第28回:ユーゴの闘争 ~大男のホアン
ユーゴスラビア人の大男、サイモロフ、ここではどういうわけかホアンと呼ばれていた。彼は宝石と呼ぶには程遠い装飾品を扱う店をカジェ・デラ・ヴィルヘンに持っていた。インドやバリ島で仕入れたゴテゴテした首飾り、ブレスレット、イヤリングや指輪が主な商品だった。
サイモロフ=ホアンは、すべてに大づくりの男で、年の頃30を幾つか回ったところだろうか。服装には至って無頓着な男で、いつも同じデニム地のジャンパーを羽織り、薄くなった頭髪をだらしなく伸ばし、濃い無精ヒゲが巨大な顔を覆うままにしているのだった。
「お前が店にいたら、お客は逃げ出すのではないか?」などと言うと、「だから、俺はあまり店に顔を出さないようにしているのさ、オレんとこの売り子はナカナカ優秀だから、安心して任せられるさ…」とか言って、よく私の店に来てくれた。
ホアンが言う通り、彼の店で働いているユーゴスラビアから来た小柄な若い女性二人は、ドイツ語、英語、スペイン語、フランス語をこなし、とてもチャーミングだった。もっとも、その時、私は彼女らだけでなくホアンもユーゴ人なのかクロアチア人、ボスニア人、それともセルビア人なのかという意識すらなく、ユーゴスラビアで一つに括ってしまう程度の社会意識しか持っていなかった。それにしても、同胞同士、同郷の者がこんな避暑地イビサで繋がっていることに驚いたのだ。
いつか、噂話程度の会話の中で、「お前のとこの、スメルジャコフ王女様はたいしたもんだな…」と言ったところ、ホアンは、「とんでもない! アイツが王女なんかであるもんか、第一ユーゴの大半は長年オーストリア帝国の支配下に置かれていて、皇族、貴族なんてチリジリバラバラ、ほとんど消滅してたんだぞ。アイツが王女なら、オレは王様だ!」と切り替えしてきたのだった。確かに、この大男のホアンに中世のヨロイを着せ、カブトを被せ、大きな盾に大マサカリでも持たせれば、B級の騎士団映画の城主くらいには見えなくもなかった。
イビサのファッションショーは年々盛興を極め、イビサに何億ペセタと言う経済効果をもたらしていると『ディアリオ・デ・イビサ』(Diario de IBIZA;イビサ毎日新聞)にあった。スメルジャコフ王女は、町で見かける圧化粧で眉間に深い皺を刻んだ、くたびれた老嬢ではなく、にこやかに満ち足りた表情で微笑んでいる王女然とした写真が紙面を飾っていた。

旧市街にあるバーのエントランス(本文とは無関係)
シーズンオフにマーティンのバー『タベルナ』でホアンに偶然出会った。私の方は下戸なので、日本やマドリッドから友人が来た時くらいしか、夜のバーを徘徊しないのだが、ホアンは皆勤賞的にイビサ旧市街のバーを回っていたから、彼に出会ったのは偶然とは言えないだろう。ともかく、大きな背を丸めるようにカウンターに陣取っていたホアンが酷く落ち込んでいるように見えたので、
「オイ、どうした、エラク不景気なツラをしているではないか…」と声をかけたところ、
「不景気なツラになろうと言うもんさ、マリアとヴァレンチーナ(ユーゴスラスビア人の若い女性店員)が店の金をカッサラッテ、トンズラしやがった」と答えたのだ。
「あの二人、お前さん、エラク信用していたではないか…」
「人をヤタラニ信用しちゃいけないという教訓さ、値の張る品まで盗みやがった。来年の仕入れもできやしね~」
私は、そんなことで気を落とすな、何とかなるさ、とコニャックを2、3杯奢って、ホアンと別れたのだった。

旧市街にあるブティックのエントランス(本文とは無関係)
翌年のシーズン、当然島から逃げたはずの二人のユーゴスラビアの女性、マリアとヴァレンティーナは、なんとホアンの店から100メートルと離れていない王女様の息のかかったブティックで最先端のファッションに身を固め働いていたのだ。彼女たちも、『カサ・デ・バンブー』に常連と言うほどではないにしろ時折やってきた。
彼女らの言い分を聴いてみると、ホアンはスペインの労働基準法で定められた、ヴァカンス休暇の給与を彼女たちに払わなかった、その上、彼女たちがスペインのレジデンシア(在留許可証と労働許可証)を持っていないことをこれ幸いとばかり、最低賃金以下で働かせ、彼女たちが貰えることになっていた売り上げの6%を支払わなかった……
「あんなヤツ、ズウタイばかりデカくて最低よ…」と、いつもニコニコしているキュートな彼女らがホアンを罵倒するのに圧倒された。彼女らの表情は豹変と呼びたくなるほどキッと変わり、二人で競うようにホアンの“罪状“を並べ立てたのだった。
そして、私が訊きもしないのに、レジデンシアのカードをヒラヒラと揺らしながら見せたのだ。 「スメルジャコフに頼んだら、こんなもの簡単に取れたわよ、これでどこでも働けるわよ」とすっかりイビサに定住する様子だった。
本物の王女様なのかどうかは別にして、スメルジャコフ老嬢が相当なコネをイビサのお役所に持っていることは確かだった。島に過大なお金を落とすミナモトを大切にしなければということだろう。
大男のホアンは、老嬢スメルジャコフ王女様にあっさり負けたのだった。
-…つづく
第29回:“ヒッピーマーケット”~イビサ・テキヤ事情
|