第171回:私の蘇格蘭紀行(32)
■帰国、そしてバー開店へ
1999年4月29日(木)13:40pm、ヒースロー空港発、英国航空(British Airways)05便、東京行きに無事乗り込むことができ、翌30日の9:00am過ぎ成田に到着。ちょうど1ヵ月にわたる私の旅行は終わった。
余談だが(しかも書き留めたものがないので、この件に関してはうろ覚えだが)、帰りの飛行機が一緒で、ドイツに半年以上滞在していたという20歳代後半の女性と知り合った。隣席ではなかったような気がするので、おそらく成田に着いて荷物を受け取る段に、何かのきっかけで言葉を交わしたのだと思う。
荷物を受け取った後、お互い時間に余裕があったので空港内の喫茶店に入り、小一時間お話しをした。私は、スコットランドの人たちはとても親切で心和ませて旅を続けることができたと語った。彼女は今回が半年、その前にも4ヵ月ほどドイツにいたが、どうしてもドイツ人には馴染めなかったと言う。
「本質的にとても冷たい人たちのような気がするんです」。どのような理由で彼女がドイツに滞在していたのか、どうしても思い出せないが、その時私が、「それでは、毎日とてもしんどかったのではないですか」と訊ねると、「はい、とても疲れていました」と答えた。
清楚な感じの無口な女性だったが、しばらく話していない日本語で会話できたことがうれしかったのか「こんなに笑って話したのは久し振りでした。どうもありがとう」と言ってくれた。
それで、お互いの連絡先を教え合うこともなく、それぞれの交通機関に向かうため挨拶をしてお別れした。今だったらメールアドレスの交換か何かをしているだろうかと考えたが、やはりそのようなことはしないで別れていたのだと思う。旅というのは、そういうものだという気がする。
・・・それから、
私は7ヵ月後の11月27日にバーを開店することになる。今考えるとずいぶんと準備期間というか、遊んでいる期間が長かった。
帰国してからいろいろと考えてみた。スコットランドに行ってきたのだから、やはりスコッチを中心に置く店にしたいと思った。パブという規模の店は難しいので、バーにしようと決めた。
6月から8月にかけて、サントリー・フードビジネス・スクール(今は存在しないらしい)のバーテンダー基礎コースに通い、自分の不器用さと格闘しながら、何とか修了証を得る。
その後、9月からの同スクールのウイスキー専科、バー経営講座などを受講する。殊にウイスキー専科(4日間)は、とにかく世界のいろいろなウイスキーを味わうことができ、たいへんに勉強になった。
併せて9月初旬からは店舗の物件探し。最初は三軒茶屋あたりを物色してほぼ決まりかけていた物件があったが、立地の条件でどうしても今ひとつだと土壇場で駄々をこねて取りやめる。その後自由が丘に目的地を変え、10月2日、開店の8週間前に今の物件に出会うことができた。
その間、第4回のラグビー・ワールド・カップがウエールズを中心に開催されていた。我がスコットランドは、予選リーグを2位通過、プレーオフも勝利し、決勝トーナメントに進んだ。
決勝トーナメント初戦で、優勝候補ニュージーランドと当たり健闘したが18-30で敗れてしまう。けれども半年前に訪れたMurrayfield Studiamで戦う彼らの勇姿を見ることができ、私もとにかく店を開けるべくがんばらなければと、真っ直ぐに思った。
店の内装工事を、会社務め時代に取引をし、お世話になっていた事務機器店に発注する。前の店舗もバーであったため居抜きで借りることができ、あまり手を加えなくても店を始められそうなのには助かった。一から始めるとしたらお金が足りなかっただろう。また、事務機器店の社長がかなり良心的な価格に抑えてくれたことにも感謝している。
店の名前は大切だと思った。決めるのには少々苦労し、いくつかの候補が頭に浮かんだが、私はスコットランド旅行で最も印象に残った地、リズモア島から名前をお借りしようと決めた。『BAR
Lismore』、そう名乗ることにした。
ロゴも決まり看板も発注した後、ウイスキー事典を繰っているうちに「LISMORE」というスコッチがあることを知る。その数日後、サントリースクールの全講座を終了して、一緒に勉強をしていた仲間と3人で連れ添い、渋谷の『門』へ行った。
そこで初めてLISMOREを飲む。マイルドで旨いスコッチだった。取引を始める酒屋の「信濃屋」さんに連絡すると常に供給できるウイスキーとのこと、店のハウス・ウイスキーにすることになった。
その翌日、店の大家さんに初めてお会いする。以前、洋装店を経営されていたという80歳代半ばの老夫婦である。ご主人(今からもう7年前に亡くなられたが、大変にお洒落な方だった)から「店名は決められましたか」と聞かれ、「はい、旅行をしたスコットランドの島の名前からお借りして『リズモア』と決めました」そう答えた。
するとご主人は、「『リズモア』ですか。ほう、良い響きですね。実に素敵なお名前だ」と誉めてくださった。私はこの時の大家さんの言葉は、いつまでも忘れることはできない。
(完)
第172回:走れ! 愛馬"リズモア"(前)
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