■拳銃稼業~西海岸修行編

中井クニヒコ
(なかい・くにひこ)


1966年大阪府生まれ。高校卒業後、陸上自衛隊中部方面隊第三師団入隊、レインジャー隊員陸士長で'90年除隊、その後米国に渡る。在米12年、射撃・銃器インストラクター。米国法人(株)デザート・シューティング・ツアー代表取締役。


第1回:日本脱出…南無八幡大菩薩
第2回:夢を紡ぎ出すマシーン
第3回:ストリート・ファイトの一夜
第4回:さらば、ロサンジェルス!その1
第5回:さらば、ロサンジェルス!その2
第6回:オーシャン・ハイウエイ
第7回:ビーチ・バレー三国同盟
第8回:沙漠の星空の下で
第9回: マシン・トラブル
第10回: アリゾナの夕焼け
第11回: 墓標の町にて
第12回:真昼の決闘!?
第13回:さらばアリゾナ
第14回:キャラバン・ターミナル
第15回:コンボイ・スピリット その1
第16回:コンボイ・スピリット その2
第17回:砂漠の不夜城
第18回:ギャンブルへのプロローグ
第19回:ラス・ベガス症候群

■更新予定日:毎週木曜日

第20回:ギャンブラーとして   

更新日2002/07/25 


アリゾナの田舎で世話になったの現場監督のジョン、テキサス出身のコンボイ爺さんビル。二人とも強烈な個性の持ち主であった。最初に出遭った二人の米国人たちに共通して言えるのは、自分たちの人生を楽しんでいることであった。家族を持っても所帯じみることもなく、ただ今を楽しんでいるように写った。

ビル爺さんと別れてラス・ベガスにただ一人残された自分には、遠廻りしたがアメリカ大陸をバイクで横断することと、仕事を探す目標が残っていた。アリゾナでバイクを失った自分には、その資金を現地で調達せざるを得ないのが今の状況である。

夜、一人でダウンタウンを離れ、ストリップと呼ばれるメインストリートを歩いた。「ストリップ」の名前の語源は、歩くだけで丸裸にされてしまうオケラ街道という説と、真っ直ぐな道という意味があるというが、定かではない。が、前者の方はシャレが効いていていい。1946年に最初にできたフラミンゴホテル、その向かいの89年にできたミラージュホテル、その隣のシーザス・パレス辺りが当時の中心街であった。ダウンタウンほどの光のネオンはないが、数千室を誇る巨大なホテルの規模と華やかさは、比べ物にならなかった。

夜10時過ぎだというのに人通りは多く、貯まったコインをカップにジャラジャラ入れて持ち歩く観光客を見れば、この街の治安のよさも理解できる。また、5月だというのに夜でも半袖で歩けるのは、ここが熱砂の中のオアシスであることである証であった。火を噴く火山、ジャングル、ローマ神殿、これまでのネオンだけのカジノから日常を超越したテーマパーク化が、この辺りは推し進められているようだ。

各カジノの入り口にはスロットマシーンが並んでいる。コインを入れて右手でレバーを引く様は、ギャンブル場での風物詩である。ここへ来て以来、こんな簡単なゲームにもトライしていないことに気付く。

早速、フラミンゴホテルの入り口で25セントのスロットに挑むことにした。当時、コンピューター制御のマシンが、導入され始めた頃であったが、まだ昔ながらの機械式リールのスロットも多く、20ドル位でも結構楽しめた。だが出てきたコインをクレジットする機能がないので、下に落ちて貯まったコインを、もう一度挿入口に戻しているうちに手が真っ黒になってしまう。そんな状況なのでプレーヤーの中には手袋をしているツワモノもいた。

1時間位遊んでいると、隣の初老の白人女性がなにかと喋りかけてくる。彼女はここで3時間もレバーと格闘しているそうだ。そして、誰でも勝てるスロット必勝法があると言う。

その必勝法とは、1ドルのスロットを使うそうだ。まず、100ドルを換金してコインをマックス・ベットの3枚ずつを入れる。スロットを回すたびに3ドルずつ減っていく。そのうち当たりが来て、少しでも100ドルを超えたらすぐに換金する。そしてまた、別の台で同様のことを行う。同じ台で20回に一度も役が出ないと時は移動する、という何やら面倒臭い作戦であるが、結構ポピュラーな作戦であるらしい。

が、すでに同じ台で3時間も粘っている彼女は、その作戦を無視していることになる。要するに、ギャンブルとは数学と人間の欲望との戦いなのだろう。しかしそれが簡単にできる人間がいればカジノもここまで儲からない。

再び道路に出で歩き出すと今度は、何やら風俗系の悩ましい美女が、印刷されたチラシを配る一角があり、半強制的に渡されてしまった。書かれている内容は要するに、出張ホステスやダイヤルQ2のようなものだ。1時間くらい郊外に行けば、ネバダ州公認の売春宿まであり、博打場の飲・打・買は世界共通であった。 

ストリップエリアの各カジノは広すぎて、やはり自分にはビル爺さんと遊んだ、こじんまりした賭博場臭いダウンタウンのカジノが好きだった。深夜、ホテルにも戻らず、近くのカジノで一人ブラックジャックをやった。100ドルでスタートしたチップが、2時間かけて2倍になったのでお開きにした。毎日100ドルずつ稼いでいけば、1ヶ月居れば3,000ドルになる。そうしたら、また目的の旅に戻ろう。そんな決心のもとに、毎晩のギャンブル稼業に精を出す毎日がついに始まってしまった。

勝つためには生活も完全な夜型になり、夕方起きて食事を摂り、夜から朝までギャンブルして毎日を過ごす。主にブラックジャックやルーレットをプレーするが、テーブル・ゲームを長時間戦うのは心身共にかなりタフでなければならなかった。一瞬の気の緩みが勝負を左右してしまうからである。

1週間位連続してカジノに通い続けていれば、その雰囲気にもすっかり体が馴染んでくる。白熱した白人たちの中に、私が途中参戦するのも、ビル爺さんと別れた当初はかなり度胸が必要だったが、すでに今はなにも感じない。ディーラーにチップ(ご祝儀)を渡すタイミングや、カクテルウエイトレスとの洒落た会話、馴染みのギャンブラーとの挨拶、情報交換などが、すでに日常になってしまっていた。

 

 

第21回:自由の中の葛藤

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