第419回:山郷の春~サイクリング・シーズン
その昔、プエルトリコに住んでいた時、一番物足りなく感じたのは季節感がないことでした。プエルトリコは、熱帯と温帯の境目に位置している上、小さな島で、海洋性気候というのかしら、一年中温度がそう変わらない海の水に洗われています。気温も夏と冬でほんの少ししか変わりません。強いて言えば、貿易風が強く吹くのが冬、弱まりハリケーンが襲ってくるのが夏ということになります。
そこへいくと、ここロッキーの西側の高原地帯は絵に描いたような大陸性気候で、冬は氷点下20度、30度まで下がりますし、夏は40度を越す暑い日が続きます。土壌が基本的に岩と石ころですから、熱が篭り、炎天下では50度、60度になることも珍しくありません。夜と昼の温度差も極端で、外に出してある寒暖計を見ると、夜明けに零下3~5度だったのが、日中には30度近くまで上がったりします。
こんな土地ですから、長く厳しい寒さの冬が去り、春になると回りの景色も一変します。今まで堪えに堪えていたのが、一斉に芽を吹き出し、私たちが住む高原大地の牧草地も緑の牧場(マキバ)になり、谷間の町の街路樹もソーレッといった感じで、柔らかな緑に覆われます。
こんな土地柄ですから、ここに住む人々も一斉に外に飛び出します。私が毎日通勤のためにドライブしている国立公園の急な77曲がり道路(本当は10幾つかのヘアピンカーブがあるだけですが、ダンナさんが大げさにそう呼ぶので、なんとなく77曲がりとか、心臓破りの坂とか呼ぶようになってしまいました)も、自転車に乗る人、走る人が増えてきて、運転に神経を使わなければなりません。
春のアウトドア・イベントも目白押しです。谷が広がりユタ州へつながる途中にあるフルータ(Fruita;スペイン語で果物の意味です)という町は、一昔前までは、ロッキーの西にあるどこにでもある果樹園と牧畜だけの田舎町でしたが、いまやマウンテンバイクのメッカとまで呼ばれ、自転車ファンが全米だけでなく、世界中から(もちろん日本からも来ています)たくさん集まる、その道の人なら誰でも知っている町になりました。
夏は余りに暑すぎるので、これから6月末までがピークシーズンなのでしょう、幕開けとして、ファットタイヤ・フェスティバル(太いタイヤ祭り、マウンテンバイクのタイヤは幅が広いので、そう命名したのでしょう)が開かれます。3日間に渡るレースがあり、小さな町の広場では、自転車のメーカー、パーツ屋さん、ウエア、ヘルメットなど、ありとあらゆる自転車関連のテントが並び、バンドが入り、アメリカですから、ピッツア、ハンバーグ、ホットドッグが味を競い、地ビール屋さんも軒を連ねます。
高級リゾートとして売り出しているアスペンやテリュライド、ヴェイルなどの山間の町は、スキー場が閉まり、雪解けを待って、ゴルフ場を開くまで手持ち無沙汰なのを尻目に、下界のフルータの町は大変な賑わいを見せているのです。
自転車の様々なレースや趣向を凝らしたコースのマラソン大会もたくさん開かれ、その度に、国立公園の77曲がり道路が通行止めになり、私の通勤路が塞がれてしまいます。マウンテンバイクのコースも整備され、難易度によって、最上級者向けから初心者、子供向けまで、分かりやすいマークをつけ、距離も明記されたサイクリング・ルートマップを町が配布しています。
私たちがハイキングや山登りをしている時、よく自転車に乗っている人とすれ違います。 登るのでさえ難しい急勾配の岩の道なき道や、転げ落ちたら良くて重症、死んで当たり前の崖ップチの細い道を曲芸乗りのようにヒョイヒョイ、スイスイと自転車乗りが行き来してるのに出くわします。彼ら、彼女らの自転車を操る技術とトレーニングは、私のママチャリクラスのサイクリングとは全く別の次元のようです。
春休みを利用して、ユタ州の瓦礫砂漠地帯にキャンプ、ハイキングに行きました。その時、恐らく一番近い町まで150~160キロ以上はあろうかという山道で、自転車ツアーをしている女性に逢いました。一人でこの広大な砂漠の岩陰に描かれているインディアンのレリーフ絵画(ペトログリフという)を見て歩いているのです。背中にキャメルバッグ(らくだバッグと呼ぶ水筒用のバックパック)を背負い、砂ホコリのなか、自転車をこいでいました。ダンナさんともども、初めはあきれ、それから感心し、そして尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。
彼女に啓発されたのでしょうか、春の陽気に当てられたのでしょうか、立派な老齢、それも後期に近いうちのダンナさん、100キロ程度の短い(100キロで短いのです)、年齢別の枠決め、表彰があるレースにで出ようかな…とか言い出し、30-40キロ程度の練習を始めました。彼の自転車ファッションというのは、ダブダブでしかもお尻に穴の開いたトレーナに薄手のスキー用ヤッケ、それに日本手ぬぐいを頭に縛り付けたという純正ホームレススタイルなのです。
ところが2、3日前、自転車から降りる時、トレーナーのお尻の破けたところにサドルが引っかかって、自転車も一緒についてきたとかで、ゴロンと転び、お尻から膝にかけてブス色に腫れ上がっていました。普段、神経が鈍いのか、やせ我慢なのか、余程の怪我をしても弱音を吐かないダンナさん、足を引きずりながら、"イテェー"と漏らしています。でも、一番傷ついたのは、彼の自尊心のようです。
いつも、自転車乗りのぴったり体に張り付くようなケバケバしい色合いのファッションを馬鹿にしていたのが、"アリャ~、色彩感覚を別にすれば、ちゃんと理由があるんだな、少なくとも尻の破れ目くらいはツギを当てておくべきだったかな~"と本音を吐いていました。
これで、今年の自転車レースで老人クラスに出場し、救世軍の払い下げの店で5ドルで買った自転車、そしてハゲ、白ひげの純正ホームレススタイルで、何千ドルもする自転車に乗り、イタリア製の派手派手しい自転車ファッションに身を固めた人たちに打ち勝ち、制覇するという秘かに抱いていたらしい夢は早くも消えたようです。
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