
この作品は、カロが1617年に制作した大判版画『聖アントニウスの誘惑』です。銅版画としては型破りの37.8×48.4㎝の大きさです。例によって画面を縁取るようにしてシルエット状の飾り絵があり、その画面いっぱいにおびただしい数の奇怪な怪物や悪魔たちが描かれています。
聖アントニウスは、真摯に神に仕えるべく、世俗の暮らしから縁を切って、質素で厳しい修行をする修道士たちの元祖とされる聖人です。3世紀ごろにエジプトで生まれ、両親は敬虔なキリスト教徒でその影響を強く受けて育ちましたが、その両親を若くして亡くし、それを機に全財産を貧しい人たちに分け与えて、自分は砂漠で修行に励み、100歳を超えて亡くなるまで孤独な生活を続けた聖人とされています。
この聖人を画題《テーマ》にした画家は多く、マーティン・ショーンガウワー(1448頃-1491)、ヒエロニムス・ボス(1450頃-1516)、ルーカス・クラナッハ(1515-1586)、アルブレヒト・デューラー(1471-1528)、ピーテル・ブリューゲル(1525頃-1569)など並みいる歴史的画家がこの聖人をテーマに作品を創っていますから、これは北ヨーロッパの画家たちの想像力をとりわけ触発するテーマだったのでしょう。
ショーンガウワーはこのテーマを八匹ほどの様々な動物たちが姿を変えた怪獣のような連中が聖アントニウスを宙空に抱え上げている構図の銅版画で表現していますが、怪獣たちがおどろおどろしいだけではなくて、どこかユーモラスな表情をしているあたり、カロの作品に通じる面白さがあります。カロは当然この版画を知っていたと思われますけれども、ショーンガウワーのものより、はるかに壮大で複雑かつ奇怪です。
ちなみにミケランジェロ(1475-1564)は、12歳の頃にショーンガウワーの作品を模写した油絵を描いています。ほかにもボスが油彩の祭壇画を、ブリューゲルが版画の作品を制作しています。どちらにも奇怪な形象が描かれていますけれども、ボスが描いた空間の広がりや、ブリューゲルの作品の奇想に満ちた形象には、カロの作品に通じるものがあリます。
カロはロレーヌ公国のお抱えデザイナーを父にもち、自分自身もトスカーナ大公の正式の版画師だったのですから、ブリューゲルの版画に関しては目にしていたでしょうが、一点ものの油絵であるボスの作品を見ていたかどうかはわかりません。ただこれは人気の画題《テーマ》でしたから、誰かからボスの作品のことを聞いたことくらいはあったかもしれません。もちろん、カロの仕事がそうであったように、ボスの祭壇画のように、持ち運ぶわけにはいかなかった一点ものの油絵などは、それを模写した版画が出回っていましたから、それを目にした可能性は大いにあります。なおデューラーの作品には妖怪は登場していません。
この画題《テーマ》を描いた人はほかにもたくさんいたでしょうし、カロもその一人ですけれども、しかしカロの作品は、ここに名前を挙げた絵画史上に燦然と輝く足跡を残した錚々たる画家たちと比べても、全く引けを取りません。それどころか、描かれた形象の密度にしても、構図にしても、空間の広がりの壮大さにしても、妖怪たちの多様さや奇怪さや彼らが行なっていることの奇抜さにしても、ほとんど彼らを圧倒しています。
これは明らかにカロが、すでに描かれたあらゆる『聖アントニウスの誘惑』を超える作品を描くべく、一念発起して、ふてぶてしいまでの自負と、過去の巨匠を凌駕してみせるぞという野心を胸にチャレンジした作品だと思われます。つまりカロは自らの創造力の豊かさと技量の高みを、この時点で、描き切りたかったのでしょう。
ところで、肝心の聖アントニウスは、この画のなかのどこにいるのかといいますと、画の右側の中央より少し上に岩の洞穴のような場所があります。そこに聖人であることを表す後光を放っている小さな人物がいます。それが聖アントニウスです。このたくさんの怪物たちのなかにあっては後光を放っていなければ到底わからないくらいの小ささで描かれています。

よく見ると、どうやら小悪魔のような連中にからかわれているようで、聖アントニウスは聖書を広げて勉強しようとしていますが、あろうことか小悪魔の一匹は聖書にウンチをしようとしています。さらに罰当たりなことには、浮かび上がって同じように聖人の頭を汚そうとしています。散々です。
