■このほしのとりこ~あくまでも我流にフィリピンゆかば

片岡 恭子
(かたおか・きょうこ)


1968年、京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大学図書館司書として勤めた後、スペイン留学。人生が大きく狂ってさらに中南米へ。スペイン語通訳、番組コーディネーター、現地アテンド、講演会などもこなす、中南米を得意とする秘境者。下川裕治氏が編集長を務める『格安航空券&ホテルガイド』で「パッカー列伝」連載中。HP「どこやねん?グアテマラ!」




第1回:なぜかフィリピン
第2回:美しい日本がこんにちは
第3回:天国への階段(前編)
第4回:天国への階段(後編)
第5回:韓国人のハワイ
第6回:まだ終わってはいない
第7回:フィリピングルメ
第8回:台風銀座(前編)
第9回:台風銀座(後編)
第10回:他人が行かないところに行こう(前編)
第11回:他人が行かないところに行こう(後編)
第12回:セブ島はどこの国?
第13回:フィリピンの陸の上
第14回:フィリピンの海の中
第15回:パラワンの自由と不自由
第16回:男と女
第17回:道さんのこと

■更新予定日:第1木曜日

第18回:バタック族に会いに行く

更新日2007/03/03

ルソン島のアイタ族と同じで彼らもまたコーヒーが好きらしい。言葉の通じないバタック族の村に行く前に、ガイドに言われるまま、大人にコーヒーとたばこを、子供に飴を買った。教会を訪れたヤノマミ族に鉈を与えたアマゾンの宣教師と同じじゃないか。モノでつるようで気が引けるけれど、それと引き換えに何も求めていないわけだから、まあいいかと自分に言い聞かせる。誰かを訪ねるのに手みやげを持っていくのは当然のことだ。

たった1ページ、ガイドブックにあったサン・ラファエルの記事。そこに載っているガイドをアレンジしてくれるという宿だけが頼りだ。他になにも情報はない。サン・ラファエルは道路沿いにぱらぱらと店があるだけで、これから向かおうとしているバタック村への起点でなければ、ガイドブックに載ることはなかっただろう。

夕方、サバンから宿に着いたらちょうど干潮だった。向こうの島まで歩いていけるほど干上がって、元々遠浅の海底が剥き出しになっていた。若い母親が子供と一緒に夕食の貝を拾っている。宿の名前は、ダッチェス・ビーチ・リゾート。コテージがいくつも並んでいるが、まったくリゾートという雰囲気はない。のどかな漁村の夕暮れだ。

宿には電話がなかったが、翌日朝食を食べているところにガイドがやってきた。スタッフが夜のうちに伝令に走ってくれたのだろう。予想外に段取りよく事が運んだことに驚いた。ガイドのノニは小柄な男で、中国系の血もスペイン系の血も受け継いでいる、フィリピンの歴史そのものみたいな人だった。なにより彼は英語が達者なので助かった。

2001年5月にパラワン島のリゾートから20人が誘拐、バシラン島に連行され、うち5人が殺された。イスラム原理主義組織アブサヤフによるこの事件後、客足がぱったり途絶えたのだとノニは言う。だから、ここしばらくガイドとしては働いていない。元々はバタック村周辺のジャングルで樹液を集める仕事をしていて、村人と仲良くなったそうだ。

サリサリストアで米、ラーメン、そしてツナ缶を買い、すぐに出発。道中、手ぶらのノニが荷物を取りに自宅に寄った。そもそも彼の家がかなりジャングルの中にあった。しかも、ニッパヤシで造った高床式の家だ。バタック族も彼とたいして変わらない生活をしているのかもしれない。だが、バタック族はいまだに服を着ていないのだ。


ガイドとその家族

途中昼食休憩をはさんでジャングルの中を3時間ほど歩いた。とにかく渡渉の連続だったので、最初の川からずっとトレッキング靴をサンダルに履き替えたままだ。

村は川のほとりにあった。どうもノニがおみやげを渡したのは、この集落のリーダー一家らしい。アマゾンのヤノマミ族はリーダーが村での格付けにしたがって不公平がないように分配していくが、バタック族はその場に居合わせた人々の手に適当に渡っていった。この部族はこれぐらいのことでけんかになったりしないのだろう。

彼らの家はノニの家よりもずっと小さい。一軒につき一部屋しかない。床はスノコのように隙間が開いている。料理のときに出る野菜くずを落とすと床下で豚が食べる。風通しもよく合理的にできている。

男性は服を着ている人がかなりいるが、女性は上半身裸だ。何人も子供を連れたお母さんは堂々としたもんだが、未婚の少女は突如現われた侵入者に恥ずかしそうに胸をかくしている。

臼と杵で米をつくのは女の仕事と決まっているが、その他は特に決まりはないらしく、男性が子供を背負って料理をしていた。沢口靖子似のお母さんが、家の中でごりごりバナナの幹を削り、コプラの搾りかすと混ぜ、豚の餌をつくっていた。農作業をしている家族は、ちくちくするからと服を着て穂首を刈っている。


バタック族の母子

ノニがジャングルに自生している蔓草をツナ缶と交換でもらってきた。ココナッツミルクにツナと葉っぱを入れて炊く。癖がなくておいしかった。

村には電気もガスも水道もない。さすがに夜は冷えるので服を着る人もいる。空き家になっている家をひとつ借してもらった。日が暮れたらすぐに寝てしまうのかと思ったら、乾電池式のラジオを聞いたり、話をしたりとみんなけっこう遅くまで起きていた。話し声や笑い声を聞いているうちに、バタック村の人々よりも先に眠ってしまった。

翌日はみんなが服を着ていた。政府からの視察が来るという。このあたりの村同士で近々トーナメントがあるとかで、朝早くから村の若者がこぞってバスケットボールの練習をしている。

下山の途中、最長老のおじいさんに会った。60歳の彼もこの日は服を着ていた。ただし、着衣は上半身だけで下半身はふんどしだ。この村ではもう彼以外にふんどしを着けている男性はいない。最後のふんどしじいさんとその家族を写真に撮らせてもらった。

今度はテント持参でしばらくバタック村に住んでみたい。そう言い続けているところがすでに世界中にいったいいくつあることやら。パラワン島には他にも真っ裸で洞穴に住んでいる人々がいる。今度パラワンに行くときは、きっとそこに行ってしまうのだろう。

 

 

第19回:フィリピンいやけ