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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
第219回:流行り歌に寄せてNo.31 「お富さん」~昭和29年(1954年)

更新日2012/09/27

今から8年と少し前、このコラムの第31回『未練化粧』というタイトルで、歌の聞き間違い、思い込みについて書かせていただいた拙文の中に、下記の一節がある。

(前略)

春日八郎が歌った古典的名曲『お富さん』の冒頭を、ずっと「粋な黒兵衛 御輿の祭」と信じ込んでいた。

小粋な黒兵衛さんが、お祭りで御輿を担いでいたときに、たまたま久し振りにお富さんと出会したという歌だと思っていたのだ。だから、この物語の登場人物は黒兵衛さんとお富さんで、私の中では「切られ与三」という人物は存在していなかった。

本当の詞が「粋な黒塀 見越しの松に」であることを知ったのは、二十歳を過ぎて、さらに時間が経過した後だった。

(後略)

思い込みというのは、なかなか解けないものかも知れない。この思い込みの背景には、私の幼いときの思い出も影響しているのだろう。この歌は母の愛唱歌のひとつで、私が小学校の低学年頃まではよく口ずさんでいた。

それを聞いていた私には、歌詞の意味がまったく分らないので、時々母に尋ねたのである。「ねえお富さんて、誰?」「何やってる人なの、どうして死んだはずだったんだろう?」

母が、この歌の元となった歌舞伎『与話情浮名横櫛』の内容をどこまで理解していたかは別にして、自分では好きで口ずさんでいながら、囲われている女性のことを始め、いろいろと子どもにはあまり教えたくない世界観であったのだろう。

「ごめんね、よくわからないからお話しできない。お前はまだ小さいんだから別に知らなくていいんだよ」、そして「それより、ちゃんと校歌覚えたの。お母さんに聞かせてくれない?」などと、体よくごまかそうとしていた。

こちらも、それ以上は話をしてはいけないものだと何となく悟り、ようやく三番まで歌えるようになった校歌を、歌い始めたりするのである。

「お富さん」 山崎正:作詞 渡久地政信:作曲 春日八郎:歌
1.
粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の 洗い髪 

死んだ筈だよ お富さん

生きていたとは お釈迦さまでも 知らぬ仏の お富さん

エッサオー 玄治店(げんやだな)

2.
過ぎた昔を 恨むじゃないが 風も沁みるよ 傷の痕

久しぶりだな お富さん
 
今じゃ呼び名も 切られの与三(よさ)よ これで一分じゃ お富さん

エッサオー すまされめえ

3.
かけちゃいけない 他人の花に 情かけたが 身のさだめ

愚痴はよそうぜ お富さん

せめて今夜は さしつさされつ 飲んで明かそよ お富さん

エッサオー 茶わん酒

4.
逢えばなつかし 語るも夢さ 誰が弾くやら 明烏(あけがらす)

ついてくる気か お富さん

命みじかく 渡る浮世は 雨もつらいぜ お富さん

エッサオー 地獄雨


さて、この頃の歌謡界にはよくある話のようだが、春日八郎の代表曲であるこの『お富さん』は、実は当初、岡晴夫が歌う予定になっていた。ところが、岡がその直前にキングレコードを離れてフリーの歌手になったため、キングは後釜を探し始める。

若手の若原一郎(当時22歳)などの名が上がっていたが、キングレコードの文芸部担当重役の推挙で、春日八郎に歌わせることになった。彼は、長い間の下積みの後、『赤いランプの終列車』をようやく2年前にスマッシュ・ヒットさせたが、それ以降また曲に恵まれていなかった。

春日は、その年の終わりには30歳を迎えようという、当時としてはあまり売れないが、すでにベテラン歌手だったのである。そして、この『お富さん』の大ヒット(120万枚)以降、「演歌歌手」の第一人者として、長く芸能界をリードしていくことになる。

そして、1991年10月、彼が肝硬変により67歳で亡くなったその葬儀の席で、参列者によって合唱されたのが、この『お富さん』だったという。

音楽とは不思議なものである。明るく艶っぽく、リズム感のあるこの歌は、却って参列者の悲しみを誘ったことだろう。もう一度しみじみこの歌を聴いて、そんな気がするのである。

-…つづく

 

 

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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