この画のなかで最も大きく描かれているのは、まん丸の目をこちらに向けて口から気炎を吐いている空飛ぶ怪物です。魔王なのかもしれませんが、角まで生えていて、その勢いに周りの小悪魔たちが吹き飛ばされています。一体なにをしようとしているのはよくわかりませんが、右手に大きな箒かハタキのようなものを持っています。大きさということでいえば、この魔王が明らかにこの画の主役です。

ほかにも奇妙な妖怪のようなものがいたるところにいます。画面の左側では、動物人間のような連中が手に手を繋いで輪になって楽しそうに踊っています。やはり異形《いぎょう》ですけれども、ほかの魑魅魍魎《ちみもうりょう》に比べればこれらはまだマシな方かもしれません。なかの一匹が、カロが描いたコメディア・デラルテの役者のような動作をしているのはちょっとしたご愛嬌でしょう。

連中がやっていることもさまざまで、たとえば下方正面の肋骨車のようなものは、フィレンツェの祝祭の際の山車《だし》を連想させますが、それでいったいぜんたい何をしているのかなど、わかるはずもありません。何しろこの魑魅魍魎たちは、聖書でイエスが荒れ野にこもって断食をした際に現れてイエスにちょっかいを出したサタンのように、聖アントニウスの修行を邪魔すべく彼の周りで、あの手この手で聖アントニウスを蹟《つまず》かせようとして誘惑、あるいは誑かそうとしているのですから……
山車の周りの小さな妖怪たちも、千差万別の姿をしていて、やっていることもそれぞれ違っていて、よく見ているとだんだん興味が湧いてきて想像力が刺激されます。カロの創造性が遺憾無く発揮された作品です。このところ盛んに多様性が云々されますけれども、多様ということでいえば、魔界とはいえ、これほど不揃いで多様な連中が好き勝手をしている世界はないかもしれません。そしてそこにこそ、この画題の重要性があるとも言えます。

なみいる巨匠たちが、どうしてこの画題《テーマ》を好んだのかといえば、理由は主に二つあると思われます。一つは敬虔なキリスト教信者の苦行、あるいは禁欲的な修行への興味です。キリスト教ばかりではなく、多くの宗教では、教義への理解を極めたり悟りを開いたり教祖に近づくために、あるいは世俗への未練を断ち切るためになど、さまざまな理由で修行や苦行が行われます。
仏教でも座禅を組んだり滝に打たれたり断食をしたり荒業をしたり写経をしたりしますけれども、キリスト教の修道士たちも同じような苦行を行います。ただキリスト教で重要とされるのは、質素な暮らしをして聖書を深く学ぶということ以外に、たとえば、イエスが行なった荒れ野での苦行や、人間が犯した罪を自らの命をもって償うという、いわゆる受難の疑似体験です。そのことによってイエスの気持ちに少しでも近づきたいということでしょう。
ですからキリストの復活祭では、十字架を背負ってゴルゴダの坂を登ったイエスを模して、裸足で行列に加わったり、実際に小さな十字架を背負って歩く人がいたりします。また修道院のような世俗とは縁を切って、特別な世界で質素で禁欲的な生活を神やイエスを身近に感じながら送るというのも、その一つの方法なのでしょう。
聖書の世界において人間の罪の中で最も重い罪は、いわゆる原罪という、エデンの園で、神からとってはならないと言い渡されていた知恵の実を、エバが蛇にそそのかされて食べ、その実をアダムにも食べさせたという罪です。その実を食べたことによって、それまで裸で暮らしていたアダムとエバは、それを恥ずかしく感じるようになったということですけれども、それはともあれ、神との約束を守らなかったというこの罪によって、二人は罰として楽園から追放されてしまいます。さらに罰としてアダムにはイバラとアザミの生い茂る土地を額に汗して耕し食べ物を得る者となる事が課せられますし、エバには産みの苦しみという罰が与えられます。そしてこのことは自ずと、男女の裸の営みそのものを忌まわしいこととするキリスト教独特の価値観、あるいは禁欲をよしとする考えにつながっていきます。
こうしたことに始まって、異性から離れて暮らす修道院での生活や教会を清いもの聖なるものとし、欲望や暴力や諸々の邪悪が渦巻く現実の社会を汚《けが》れたものとする価値観が社会化します。
