サラセンとキリスト教徒軍騎士たちが入り乱れ
絶世の美女、麗しのアンジェリーカを巡って繰り広げる
イタリアルネサンス文学を代表する大冒険ロマンを
ギュスターヴ・ドレの絵と共に楽しむ
谷口 江里也 文
ルドヴィコ・アリオスト 原作
ギュスターヴ・ドレ 絵
第 3 歌 乙女騎士ブラダマンテの運命
第 2 話: 魔法の知恵の書に記された運命

さて前回は、不思議な洞窟の中に大魔術師マーリンの棺の中からマーリンの霊が乙女騎士ブラダマンテに語りかけ、それを引き継いで、マーリンの墓を護る良き魔法使いメリッサが、マーリンの、未来を記した魔法の知恵の書には、語り始めるところまでお話しいたしました。
それによるとマーリンの未来を記した魔法の知恵の書には、ルッジェロとブラダマンテがやがて結ばれ、そしてそこから、イタリアに栄光をもたらす名家エステ家が始まると書かれているのこと。
あまりのことにただ呆然とするブラダマンテを、良き魔法使いメリッサは大理石の大きな円柱がある広い場所に案内すると、円柱の側に立たせ、そこを中心に地面に魔法の杖で大きな円陣を描き、そして言った。

必ずここに描かれた円の内側にいるように。
これからそなたの子孫を
未来に肉体を得ることになっている人々の魂を
呼び寄せてそなたに見せよう。
それこそが、マーリンさまの言葉の何よりの証。
さあ出でよ、清廉な乙女の血を受け継ぐものたちよ!
そんな声が地下宮殿に鳴り響くや否や、無数の魂たちが生まれる順に現れ、円の外側を歩み始め、それが誰なのかを魔女が説明し始めた。
これはそなたとルッジェロの息子。
よく似ておるであろう、そなたに。
それから魔女は、その息子、ブラダマンテの孫にあたる勇者ウベルトや、軍を率いれば無敵のアルベルト、その子のウーゴなど、エステ家とイタリアに栄光をもたらした子孫たちを次から次に紹介した。なかには大公になる者もいれば枢機卿になる子孫もいた。

これらがみな私の……? 悲運に倒れる者も中にはいたが、総体としてそれは目眩がするような華やかな勇者たちだった。
大切なのはそなたが
このような栄光に包まれた一族の母だということ。
なかにはエルコレのように身を呈してイタリアを護り
さらにはイスパニアはカタルニアの王との決闘に勝って
勝利の女神と共に歩んだ連戦連勝の勇者もいた。

不思議なことに、魔女が円陣を回る魂たちの説明をすれば、天井から吊るされたシャンデリアの蝋燭の光が届かぬ部屋の向こうの闇の中に、その者が敵陣へと向かう姿や、民の祝福を受けている姿などが浮かび上がる。この人たちがみなルッジェロさまと私の子孫? そう思うと、彼らの姿がみな愛おしく、感動に震えるブラダマンテの胸に沁みた。

もうこれくらいでいいでしょう、と魔女が言い、ゆっくりと、未来が記された魔法の知恵の書を閉じた。そなたの子孫たちの話を語り尽くそうとすれば夜が明けてしまう。そう言われて明日のために眠りに就こうとしたブラダマンテに、大魔術師マーリンの霊が再び語りかけた。
夜が明けたら出発するがいい、すぐに。
そして向かえ、ルッジェロのもとに。
夜明けを待たずに、マーリンの霊に仕える魔女と共に長い洞窟の回廊を通って地上に出たブラダマンテは、天駆ける怪鳥に乗る謎の騎士がいる難攻不落の魔城への険しい道を進みながら、 魔女からルッジェロを救出するための作戦を伝授された。
心せよ、と良き魔法使いが言った。切り立った岩山の上にある魔城に近づくことさえ容易ではないが、それよりも手強《てごわ》いのは妖術を操る謎の騎士。凛々しき騎士ルッジェロと無敵の豪傑グラダッソが二人でかかっても敵わなかったあの怪物は、そなたがまともに戦って勝てる相手ではない。
天馬を駆っての攻撃も凄まじいが、それにもまして恐ろしいのはあの謎の騎士が持つ絹の布で包まれた謎の盾。ひとたび布を取れば、たちまち四方八方に閃光が走り、その光に目を射られて何も見えず、全身が痺れて動くこともできないままに気絶して死人のように倒れ落ちる。閃光を避けようと目を閉じれば天から剣が振り下ろされる。
あの謎の騎士に打ち勝つ手立てはただ一つ。アフリカのサラセンの青年王アグラマンテの臣下で悪巧みに長けたブルネルが亜細亜(アジア)の大国の王女アンジェリーカから騙し取った指輪、どんな魔法の力も消し去る働きを持つ指輪を手に入れること。それを持って闘えば、あの盾さえも効力を失ってただの盾。そこで生じる謎の騎士の動揺の一瞬こそがそなたの勝機。
さて、その指輪の持ち主は幸いなことに今、この道の先にある旅籠(はたご)にいる。なぜならサラセンの至宝、凛々しき騎士ルッジェロが捕らわれの身となったことを知った青年王アグラマンテが、ルッジェロを取り戻すべく奸佞漢(かんねいかん)ブルネルを魔城へと送り出したからだ。
このブルネル、頭はモジャモジャで肌の色も顔色も目つきも悪いたぐい稀なる醜男、とはいうものの、人をたぶらかすことにかけてはこの男の右に出るものはいない。
何しろ奴の口から出る言葉は全て嘘。だから乙女よ、ブルネルから何を言われても決して真に受けるでない。そなたの美貌があれば旅籠でブルネルに近づくことは簡単としても、大事なのはそれから先、何しろ絶世の美女アンジェリーカさえ騙した男、そなたの心を素早く読んで、次から次へと言葉の罠を仕掛けてくるに違いない。
そのことを決して忘れぬよう、そしてブルネルの任務のことなど全く知らぬふりをして、私はこれから魔城の空飛ぶ騎士とやらをこの目で見に行こうと思っているのですと言うが良い。
さればブルネル、美しいそなたと共に目的地に行けると内心ほくそ笑みながら、それでは私が道案内をいたしましょうと言うであろう。そして大事なことがもう一つ、城に着いたなら、さっさと彼を殺して指輪を奪うのです。
いいですか、情など決してかけてはなりませぬ。そう言うとマーリンの霊に仕える良き魔法使いは姿を消し、やがて見えてきた旅籠の中には確かに、メリッサが言った通りの醜男ブルネルがいた。
さてこの続きは第4話にて。

-…つづく