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第24回:堀田善衛とテキ屋稼業

更新日2021/08/26

 

マドリッドの朋友たちは揃いも揃って皆読書家だった。日本語に飢えていることがそうさせるのか、スペイン語で本格的な本を読むほどスペイン語の能力がないためなのか、日本のサラリーマン、ビジネスマンに比べ自由な時間、暇があるためか、ともかく皆よく本を読む。日本から送られてきた話題の“新着”本などは争うように回し読みされた。中には『ゴルゴ13』のような劇画もあるにしろ、日本語の本は純文学から司馬遼太郎的な中間小説、そして推理小説、ミステリー、サイエンスフィクションまで幅広く、見境なく読まれていた。オヒツの蔵書もチョッとしたもので、軽い知り合い程度の人まで、本を借りにやってきていた。

マドリッドのユースホステルの名物男、番長も、一度日本に帰り、スペインに永住?するためか帰西してから、本格的テキ屋業に打ち込み出した。彼の蔵書も大変な数に及んでいた。

Goya-01
『ゴヤ』四部作、堀田善衛著

とりわけ、自分が住んでいるスペイン関連の本は人気があったように思う。私も番長の蔵書だったと思うが、オヒツから借りたのかもしれない、堀田善衛(1918-1998)の『ゴヤ』を再読し、感銘を受けた。彼の本は『広場の孤独』しか読んでいなかった私に、日本人が西欧人のゴヤをこれほどまでに蘇らせることに感心させられ、シュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig)やアンリ・トロワイヤ(Henri Troyat)の域に達するのではないかとさえ思ったのを覚えている。 

元々感情の量が多い番長が、「堀田善衛がこんなものを書きやがった」と、貸してくれたのが『スペイン断章』と題した旅行記だった。その中でアンテケーラ(Antequera;アンダルシア州マラガ県)の坂道で日焼けした日本の若者が自転車を押して、坂道を登ってくるのに出逢った時のことを書ている。堀田夫妻はこの本に書かれているようにパリで購入した車をドライブしているのだが、《スペインは自転車旅行に適した国ではない。彼もまた自分の可能性を試しているのであろうか…》とあり、続けて《今の日本の若者たちの中に、自分の可能性を試してみたい、という言い方があることを私も承知していたが、》と続け、《彼らの根性の中に礼節を欠いたものを感じる、中には町の広場で“水中花”や、ペラペラの、それこそフジヤマ、ゲイシャの“風呂敷”などを売ったりして、いるためにいることになってしまっている連中も少なくない。》云々…と書いているのに、番長はカチンときたのだ。

スペイン断章
『スペイン断章』 堀田善衛著

この本が出たのは1978年で、フランコが亡くなってから凡そ3年後だから、私はすでにイビサ島にいた。私が“水中花”を蚤の市で売っていた時、堀田善衛に出会っていないとは思うが、番長や朋友たち、テキ屋稼業を続けていた仲間にとって、堀田善衛の言葉は侮蔑だったのだろう。 

優れた業績を残した人が、こんな軽い旅行記、エッセイを気楽に綴ることが多い。なんせ筆が立つから、彼、彼女の体験が、節穴から観たものであるにしろ、全くありきたりの観光に毛の生えた程度の経験でも面白く読ませる。雑誌、新聞に書き散らすのだ。それが意外と良い収入に繋がるのだろう、自分の専門分野での仕事を汚すような、信憑性、しいては彼、彼女自身の人間性まで疑わせるような雑文を書き散らすことがママある。

実際、先覚者というのか、草分け的な足跡を残した人物は10年後、20年後に頓珍漢な間違いを指摘され、非難にさらされる運命にある。それは一種避けられないことなのだろう。誰しもがマルコ・ポーロ(Marco Polo)やイブン・バットゥータ(Ibn Battuta)にはなれないのだ。

堀田善衛が気軽に書き散らし散文旅行記をもってして、彼の作品論まで演繹できないのは承知の上だが、それにしても堀田善衛は、一体生きた人間に興味を持っているのだろうかと疑わずにいられない。元々歴史家には過去を語り、それが現在という結果に繋がっていると取る安易な見方がある。それが、実際にその国にウゴメキ、生きている人たちへ向ける視線を曇らせるのではないかと思う。その上、常に自分が上位にあり、他の人たちを見下す態度、臭いが鼻につくのだ。

