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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第714回:118歳のトンネル - 近江鉄道本線 日野~貴生川 -

更新日2020/06/25

 

日野駅と次の水口松尾駅までは長い。両駅の間には標高300メートルの水口丘陵が横たわる。なだらかで長い、鈴鹿山脈の裾野である。水口松尾駅は旧水口町の北端で、近江鉄道本線はここから水口駅、水口石橋駅、水口城南駅と続き、終点の貴生川にいたる。

近江鉄道がこの丘陵を縦断した理由は、貴生川駅周辺の水口町が栄えていたからだ。水口宿は東海道の50番目の宿場であった。江戸時代には水口藩があり、水口城もあった。だから水口城南という駅がある。

日野は日野川沿い、水口は野洲川沿いで、別の生活圏であっただろう。だから近江商人の八日市や日野と水口を結べば、双方を行き来する人と荷物を期待できる。なにしろ両者を結ぶ水運がないから、陸路の鉄道は大勝利となるはずだった。しかし実際には目論み通りにはならず、近江鉄道の経営を逼迫した。琵琶湖沿いの官営鉄道の勝利か。

電車の速度が上がった。駅まで遠く、線路も無理なく敷かれている。沿線は畑が続き、民家は少ない。モータをフル回転できる区間だ。森も多く、水利が解決するまでは山の中だったと思う。車内放送は相変わらず饒舌で、次の駅の案内に続き、聞き取りにくいけれども、おそらく水口宿、水口城の紹介らしき観光案内となり、煙草を吸うな、身体の不自由な人に席を譲れといったマナーに変わる。広告放送はなかった。

しだいに電車の速度が下がり、駅かと思えばそうではなく、急カーブでもない。時速20kmという制限標識があって、その先は切り通しとトンネルであった。切り通しが崩れないように、あるいは古いトンネルへの配慮だろうか。近江鉄道は水口丘陵を迂回せず、トンネルを掘って直行した。近江と水口を結ぶ事業の決意を感じる。

そして1900年、近江鉄道は貴生川に達した。すなわちこのトンネルは建設から118年も経っている。当時のトンネル技術は矢板工法といって、手掘りで進み板を張り、支保工で支えたのちに内側をコンクリートで支える。147メートルの清水川トンネルは、レンガを組み上げて側面を支えた。衝撃でレンガが剥がれ落ちないように、電車はゆっくりと通り抜ける。徐行区間はトンネルの前後の切り通しに及び、そこを通過すると電車は速度を上げた。景色は畑から水田に変わり、溜池がある。そして何かを遮るように森がある。防風林かもしれないがそろってはいない。

荒れ地のような、休耕地のような、いずれにしても手が入っていない地面が続き、線路1本の水口松尾駅に着いた。国道が寄り添うほかは何もないところだと思ったら、発車してすぐに道路を潜り抜け、そこから市街地になった。潜り抜けた道は国道1号バイパス、通称水口道路と言うそうだ。車窓左手に建物が途切れることなく続き、踏切に警報器がある。水口駅は無人駅だが列車交換が可能な構内だ。プラットホームは踏切を挟んでズレている。水口石橋駅は住宅街の中にあった。前後のカーブ区間でレールのきしみ音が大きく、苦情が出ていないか心配になる。もちろん大きなお世話だ。ここに住む人々は「蒸気機関車の時代に比べればマシ」と祖父の代から言い含められているかもしれない。

水口城南駅は線路1本の駅だけど2階建ての駅舎がある。すぐ北側に水口城趾があるようだ。ここが水口宿の中心地だったようだ。駅の南には甲賀市役所がある。水口藩は水口村から水口町になり、周辺の町や村を併合してきた。2004年の行政改革で信楽町や甲賀町などと合併して甲賀市となる。中心は水口町だったようだ。車窓からロードサイド型の大型店舗が見える。栄えている様子がうかがえる。

01
貴生川に到着

電車はシンプルな鉄橋で野洲川を渡った。対岸も民家が多く、前方遠くに山が見える。あれは信楽丘陵で、洒落た言い方をすれば信楽高原である。信楽高原鉄道はあの山に向かっている。電車は市街地を左へ曲がった。右の車窓にJR草津線の線路が現れ、そのまま並んで貴生川駅に続いた。近江鉄道の線路はここで終わっている。となりの草津線の線路もここで終わりのようで草に覆われている。プラットホームの向こう側の線路は先へ続いている。

02
近江鉄道ジェットコースター

03
近江鉄道側の駅舎

貴生川はJR草津線と信楽高原鉄道の分岐駅。どちらも昔は国鉄だった。草津線で琵琶湖南岸の草津へ、あるいは関西本線に繋がる柘植へ、山間部の信楽にも行ける。信楽高原鉄道に乗りたい。しかし今日は米原に戻り、福井へ向かう予定になっている。せめて貴生川駅周辺を散歩しようと駅前に出てみた。案内看板に「こうか忍者の里」とあるけれど、観光施設は見当たらない。史跡は水口城趾のほうが多いようだ。

04
JR側の駅舎

05
周辺には見どころ多し……

米原行きの電車に乗ろうと駅舎に戻る。近江鉄道の窓口の奥に硬券きっぷのホルダーを見つけた。懐かしさのあまり、入場券を買い求めた。ダッチングマシンで日付を入れ、鋏も入れてもらう。日付は西暦で、しかもヒトケタだ。珍しいですねと係員に聞くと、年号の十の位は昭和時代の5と6しかないから、平成30年代を刻印できないという。刻印の数字は0から9までと思っていたけれど、年号の十の位は毎日使うためすり減りやすいため、5555566666になっていたそうだ。平成時点で機械を作っている会社もないためそのままになっている。

06
きっぷ売り場は有人

もうひとつの疑問を聞いてみた。
「1日乗車券って安すぎませんか。片道の最長区間より安いなんて」
「そうですか、安すぎるなんて言われたのは初めてです」

欲のない会社だと思う反面、実は普通運賃のほうが高すぎるかもしれない。近江商人の「三方良し」は、なかなかどうして難しく、才覚が必要らしい。

07
せっかくなので硬券購入


第714回の行程地図
 

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2018年02月24日の新規乗車線区
JR: 0.0Km
私鉄: 59.5Km

累計乗車線区(達成率 93.34%)
JR(JNR):21,589.8Km (95.02%)
私鉄: 6,500.7km (91.66%)
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-…つづく

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員。

<<杉山淳一の著書>>

■連載完了コラム
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デジタル時事放談
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ライフ>> 「鉄道」
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■著書
『列車ダイヤから鉄道を楽しむ方法: 時刻表からは読めない多種多彩な運行ドラマ!』


列車ダイヤから鉄道を楽しむ方法
杉山淳一 著


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