第20回:Hong Kong (9)更新日2006/05/11
サンフランシスコを離れて以来、ずっと探し続けていたものに、これからの旅で使えるカメラがあった。ここまでは写真を撮る時には、エリカのカメラを拝借して撮影していたのだが、やはり自分のカメラを持っていないと、何やら丸腰のガンマンのような心境で心もとない。
もちろんいろんな店をあたってみたのだが、こっちが日本人だとみると吹っかけてくる連中や、明らかに型落ちの品を新品だと偽って提示してくる店など、どうもイマイチ納得できる店が見つけられていなかったのだ。
値段もさすがに香港だけあって、同じ品でも店によって千差万別、それに加えて値下げ交渉によって、その値がどんどん変わっていくという具合で、決めるに決めかねる状態。ただこれだけは言えるのは、カメラに関しては、香港の相場は明らかにサンフランシスコよりも高かったということだ。
こんなことならサンフランシスコで買って来るべきだったと何度思ったか知れないが、そんなことを今更言ってみてももちろん後の祭りである。そんなある日、とうとう納得のいく値段でカメラを売っている店をモンコック・ストリートで見つけた。
ここは香港の秋葉原ともいえる通りで、安値な電気製品やカメラが所狭しとガラスケースの中に陳列されているのだが、そんな中に開店セールを実施している店があったのだ。もちろんこちらとしては文句を言う値ではなかったが、その時思ったのは、こういった偽物を作るのが難しい精密機械などに関しては、下手に露天や裏通りの店で買うよりは、大型量販店に限るという法則は世界共通だということだった。
実際に日本やアメリカはもちろんのこと、東南アジアでも僻地へ行けば行くほど、物価が下がっていくのに反して、こういった偽者製品の作りにくい精密機器の価値は逆に高まる。
長い間探し続けたカメラも手に入れたことだし、今度はマカオへ向かうフェリーに乗ることにした。この街はいろんな意味で興味深いところで、香港とこれだけ地理的に近い場所にあり、また両都市ともに似通った借地としての歴史を持っているにも関わらず、現代の姿は明らかに別の顔を持っている。
観光客にとってのマカオといえば、なんといってもギャンブルなのだが、個人的にはギャンブルに興味があまりないこともあって、少し賭場を覗いてみる程度だったのだが、この街に関しては歩くのにいくら時間があっても足りないと感じたほど。来る前は小さな街なので、それほど時間は必要ないだろうと勝手に想像していたのだが、意外にも香港の繁栄振りとは余りに違う、通り通りに漂う退廃感と、まるでヨーロッパの小さな町に紛れ込んだかのような街並みが素晴らしく、思わず建物の黒ずんだディテールに見入ってしまった。
これは世界中何処へ行っても言えることなのだが、アングロサクソンの支配した地域は、香港のように西洋文化と現地の文化が共存しつつも、そこにはくっきりとラインが引かれ、人に関しても住む場所や人種的混血ぶりにははっきりとしたラインが見える。
それに反してここマカオのようにラテン系の支配地は、そのラインがイマイチはっきりせず、古いヨーロッパ風の建物から中国人そのもののおじさんが顔を出し、中華料理ともポルトガル料理ともいえない独自の料理が食堂に並び、道往く顔にも明らかに西洋人の血が入った現地の顔に度々出会えるのである。
そしてこの街を流れる時の流れは、明らかに生き馬の目を抜くような香港の空気とは違うものがあった。それぞれにユニークな歴史を持ち、ほぼ同時期に中国へと返還されたことを思うと、このニつの街がこれからどういう風に変わっていくのか、非常に興味があるところだ。
-…つづく
第21回:Hong
Kong (10)