些少なことだが、《スペインは自転車旅行に適した国ではない…》などと平気で書いている。とんでもない、自転車はツールド・フランスに次ぎ、ツールド・イタリア、ツールド・スペインは真夏に行われる大スポーツ祭典で、20日ほどの期間中、うんざりするくらいテレビの実況中継が続く。スペインで自転車競技人口はとてつもない数に及ぶ。このジプシーと間違われかねなかった真っ黒に日焼けした青年は、スペインの村々で敬愛され、歓待されたとことは間違いない。自転車旅行に向いていないのは、天候不順で雨の多い、中部、北部ヨーロッパの方で、スペインは自転車天国に近い国なのだ。

蚤の市でテキ屋稼業をやって何が悪いと開き直る番長以下数人の仲間たちに、私は100%同調する。堀田善衛の言っている《海外で自分の可能性を試してみたい》と思っている日本人に私は出会ったことがない。一人も知らない。私にしても、そんな感覚は全く持っていなかった。スコットランドからスペインに来たのは、多分にというか、そこで出会ったセビリアからの留学生パブロの甘言に乗せられた態で、マドリッドのユースホステルに辿り着いて、スペインの魔力を発見したからだと言い切ってよい。そして、スペインの馬鹿晴れの空、安くて旨い飯、ゆったりとした時間の流れに、こりゃ良い国だ、と長居したに過ぎなかった。自分の可能性を試す?などとはツユほどにも思ったことがない。ただ、スペインの空気が私に合っていただけだと思う。

堀田善衛自身、『スペイン断章』の書き出しを《この国にしばらく住んでみたい、と思い始めたのは随分以前のことだった。何故か?…》と始めているのだ。テキ屋連中、私を含めたバックパッカーと同じだ。キッカケなどは、その後スペインで体現したことに比べると、どうでもいいような小さなことだ。早く言えば、彼にテキ屋稼業を非難する資格はない。そんな資格は誰にもないのだが…。

手元に堀田善衛の本があるので、つい彼を槍玉に挙げてしまったが、現在、20歳のオネーチャンでもネット上に見聞録を書き、旅行作家になる時代だ。1970年代のように、著名人の海外体験記をありがたく拝聴する時代ではない。その当時、海外に出られる人は商社マン、高名な大学への留学生、研究者か外交官とその家族、そして我ら同胞たるバックパッカー組に限られていた。この二者は交わらない。 

私も少しはスペイン語を操れるようになり、商社や銀行、大使館のアテンド的通訳を齧ったことがある。我々にとって別世界の高級住宅地に住み、名所旧跡を自家用車で廻り、有名レストランの食べ歩きをする人種と我々の格差、段差の大きさはとてつもなく大きく開いている。彼らの暮らしぶりは、蚤の市の裏小路のマキシモのピソ暮らしとは隔絶していた。彼らエリート組は、階級のない日本でウサギ小屋に住む中流、上流に属していたのだろうか、中流意識だけは持っていたと思う。階級意識が厳然として残る西ヨーロッパで、彼らが接するのはショーバイ絡みの中上流クラスのエリートだけなのだ。

彼らはと、私自身が嫌う一般論的にまとめてしまうのだが、その国の80%以上を占める労働者、農民、ジプシー、中小のバール、レストラン、店屋で働く人たちのことをほとんど知らないのだ。彼らの体験しているスペインは、私が知るスペインとはまるで別の国だった。それは、それで致し方ないと思う。所詮、人間はすべてを知ることなどできっこないのだから…。

問題は、堀田善衛のようにそれを書くことだ。彼はスペインにウゴメクように生きている下層階級のこと、その中に混ざって生活している日本人のことなどは斬って捨てるだけの存在なのだろう。彼のエッセイで鼻につくのは、彼のエリート意識と自分が属していると思い込んでいるだけの知的階級意識だ。自分を底辺まで下げてスペインを観れば、全く違った思考に繋がるのだが、ないものねだりなのだろう。これは堀田善衛だけではないのだが…。

堀田善衛に、我が同胞とテーブルを並べ、蚤の市で“水中花”を売って貰いたかったとまでは言わないが…。

 

 

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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