第646回:31年前の続き - 赤穂線 東岡山~相生 -
特急“やくも22号”は、岡山駅に2分遅れ。17時40分に着いた。次に乗る列車は17時48分発の赤穂線だ。大きな駅だし、急いだほうがいいかなと思ったら、到着したホームの反対側から出発するとのこと。助かった。湘南色の115系電車が停まっている。群馬県高崎あたりの115系湘南色と同じだ。この懐かしさ。関東の電車と同じ色を関西で見たから、というだけではない。全国どこでも同じ形式は同じ色という、国鉄時代への懐かしさである。
帰宅ラッシュの時間帯で、たった3両の115系は混雑していた。荷棚に荷物を載せる動作もはばかられる。キャスターバッグの上にザックを載せて、運転席の後ろの隅で小さくなった。西の空に陽が沈みかけている。いつまで明るいだろう。岡山県の今日の日没時刻は18時18分。日没後30分は景色を眺められる、と思っている。
木次から帰路のきっぷ。
伯備、山陽、赤穂、山陽、東海、中央西、篠ノ井線、長野、新幹線経由
今日は大阪で泊まる予定だ。鉄道動画で知る人ぞ知るYさんと会う約束をしている。ならば新幹線で新大阪まで1時間、節約したって山陽本線で2時間半だ。赤穂線経由は遠回り。しかし、ここは赤穂線に乗りたかった。西片上から相生までの32.3キロが未乗区間だからだ。Yさんには事情を話し、遅めの晩飯にしてもらった。同じ趣味だから許していただけた。ありがたい。
赤穂線の電車は岡山駅を始発としているけれども、分岐点は三つめの駅、東岡山だ。乗客は岡山へ通勤している人たちで、山陽本線内も降りていく人が多い。乗ってくる人もいる。岡山から山陽本線上りは1時間に2本程度の閑散区間で、赤穂線もほぼ同じ。岡山県の中心にしては寂しいダイヤだ。
大多羅駅、神社統廃合の歴史
山陽本線方面と赤穂線方面が15分間隔で走れば便利そうだけど、20分空くと5分~10分間隔で続行運転する。だから、所要時間だけ見れば赤穂線回りは30分余計に掛かるとはいえ、大阪までの列車の乗り継ぎを追っていくと15分程度の差になった。なんだかもったいないダイヤだと思う。もっとも、ほとんどの人は新幹線を使うかもしれない。
東岡山駅の先で山陽本線と別れ、赤穂線は右へ緩くカーブする。単線だ。1時間に2本で納得する。大多羅という厳めしい駅。岡山藩が多数の神社を統合したときに、66社を統合して作った大多羅神社があった。その大多羅神社も明治時代に再統合されたため現存せず、跡地が国指定の史跡になっているという。駅の北側の森がそうだろうか。駅は丘の中腹を横断しており、南側は住宅地だ。
西大寺は学問の街でもある
次の西大寺駅は1200年の由緒ある西大寺に由来する。裸祭でも有名だという。その西大寺は駅の南側約1キロ。この西大寺があるから近鉄の駅は近鉄西大寺になったのだろうか。
門前町で栄えた街の歴史として、明治後期に西大寺鉄道という軽便鉄道が岡山市街手前の後楽園まで通じていた。西大寺鉄道はこの先、旭川を渡れず岡山駅に到達できなかった。そして1962(昭和37)年、国鉄赤穂線の全通と引き換えに廃業する。
西大寺駅のプラットホームに向いて、私立中高一貫校の看板が立っている。野球部の甲子園、インターハイ、チアリーディング、ジャパンカップ出場を祝う垂れ幕があり、それより大きく「○○君、祝 東京大学現役合格」と書いてある。個人名を大書された当人は嬉しいか恥ずかしいか。学校としては誇らしいのだろう。文武両道。いいじゃないか。
吉井川を渡る
