第645回:振り子電車旅・国鉄型編 - 特急やくも22号 玉造温泉~岡山 -
木次駅から乗った列車は、約30分後の14時28分に宍道に着く。仕事の余韻がゆっくりと静まっていく。3番のりばから階段を上がって駅舎側の1番のりばに移った。すぐに普通列車の米子行きがやってくる。黄色で、先頭車は平べったい顔。昔の総武線の各駅停車のようで、しかし裾は絞り、行き先表示が片側しかない。
のっぺり顔の115系
奇妙な顔の電車。もとは近郊型の115系電車だ。ローカル線に転用したとき、長編成を短編成に分割したから。運転台付きの先頭車両が不足し、中間車を先頭車に改造したらしい。事情がわかれば愛嬌も感じられる。ワンマン運転で、運転士は若い女性だ。停車間際にちらりと見ればメガネっ娘。かわいい。
メガネっ娘運転士が席を外した隙に運転台を眺める。室内はかなり広かった
車窓の宍道湖は曇り空を映してくすんでいたけれど、女性運転士がアニメの声優のようなかわいい声を聞かせてくれる。たった2駅間の乗車だった。しかしこの声のおかげで仕事の旅から自分の旅へと切り替わった。
玉造温泉駅で降りて黄色い電車を見送る。岡山行きの特急“やくも”が宍道駅に停まらないから普通列車でここまで来た。特急“やくも”は、宍道に停まる列車もある。しかしすべての列車が木次線と接続するわけではない。長大な本線だから、すべての駅の事情をくみ取れない。
玉造温泉駅、温泉最寄り駅にしては控えめな佇まい
乗り換えの手間はあるけれども、接続は良い。しかし今日、次の“やくも”は3分遅れという。本来は5分後に来る予定の特急“やくも22号”が、8分遅れでやってくる。3分の時間差は意外と長く感じて、プラットホームに居合わせたおじさんと「今日は寒いですね」と時候の挨拶をする。温泉からお帰りですか。いえ、この駅で乗り継ぐだけで。それは残念。次回はぜひ。はい。
特急やくもがやってきた。国鉄型381系電車。日本で初めて振り子機構を搭載し、曲線区間の最高速度を引き上げた電車だ。1973年に中央本線の特急“しなの”で使用開始。1978年に紀勢本線の“くろしお”、1982年から“やくも”に採用された。“しなの”、“くろしお”の381系電車は引退し、現在は“やくも”だけ。もう30年以上も走り続けている。
出雲市始発の381系“やくも”入線!
381系は東京に顔を出さなかったから、私はいままで乗る機会がなく、今回が念願の乗車となった。振り子がどんな風に作動するか楽しみだけど、山陰本線区間はカーブが緩く、いままで乗った特急電車とかわらない。実力を発揮する場面は伯備線に入ってからだろう。
少年の頃に読んだ鉄道雑誌で、381系の貫通扉の窓から隣の車両の貫通扉を見るという写真があった。互いの扉の角度が異なり、S字カーブの傾き具合がよくわかる写真だった。しかし、この車両はリフォーム済みのようで、貫通扉の窓が縦に細長い。したがって離れた席から貫通扉窓の見通しが良くない。そのかわりキコキコという金属音が響いている。これは振り子と言うより、古い車両の特徴かもしれない。
リフォーム工事で座席部分が嵩上げされたようだ
松江に停車。メガネっ娘運転士の115系が待避している。こちらは遅れを取り戻すべく、そそくさと走り出す。東松江駅を通過して、次の揖屋駅で運転停車。すれ違いのためだ。相方の益田行き普通列車が先に着いて待っていた。こちらはすぐに発車。遅れを取り戻すためだ。特急らしい速度で走ってくれて気持ちがいい。
安来節の安来に停まり、続いて米子に停まる。晴れてきた。伯耆大山駅から伯備線に入る。車窓左側、大山が頂きまで全部見えた。ただしそれは一瞬だけ。すぐに曇る。灰色の景色が始まり、平野部が終わった。中国山地を乗り越えるべく伯備線の旅が始まる。それも国鉄型の振り子電車。在来線長距離特急だ。いにしえの列車旅ではないか。我ながらマニアックすぎる。それがいい。
伯備線は4年前の夏にサンライズ出雲で通過している。一度見た景色ではある。しかしあのときは下りで、寝台車2階の個室の窓から。今回は上りで座席。見え方が違うと景色も新しく感じる。車窓の両側に山が迫り、曲線とトンネルで切り抜けていく。曲線区間で少し傾きを感じる。急カープを走った気がしないけれど、これが振り子式の効果だろうか。
いただいたおやつ
ぐずつきそうな空模様の下、根雨という名前の駅に停まる。運転停車で、すれ違う相手は“やくも”だった。暗い景色のせいで、根雨という名前に趣を感じる。由来は「根、潤う」だという。干ばつに困った人々が付近の神社で雨乞いをすると、たちまち雨が降り、五穀の根を潤した。その神社が根雨神社と呼ばれた。なるほど、雨の情景が似合う駅だ。
