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■西部開拓時代の伝承物語~黄金伝説を追いかけて

 

第14回:風力大八車で黄金郷を目指した男

更新日2024/07/25

 

今でこそ、太陽の光を利用した発電、風車を回す発電は公害をもたらさない自然エネルギーとしてもてはやされているが、いつも吹いている風を利用して車を走らせようとした男が西部開拓時代にいた。

アメリカ人は得手して実用的に物事を考え、それを実行に移す行動力に溢れている。単なる思いつきで物事を終わらせず、それを具体的なモノとして作り上げていく、独特の能力が備わっているかのようだ。
 
大型、小型の帆船が世界中の海を行き来している以上、それを陸上でやってみよう、できないはずはないと、多くの人は夢想するだけだが、それを現実に作り出したのがサミュエル・ペッパードという男だ。

北米大陸を行き来するのは、鉄道が登場し、敷設されるまで、馬、ミユール(馬とロバのかけ合わせ)それに牛が主役だった。当然、馬やミュールは当時としても値が張り、貧乏なパイオニアにはとても手が出なかった。

モルモン教団がソルトレイクシティーまでの大量移住を図った時も、とても馬やミュールを買うお金がなく、大きな二輪が付いた手押し車に必需品を積み、それを引いて大草原を東から西へと移動した。舗装道路ならともかく、当時のモルモン街道(オレゴン街道とほぼ並行して走っている)ワダチが深く、雪解けシーズンだけでなく、雨の後には歩くのさえ困難な箇所がたくさんあった。そこを荷を満載した大型のリヤカーを引いて移動するのだから、多くの悲劇が起こったのは当然とも言える。
 
サミュエル・ペッパードはオハイオ州で1833年に生まれた。彼が23歳の時、カンサス州のオスカルーサ(Oskaloosa)に移住し、そこで車を動力にした粉挽き業を始め、それなりに安定していた。しかしながら、1858年にロッキーの東、今のデンバーの南、チェリークリークに金鉱が発見され、その黄金狂に感染したのは、先のダニエルと同じだ。

サミュエルは工夫を凝らし、モノを作るのが得意だったに違いない。試行錯誤を繰り返し、試運転をし、よしこれなら充分コロラド・ロッキーの東側まで到達できるという確信を抱くに足るものを造り上げたのだ。2本マストのケッチの陸上版で、全長が8フィート(約2.5メートル)幅が3フィート(1メートル弱)と至って小さな荷馬車だった。ただ、両車輪の幅は6フィートあったから、車体から両脇に飛び出すほど広かった。

しかも、4個の車輪の直径は6フィートとあるから、大人の身長より相当大きかった。これは、道なき平原の凸凹を安定して走ることができ、少なくともひっくり返らないようにするためだろう。マストの高さは10フィートとある。前方にあるメインセールは11フィート×8フィート、後方にあるミズンセールは7フィート×5フィートで、その上、烈風のために縮帆(リーフ)できるようになっていた。

そしてこのセーリング幌馬車の自重は350ポンド(約170キロ)あり、500ポンド(250キロ)の荷を積めるように作られていた。

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このイラストは東部の雑誌『Leslie’s Illustrate』に掲載されたもので、
当時盛んに出版されていた“西部モノ”のひとつで、
イラストレーターはサミュエルが作った風力馬車を実際に見ていないはずだ。

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多分にサミュエルの風力馬車に触発され、大平原横断を試みた者が相当数いたが、
これはその内の一つで、写真が残っているのは珍しい。
写真が撮られた場所はカンサスのローガン郡ということは分かっているが、
この二人の人物の名前などは不明。

テストドライブ、セーリングを繰り返した末、故郷のオスカルーサを出発したのは1860年の5月11日で26日に道半ば、約250マイルの距離にあるフォート・カーニーに着いている。

サミュエルの日記によれば、無風状態で全く前進しなかった日が9日もあり、実際に動いた日は5日間だけだと言っている。現在、ネブラスカ州の中央にあたるフォート・カーニーはサウス・プラット川の南岸にあり、オレゴン街道、カリフォルニア街道、そして対岸にはモルモン街道が走る、重要な中継点だった。

相当数のパイオニア、西部への移住者、騎兵隊がサミュエルの風で走る馬車を目撃し、記録を残している。その中に大袈裟なホラ話に近いものが多く、時速50マイルで飛ぶように疾走したとまで書いているものもある。

その道程でインディアンが興味津々の態で何度も接近してきたが、彼らが一番欲しがる馬を引いていないので、興味を失い、消え失せたりしている。
 
サミュエル自身気がついていたことだが、車輪の軸が荷台を支えている箇所(彼はボックスと呼んでいる)がすぐに加熱し過ぎるのだ。当時、ボールベアリングを使っていなかったから、しじゅう獣脂などのグリース、油を注入していたが、少しスピードを上げるとすぐに焼けるほど熱くなるのだった。

勇躍、フォート・カーニーを出発し、カリフォルニア・ヒルと呼ばれている分技点に着き、そこから南下し、デンバーの南にある黄金郷チェリー・クリークに向かったのだった。
 
現在のフォート・モーガン(コロラド州)近くまで来た時、縮帆する暇もなく突風に見舞われ、サミュエルによれば、彼の風力馬車自体が20フィートも宙に浮き、地面に叩きつけられ木っ端微塵に砕けたのだった。幸い彼と二人のクルーに怪我はなかったが、その地点で風力車でチェリー・クリークに行く夢は消えたのだった。ともかく、カンサスのオスカルーサから500マイルもの距離を風の力だけで移動したことになる。

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サミュエル・ペッパードの航跡略図
ヨットでの航海はおおむね貿易風を掴んで行われるが、アメリカ中西部の大平原では
安定した風は期待できない。その上、海上では向かい風にある程度の角度まで間切るように
風上に向かってセーリング可能だが、荷馬車では無理があった。

サミュエルはその地点からヒッチハイクよろしく金鉱の眠るチェリーク・リークまで行き、黄金を探し求めたが、もちろん新しい金鉱は見つけられず、故郷のオスカルーサに戻った。折から南北戦争が始まりそうな雲行きに乗じて第二コロラド義勇軍に2年ほど従軍した後、退役した。

サミュエルは二度と黄金の夢に取り憑かれることもなく、風力荷馬車を作ることもなく、故郷の村で結婚し13人の子をもうけ、1916年、82歳で亡くなった。当時としては非常な長生きをしたと言える。墓はオスカルーサのプレゼント・ヴュー墓地にある。

-…つづく
 


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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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