聖アントニウスは現世の富を捨てて砂漠で苦行をするわけですけれども、しかし問題は、それが果たして、神やイエスやその教義を大切にするために不可欠な生き方なのだろうか、他に方法はないのだろうかという素朴な問いが、おそらくは多くの普通の人の胸に浮かぶのではないかということです。
そんな苦行ができる人は限られていますし、それでなくとも美味しいものは食べたいし、恋心を抱くことだってあるでしょう。修道士や修道女たちは本当に、そういうものからきっぱりと縁を切って生きることができるのだろうか、というより、そんなことをして楽しいのだろうか、と思ってしまいます。そしてそこにこそ、『聖アントニウスの誘惑』が画家の画題《テーマ》になる理由があります。
聖人といえども、それは無理なのではないか、、妄想を抱いたり、さまざまな欲望を抑えきれずに、つい邪《よこしま》なことの一つも考えたりするのではないか、それが人間というものではないか、もしかしたら多くの人が実はそう思っているとしたら、キリスト教徒にとってそれは、一つの普遍的なテーマとなりうるのではないかということです。
この画題《テーマ》が好まれるもう一つの理由は、聖アントニウスの誘惑を描こうとすれば、自ずと幻想の世界を描くことになるだろうということです。砂漠の洞窟に籠っている聖アントニウスに、実際に生身の悪魔が現れて悪さをするということは一般には考えられないことで非現実的ですから、これはどうしても、聖アントニウスの心の中に湧き上がってきた誘惑だろうということになります。つまりそこで画家が描くべきものは、聖アントニウスの心象風景、現実ではない幻想、あるいは妄想の世界ということになります。
だとしたらそこに、画家が豊かに想像力を働かせる無限の余地があるということです。その頃の画家は、王侯貴族から肖像画とか、戦さの戦勝記念とかを頼まれたり、教会などから頼まれて、聖書の有名な場面などを描いていたわけですけれども、これは実は、何かと制限があって不自由です。王様をあまり醜く描くわけにはいきませんし、実際に戦場に行っていなかった王様を、鎧兜をつけて騎馬にまたがって戦場を睥睨《へいげい》する勇壮な姿に描かなくてはいけなかったかもしれません。
それに比べれば『聖アントニウスの誘惑』は、一種の宗教画ではありますが、しかし、禁欲生活を送る聖人の想念に去来し心を乱す諸々のイメージがテーマで、しかもアダムとエバやイエスの時代から誘惑を仕掛けてくるのは悪魔《サタン》と相場か決まっていますから、悪魔や修行を妨げる魑魅魍魎《ちみもうりょう》を描けばいいということになりますし、悪魔であるからには、それがどんなに醜くても奇怪でもなんの不都合もありません。
つまり想像力の翼を思う存分伸ばして自分が思うように描けばいいということになります。それがこの画題《テーマ》が巨匠たちに好まれたもう一つの理由だと思われます。そしてカロは実際、誰もなし得なかったほどに自由奔放にこのテーマを描きました。見事です。
ところで、キリスト教の世界には敬虔な修道士や聖人はほかにもいます。たとえば、ジョットの美しいフレスコ画が描かれていることでも有名なアッシジの聖フランチェスコ聖堂は、同じように世俗から離れて質素に暮らした聖フランチェスコの生誕の地に建造された聖堂です。ただ聖フランチェスコは、修行中に魚や鳥など、周りの自然の中に生きる諸々の命あるものと会話をし、教えを説いたと言われていて、狼を改心させたという伝説も残っています。
そればかりか聖フランチェスコは、空や星や水や月や太陽や草花など、あらゆるものを愛で、それらと対話をしたと言われている聖人で、そんな彼のエピソードは、聖アントニウスを取り巻いている魑魅魍魎とは無縁です。
これはもしかしたら、聖アントニウスが、聖フランチェスコとは対照的に砂漠で極限的なまでの禁欲生活をした聖人だということと関係があるかもしれません。つまり聖アントニウスの妄想は、凄まじいまでの禁欲が生み出したものなのかもしれないということです。どちらも孤高の清貧の聖人ではあったけれども、かたや砂漠の中で禁欲的な生活を送り、かたや周りの自然の森羅万象と語り合いながら共に暮らしたということが、多くの信者や表現者たちから見た両者にまつわる表象《ひょうしょう》の違いとなって表れたということなのかもしれません。
-…つづく