線路は谷間の形に従っている。この谷は日野川。源流は中国山地の奥深く、鳥取県、岡山県、広島県が接する三国山あたり。川も谷も細くなっていく。地図を水の流れる方向へたどっていくと、米子市を貫き美保湾に注ぐ一級河川である。
谷間と盆地が交互に現れる
伯備線の開通は大正時代になってから。この谷に沿って陰陽連絡の線路を築こうという計画は、明治の頃としては正しかったと思う。中国山地を越える鉄道路線の中で、伯備線は唯一電化されている。備中神代駅を通過するとき、貨物列車を追い越した。物流も担っているのだ。もちろん強力な電気機関車が牽いている。
伯備線が電化され、そのおかげで電車特急“やくも”が走り、東京から電車寝台特急サンライズ出雲も走っている。電車はやはり力強い。スイスイと勾配を上がっていく。山越えの険しさは感じられない。私はテーブルをセットし、コーヒーと菓子を置いた。木次でN課長からいただいたプリンとタルト。そういえば昼飯はたまごかけご飯一杯だった。ちょうど小腹が減った頃。心づかいが嬉しい。
新見に停車した。2分遅れている。遅れの理由が、先ほどすれ違ったやくもの遅れだという。山陰本線の遅れは取り戻したものの、こんどは別の理由で遅れた。2分は乗客にとっては些細なことだけど、単線区間だから他の列車に影響が出る。すこしずつ遅れが波及していく。それをどこで食い止めるか。
中国山地を走り抜けた、こちらは高梁川
運転士の回復運転の技量と、列車司令の決断にかかっている。そんな裏事情を想像するだけでドキドキする。ここが振り子電車381系の実力を示すところだ。乗り心地をある程度犠牲にしても遅れを取り戻す。その覚悟ができるかどうか。運転士と、苦情の窓口になる車掌氏に。
何度も書いている振り子式とは、曲線区間に入るとき、車体を曲線の内側に傾ける機構だ。電車は曲線区間に入ると遠心力が働いて、曲線の外側に向けて力が働く。遠心力というヤツだ。だから電車の重心を低くして、振り子作用のチカラで車体の下側を遠心力に委ね、車体の上側を内側に向かわせる。こうすると、車体全体の遠心力が減衰し、線路がある方向への重力が増す。物理の授業で習ったベクトルってやつだ。
山には山の産業がある
車体を傾けて遠心力を打ち消せば脱線しにくい。だから曲線区間で速度を上げられる。私はそう思っていたけれど事情は違うらしい。曲線を通過するだけなら、従来の鉄道車両ももっと速度を上げられる。脱線限界速度はもっと高い。しかし、その速度だと、貨物列車なら荷崩れ、乗客にとっては身体が押しつけられて危険だ。
そこで、荷物や乗客に掛かる遠心力について上限が定められている。曲線半径や線路の傾き(カント)を加味して、荷崩れや乗り心地の限界速度が決められる。振り子機構を搭載することで、乗り心地の遠心力限界を維持できるため、曲線の通過速度を上げられる。
381系電車の振り子機構は機械の所作に頼っているため、遠心力が働かないと動作しない。また、直線区間で振り子機構が働くと、わずかな揺れが増幅するため、一定速度までストッパーが掛かっている。だから、曲線区間に入ると、振り子機構が遅れて働きガクンと揺れる。これが実は不評で、乗り物酔いという副作用を招いた。
381系の登場時は、各座席に航空機のような吐瀉処理袋が用意されていたという。現在の“やくも”は各座席ではなく洗面台に置いてある。古い電車だし、客室もリフォームされている。振り子機構も改良されているかもしれない。私には気にならない揺れ。松江在住の知人は酔うことがあると言っていた。個人差というか、振り子式の調整には苦労していそうだ。
私にとって快適な特急“やくも”は、スイスイと走り続けた。しかし備中高梁駅は3分遅れで発車。ふだんからベストを尽くして走っていれば、それを上回れというのも酷な話だろうか。ここから福線区間になり、もうすれ違い列車の絡みはなくなる。倉敷から山陽本線に合流してスピードアップ。岡山までに1分短縮して、2分遅れで到着した。
たいした遅れではないし、むしろ遅れを回復する運転でスピードを上げていたかもしれない。それでも曲線区間で大きな揺れを感じなかった。国鉄型振り子電車の体験としては極上の乗り心地。ただ、欲を言えば、「こんなに傾いているよ」という場面を目撃したかった。
新見の街を眺める。高梁川も一級河川
伯備線は陰陽の一級河川に沿っている
-…つづく
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