと思うのはJAGUARだ。ただ、この車を買うのは私にとっては不可能な話なので、せめて3台目の自転車にはJAGUARを、と実は秘かに考えている。けれども、きっと今の自転車を「履きつぶす」のはまだずっと先の話で、私が颯爽とブリティッシュ・グリーンのフレームに跨るには、これからかなりの時間がかかることだろう。

 

 

第9回:One-Eyed Jacks-石眼さんのこと

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