第414回:流行り歌に寄せて No.214 「別れのサンバ」~昭和44年(1969年)
今回、デビュー当時の長谷川きよしが、この曲を歌っている映像を見ることができた。いわゆるプロモーション・ビデオなのだろうか、モノクロの映像。よく見てみると、1曲のうちに、場面が三つ出てくる。最初はいくつかの木立の中で、次は1本の木を背に、そして、最後は嵌め込みレンガの壁を背景に、ギターを抱え弾き語る。
まだトレードマークである長髪ではなくて、髪を七三にきっちりと分けており、シンプルなサングラスをかけている。そして、軟らかそうで優しいヤギ鬚のような顎鬚はすでにこの頃からはやしていたようだ。
この最初のレコードが発売されたのが、長谷川きよしの二十歳の誕生日である昭和44年(1969年)7月13日からわずか12日後のことだから、この映像もまさに二十歳になったばかりの若く、そして憂いのある青年の印象が強い。
柔らかく伸びていく声と、抜群のギターの技術。オーソドックスなガットギターの3フレットにカポタストを置いて、左右の手を存分に駆使して音を作り出してゆく。
彼は12歳でクラシックギターを始め、多くの後進のギタリストを育てた小原佑公に指示し、練習に励んだ。東京教育大学付属盲学校(現・筑波大学付属視覚特別支援学校)の高等部3年生の時、友人の勧めで「第4回石井好子事務所主催シャンソンコンクール」に出場し、4位入賞を果たす。
その入賞がきっかけとなり『銀巴里』などで歌い始め、シンガーソングライターの道を歩き始めた、と資料にはあった。
彼の卒業した、現・筑波大学付属視覚特別支援学校の高等部には、普通科のほかに130年以上の歴史を持つ音楽科という科がある。彼自身が音楽科の卒業かどうかを調べてみたが、はっきりわからなかった。
クラシック、シャンソン、サンバなど、当時からあれだけ多くのジャンルの音楽を自分のものにしているのは、専門の教育を受けている、すなわち音楽科で学んだと考えた方が理解しやすいのだが、さてどうだろうか。
「別れのサンバ」 長谷川きよし:作詞 長谷川きよし:作曲 村井邦彦・編曲 長谷川きよし:歌
なんにも 思わず
涙も 流さず
あなたの 残した
グラスを みつめて一人
みんなわかって いたはずなのに
心の奥の 淋しさを ああ
わかって あげれば
別れも 知らずにすんだの
きっと私を つよく抱く時も
あなたは一人 淋しかったのね
あなたの 愛した
この髪さえ 今は泣いてる
今は泣いてる 今は泣いてる
この曲は、発売当初はあまり話題にもならず、芳しいセールスにはならなかったようだ。しかし、その年の10月に厚生年金会館の大ホールで初リサイタルを行ない、ゲストの渡辺貞夫と共演する。
前回も書いたが、この頃のナベサダはサンバ、ボサノバなどブラジル音楽に熱中していた時期でもあり、日本のジャズを牽引していた。その人が、レコードデビューして3ヵ月足らずの弱冠の青年のリサイタルに出演したのである。
これは長谷川きよしの若い才能の素晴らしさとともに、渡辺貞夫の音楽に対する柔軟な姿勢を表す出来事でもあると思う。
そして、年末あたりから深夜放送をきっかけに『別れのサンバ』は徐々には全国に浸透していき、大きなヒットとなった。この頃は、深夜放送がきっかけとなってヒット曲になるという例が、かなりの数あったと思う。
翌、昭和45年には大阪万博のオープニング・ショーに出演していると資料にはあるが、あの『お祭り広場』で弾き語りを披露したのだろうか。また、この年は日野皓正とのジョイント・コンサートを行なっているから、ナベサダ、ヒノテルとジャズの第一人者と2年連続して共演したことになる。
さて、その2年後の昭和47年には『黒の舟歌』(能吉利人:作詞 桜井順:作曲 実は作詞、作曲は同一人物)を出しているのだが、この曲は、その前にオリジナルを野坂昭如がすでに歌っているのでカヴァー曲である。長谷川の後に加藤登紀子もカヴァーし、長谷川とのデュエット『灰色の瞳』のB面に入れている。
その『黒の舟歌』を歌った野坂昭如、長谷川きよしの男性二人、奇しくも昭和58年の第13回参議院議員選挙で、戦っているのである。全国区制が廃止され、初めて採用された比例代表制で、野坂は第二院クラブから出馬して初当選、一方の長谷川は無党派市民連合(前身は革新自由連合)公認で出馬したが落選している。
もともと根は同じで、似た考えを持った二つのグループが、首脳陣の小さな諍いなどから分かれて選挙戦を戦ったことにより、得票数を伸ばすことができずに残念な結果となった。
長谷川きよしは、元革新自由連合の代表・中山千夏とは同じ7月13日生まれ(中山の方が1年先輩)であり、たいへん仲が良い。6年前、平成28年(2016年)のお互いの誕生日に「『7月13日に生まれて』ジョイント・ライブ・コンサート」というライブアルバムを出しているなど、彼は精力的に活動を続けている。
ただ、彼のオフィシャルサイトを見ると、昨年予定されていた多くのコンサートが、コロナ禍により軒並み中止になっている。今年72歳、6回目の年男を迎えるが、元気にステージに立つ彼の姿が見られることを、多くのファンたちはずっと待ち続けているに違いない。「もういくつ寝ると」その日が訪れるのだろうか。
-…つづく
第415回:流行り歌に寄せて No.215 「真夜中のギター」~昭和44年(1969年)
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