第1回:あの時あの場所で
更新日2001/04/12
シリコンバレーで暮らしている間に、アメリカではネットバブルが起こって、そしてはじけた。その間、自分が彼の地で何をしていたかというと、翻訳をやったり、ウェブサイトを作ったり、なぜかときたま株の取引をやったり、そしてどうしたわけか最後には自分で会社まで作ったりした。
シリコンバレーでの自分の生活を振り返ると、フツーにサラリーマンをやってたらできなかったであろうスペシャルな体験だけはあれこれしたんじゃないかと思う──バブル全盛のあの土地で暮らしながら、ちっともお金持ちにはなれずに日本に帰ってきたヤツの、せめてもの見栄みたいなもんなので、このあたりはどうかそっとしておいてほしいぞと。
さて、90年代後半、世界一パワフルなアメリカが世界一バブリーだった時期をこの土地で過ごした自分は、じつはアメリカの経済が現在の日本みたいにズンドコだった80年代後半にもこの国で暮らしていた。当時のアメリカは工業製品の品質が劣悪で、あちこちで新車が火ぃ吹いたり、都会ではキレまくった人たちが暴動起こしたりと、えらくすさんでいた。そんな頃、自分がいた大学には日本で大学受験を失敗しちゃって格好悪いから脱出してきたという感じの語学留学生がうじゃうじゃいて、うたかたの留学ライフをエンジョイしていたもんだ。遙か日本のほうではおっさんもOLもみんなが株やってドンペリ飲んでたと聞く。まあ、日本のことについての話は、暮らしていた場所が田舎だったのと、当時は日本との通
信手段が国際郵便くらいしかなく(国際電話は貧乏学生には通話料金が高すぎた)、いい加減な情報ばかりだったためかなりアヤシイ。
この2つの時代、アメリカと日本を考えてみると、バブル期にやってることもずいぶん違うものだ。経済が好景気を迎えて国家をあげてハイプになっちゃったところはどちらも同じだけれど、ほんとに価値があるんだかわからない不動産に投資しまくった国と、ネットというなんだかよくわからないけれど夢のあるカッコよさげなものに投資しまくった国の差は大きいと思う。「新しいもの」とか「これまでとは違うもの」に対してワクワクする国と、やたらビビリまくる2つのお国は、これからそれぞれどんな道を歩んでいくのだろう。
話がそれてしまった。 東京に戻ってからテレビや新聞のニュースで見聞きするシリコンバレーというかサンフランシスコのベイエリアは、火事があったり地震があったり停電があったりと、景気減速だけでなくほとんど天変地異みたいなことまで矢継ぎ早に起こってなんだか大変そうだ。
去年の夏の終わりに、カメラマンの吉成行夫さんとテクノロジージャーナリストの某氏と一緒にシリコンバレーのあちこちを撮影して回った。シリバレ本(シリコンバレーの旅をテーマにした本)を作ってみようという企画によるものだったのだけれど、取材のあと、忙しさにかまけてダラダラと執筆している間に、ナスダックの株価があれよあれよという間に下降線をたどって、そのうちドットコム企業がバタバタと倒れはじめたりして、とても困ったことになった。おそるべしネット業界、おそるべしドッグイヤー。
別の仕事のついでに、この春にもシリコンバレーを訪れる機会があった。バブル崩壊後のシリコンバレーがどんな風になっているかというと、たしかに一時ほどの活気はなかったように感じたけれども、もちろんスラム化が進んでるなんてこともまったくなくて、そこに暮らしている人たちはやっぱりナイスだし、街並みも田園風景も美しいままなのだ。
僕の手元には、吉成カメラマンが撮ってくれたシリコンバレーのいろいろな表情を捉えた素晴らしい写 真と、夢だの憧れだのという言葉を恥ずかし気もなくポンポン並べたてた「ほぼボツ原稿」がある。僕はこれからこのコラムでこれらを素材にしてもう一度シリコンバレーのあれこれについて書いてみようと思う。発表時期を逸した「ほぼボツ原稿」はマジでボツにするとしても、吉成さんの写
真のほうは、20世紀の終わりのバレーに流れる時間を切り取った貴重な映像資料であることに間違いない。このコラムの表題は、どちらかというと、このシリバレ本の当初の企画のタイトルとしてふさわしいのだけれど、何事にもテキトーすぎる自分を戒めるつもりであえて採用することにしよう。
サンフランシスコベイ南端付近にあるAlviso County Park近くでみつけた踏切。再開発が進む隣接地域とは対称的に、ここはまるで時間が止まってしまったような不思議な場所だった。
Photo by Yukio Yoshinari/Image Works
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