第226回:ド忘れの年頃
私の両親が2週間ほど私たちの山の家に来て過ごしました。母は4年前からアールタイマー(日本では「アルツハイマー」でしょうか…)になり、まだ日常生活に大きな支障がないものの、車の運転はダメ(これはアメリカでは足をもがれたようなものです)、台所で火を使う仕事はチョット危ないので遠慮してもらうようにしています。
もちろん、同じ話を日に何度も繰り返すのを我慢して聞かなければなりませんが、まだ施設に入るほど進行していません。母はどちらかといえば神経質ですぐにカッーと頭に血が上るタイプでしたが、アールタイマーになってからは、人が変わったように人格が丸くなり、モノゴトを流すことができるようになりました。
彼女の心配は、私たち4人兄弟の誰かが、遺伝的にアールタイマーを引き継ぐ可能性があるのではないか、ということです。確かに、ガン体質とか糖尿病体質は受け継がれる可能性があるようですが、アールタイマーはどうなんでしょうか?
周りの人にとって、とりわけ同伴者には大変でしょうけど、本人には痛みもなく、ボケるのは案外良い歳のとり方ではないかと思ったりもします。
そう言えば、最近、特にド忘れがひどくなってきました。授業の最中に、生徒さんの名前を思い出さないだけならまだいいのですが、専門の言語学で先駆的な理論を展開した高名な学者の名前とか、昨日ビデオで観た映画のタイトル、読み終わったばかりの本のこと、パッと思い出さないのです。
私とは逆にウチの仙人は呆れるくらい、脳にデジカメが入っているのではないかと思うほど必要のないことをよく覚えています。それはドフトエフスキーの若い奥さんの名前から彼の死んだ日、音楽でもこれは誰、それの作曲した交響曲第何番の何楽章と、私から見ればあまり役に立ちそうもないことをよく覚えているのです。
彼の頭の中はゴチャゴチャとありとあらゆる情報を詰め込んで、サッパリ整理されていないファイルキャビネットのようなのです。そのくせ「オイ、俺、今日トイレに行ったか?」と私に訊くのです。そんなこと誰が知るもんですか!
よく、記憶力と判断力は全く別のものだと言います。ですが、私はある程度優れた記憶力の持ち主でなければ的確な判断もできないと思っています。記憶の積み重ねが適切な判断を導く大切な要因になっていると思うのです。そう考えると、私の記憶力の衰えは恐怖です。
先日、指揮者の小沢征爾さんの本を読んでいたら、大きな交響曲を次々と暗譜し、演奏していくのに大切なことは、演奏し終わった曲を忘れることだ……とありました。
私も、発表してしまった論文や書き終えた書評のことはあっさりと忘れます。しかし、同時にこれから書こうとして論文の資料のことも忘れてしまうのです。小沢征爾さんと私では元々の頭の造りが天と地ほど違うことでしょうけど。
三流の学者や先生が自分を見せびらかすためによく偉い人の言葉を借りてきます。私も自分が一流でないことを十分知っていますので、ベルグソンの言葉を借りて締めくくることにします。
曰く『生命力の減退は記憶力の衰えからはじまる』
全く耳の痛い、身につまされる言葉です。
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