サラセンとキリスト教徒軍騎士たちが入り乱れ
絶世の美女、麗しのアンジェリーカを巡って繰り広げる
イタリアルネサンス文学を代表する大冒険ロマンを
ギュスターヴ・ドレの絵と共に楽しむ
谷口 江里也 文
ルドヴィコ・アリオスト 原作
ギュスターヴ・ドレ 絵
第 4 歌 魔法の指輪
第 1 話: 天馬の騎士の正体
さて前回は、大魔術師マーリンの霊を守る良き魔法使いが、華麗にして清廉な乙女騎士ブラダマンテに、彼女が凛々しき騎士ルッジェロと結ばれる運命にあると告げ、それを聞いて一刻も早くルッジェロの救出に向かおうとするブラダマンテを制して、それにはあらゆる魔法から逃れる力を持つ魔法の指輪が必要で、幸い近くの旅籠の食堂に、その指輪を持つ嘘つき醜男のブルネイがいるので、そいつから指輪を奪うようにと、良き魔法使いが話してくれたところまでをお話ししたのでした。
さっそくブラダマンテが教えられた旅籠に向かうと、確かに一目でそれとわかる醜男のブルネルがいた。さりげなく近づけば、口先だけでこの世を渡り歩いてきた悪漢ブルネルは、たちまち麗しい乙女の姿を見つけて、あわよくばこの美女を、との悪巧みを巡らせながら、ブラダマンテを自分のテーブルに招いた。こうして互いに自らの想いを心の奥底に沈ませつつも、それを表には微塵んも出さずに、二人は旅籠の食堂で向かい合い、うわべは何やら親しげに探り合いの会話を始めた。
するとそのとき突然、天井から吹き荒れる嵐のような異常な音がした。旅籠の天井は屋根ごとギシギシときしみ、今にも壊れ吹き飛ばされそうになった。
食堂にいた客の全員が慌てて外に飛び出して空を見上げると、巨大な翼を生やした天馬が旅籠の上を飛び回っていた。天馬には、キラキラ光る磨き上げられた鋼鉄の鎧をまとい、同じく鋼鉄の面と兜で顔を覆った騎士がまたがり、地上を見下ろしながら急降下と上昇を繰り返す。それを見て旅籠の主人が言った。

こんなふうに空から舞い降りてきて村の若い娘たちを
それも美しい娘たちばかりをさらっていくのです。
旅籠に立ち寄った騎士の方々が、それでは拙者がと
娘たちの救出に魔城に次々に向かいましたが
帰って来た騎士は一人もおりません。
どうやら魔城がすぐ近くにあるようだと内心胸を高鳴らせた清廉な乙女騎士ブラダマンテがはやる心を抑え、色々聞くと、どうやらブルネルは、サラセンの青年王アグラマンテの命を受けて、魔城に囚われているルッジェロを救出に向かうらしい。それを聞いたブラダマンテは、あまり長く話を続けては、自分の目的はブルネルの持つ指輪のみ、ということを悟られてしまいかねないと思い、甘い声でブルネルに、今晩は早く寝て夜明けとともに一緒に魔城に向かいましょうよ、と言った。
翌朝ブルネルは、道中でうまく騙して自分のものにしようと思いながら、美貌の乙女騎士を連れて上機嫌で城に向かい、やがて魔城が見えて来た。ブラダマンテにしてみれば、城の場所さえ分かればブルネルの役目はそれで終わり。騙される前にさっさと魔法の指輪を奪うべく、あっという間にブルネルを組み伏せて木の幹に吊るし上げて指輪を奪った。

何しろブルネルは口は達者でも武芸のたしなみは皆無。かたやブラダマンテは美しい乙女騎士とはいえ、無敵の騎士リナルドの妹であって、まるで勝負にならない。メリッサの言いつけどおり、さっさと剣で息の根を止めても良かったのだが、さすがにそれは哀れに思え、指輪さえ手に入ればそれで良しとして、ブラダマンテは奪った指輪を指にはめ、魔城に向かって馬を進めながら大声で、天馬の騎士よ、いざ見参、この私と勝負せよと美しい顔を空に向けて叫んだ。
するとたちまち天馬にまたがった謎の騎士が現れ、美貌の騎士をさっさと捕まえようと、閃光で乙女騎士の目を潰し全身を痺れさせすべく、いきなり魔法の盾を覆っていた布を取り払った。誰もがそこから発せられる光で視力を奪われて卒倒してしまわざるを得ず、ルッジェロもそれでとらわれの身となったのだったが、しかしすでに、あらゆる魔法から身を護る指輪をはめているブラダマンテには魔法の鏡もただの鏡。しかしブラダマンテは、目が見えなくなったふりをして、天に向かってしばらく虚しく剣を振るう演技をした後、あたかも全身に痺れが回ったかのように地面の上にどうと倒れた。
乙女が地に倒れ伏したのを見ると謎の騎士は天馬と共に大地に降り立ち、いつものように気を失った者の両手両足を縛るべく、鎖を手に天馬を降りてブラダマンテに近寄って来た。そのようすをブラダマンテは地に伏したまま薄眼を開けて見ていたが、そのまま謎の騎士がすぐそばまで来るのを待った。
近くに来た謎の騎士は、魔法の鏡に魔法の力をもたらす妖術の書を手にしていたが、乙女を縛るには不都合と、妖術の書を手から離して地面に置いて近寄った。すると不思議なことに、それまで謎の騎士がまとっていた輝く鋼の鎧兜は消え失せ、現れたのは一人のみすぼらしい老人。だが実はそれこそが、謎の騎士の真の姿。謎の騎士の力も姿も妖術の書を手にしていればこそ。それを手にして念じれば、なりたい姿や力やそれに相応しい力を得るが、手放せば妖術はたちまち解けて持ち主は真の姿に戻る。
その一瞬を見逃さずにブラダマンテは飛び起きて、非力な老人をねじ伏せた。老人は怯えて、助けてくれと叫んだが、天馬や魔城の秘密を知る者は、そして愛しいルッジェロの居所を知る者はこの老人しかいないと睨んだブラダマンテ、剣を老人の喉元に突きつけてこう言った。

あの怪しげな城は何か、この天馬は何か?
なぜルッジェロや村の娘たちをさらった?
そこら中に漂う
この世のものとも思えぬこの怪しげな気配と力の秘密は何だ?
すると老人は体を震わせながら、もはやこれまでと、涙ながらに語り始めた。それによれば老人の名はアトランテ。城は老人が妖術によって創り出した幻の城だが、その目的はただ一つ。サラセンの誇り、気高くも凛々しき騎士ルッジェロの命を救うためとのこと。なぜならルッジェロは、遠からずキリスト教徒に改宗し、その結果、異教徒の悪人に殺される運命にあるからだと言う。マーリンの例を守る良き魔法使いが持っていた未来を記した魔法の書に書かれていることとは違うことを言われたブラダマンテは、血相を変えて、さらに浪人に詰め寄った。
さてこの続きは、第4歌、第2話にて。
-…つづく