一級河川の吉井川を渡ると瀬戸内市。市街地が終わり、田畑の区画も大きく、家屋の構えも大きくなる。大富駅からは降車する人ばかりで、次の邑久で空席が増えた。荷物を荷棚に載せて座る。駅周辺は建売住宅だろうか、同じ形の民家が寄り合うところがある。農家が一反ごとに土地を売るとこうなるのかな、という景色である。
車窓を行き交うクルマがすべてヘッドライトを灯している。単線ながら電車は速い。帰宅の足をクルマと競っているようだ。ロングレール化されていないから、ガタンゴトンとレールの継ぎ目が細かい音を響かせる。今となっては懐かしいリズムだ。長船駅で列車交換。相手の車両は213系か。ステンレス車体にブルーの帯。転換クロスシートだ。いいな。長船は刀の産地だったという。ステンレス鋼の電車が似合う駅かもしれない。
西片上付近
岡山からの乗客が半分くらいに減って、私はときどき3人組の美女を眺めていた。聞こえないけれども楽しそうに会話している。彼女たちがひとりずつ降りていき、最後の一人が香登駅で降りた。“かがと”と読む。風雅な駅名で美女が降りたと記憶に残っている。地名は当て字で、元の意味はカカト。崖下の土地という意味だという。
車窓に闇が降りてくる。窓ガラスに自分の顔が映ればゲームオーバー。車窓を楽しむ旅は終わりだ。西片上で、私の向かいに座っていたおばさんが降りた。これでボックスシートを独り占めだ。靴を脱ぎ、足を伸ばした。ここから初乗り区間というのに真っ暗だ。仕方ない。記録は付けるけれども、明るいうちにもう一度乗るリストに入れておこう。
日生駅、すっかり暗くなった
そもそも、なぜ赤穂線の西片上を境に未乗区間ができたか。この話は高校の修学旅行にさかのぼる。どうした経緯か忘れたけれども、岡山と倉敷を巡る旅で、私は鉄道好きの同級生とともに、路面電車などこの地域の鉄道路線を巡った。同和鉱業片上鉄道に乗って、西片上から赤穂線で岡山に戻った。1985年の3月だった。片上鉄道までどうやって来たかは覚えていない。記録帳には下津井電鉄や水島臨海鉄道にも乗っている。どこに泊まったかも覚えていない修学旅行。いま思うと「乗っておいて良かった」と思う路線に乗った。同級生に感謝だ。
備前片上駅でまた列車の交換がある。こんどの対向列車は黄色の113系で、転換クロスシートに改造されていた。車窓は再び闇の中だ。日生駅。オレンジ色の丸い月が見える。山の色と空の色が等しく暗くなり、稜線が溶けるように消えた。
天和駅付近
車窓にしばらく闇が続いた。19時少し前。民家が多くても窓は暗い。カーテンを閉めているか、夕餉の居間に集まり、2階の個室に人がいない。天和という駅で、久しぶりに乗客が降車客より多くなった。この電車は次が終点だけど、そこから先へ乗り継ぐ人々だ。
車窓が明るくなった。播州赤穂。赤穂浪士ゆかりの地。見どころが多そうだ。再訪時に立ち寄ろうか。
岡山から播州赤穂までは115系湘南色
播州赤穂から223系、神戸、大阪、京都へ直通
ここから先は野洲行きの新快速。同じホームの反対側で待っていた。赤穂線はこの駅を境に、西が岡山県の近郊ローカル線、東が神戸・姫路の郊外路線となっている。
行き先の野洲がどこかと言えば、京都の先、近江八幡の手前だ。近畿経済圏を横断する電車である。3両編成の国鉄型電車から、8両のJR型電車へ。乗客が分散した。これから混雑するだろう。トンネルに入ると、車内の灯りを反射して壁が見える。これはつまらない。赤穂線の思い出がトンネルの壁になってしまう。
相生駅到着。赤穂線踏破。暗かった
-…つづく
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