第372回:流行り歌に寄せて No.177 「ゆうべの秘密」~昭和43年(1968年)
小川知子の単独でのデビュー曲でありながら、いきなりオリコン・チャートの1位となり、53万枚近くをセールスした大変なヒット曲となった。それにも関わらず、この曲の作者については、驚くほど世間には知られていないのである。
作曲の中洲朗。かつて岡崎友紀が所属していた事務所の社長、長沢ローの別ネームだということが書かれているものがあるが、その長沢という人についても触れたものはほとんどない。
作詞のタマイチコにいたっては、まったくその経歴がわからない。ヒット・チャートの1位に上り詰めた曲のプロの作者が、これだけ謎ばかりなことは私としては初めてである。
さらに、このシングルのB面は『あなたに夢中なの』であるが、当時かなり売れていた有馬三恵子・鈴木淳夫妻の手による曲をB面に回してまで(その後、この夫妻の小川への提供曲は多い)、今まで実績のない作者の曲をA面に持ってきた東芝レコードの決断は凄いと思う。
中洲朗と長沢ローが同一人物だとしてたどってみると、タマイチコとのコンビで作られた曲は何曲かある。小川へはデビュー3曲目の『誰もいない処で』。スポ根テレビドラマ『サインはV』のキャプテン、松原かおり役の岸ユキの『誰もいない湖』。野口五郎の同期、ヒットには恵まれなかったが、歌唱力は抜群だった飛鳥まゆりの『太陽の季節』など。
また、岡崎友紀のデビュー・シングル『しあわせの涙』は、『週刊明星』で詞を公募し、後藤やす子という人が応募してきたものが採用されたが、タマイチコが補作詞、作曲は長沢ローとなっている(この曲、私は個人的にはとても好きな曲である)。
「ゆうべの秘密」 タマイチコ:作詞 中洲朗:作曲 森岡賢一郎:編曲 小川知子:歌
ゆうべのことは もう聞かないで
あなたにあげた わたしの秘密
幸せすぎて 幸せすぎて
あなたにすべてを かけたのだから
ゆうべのことは もう聞かないで
このままそっと 抱いててほしい
ゆうべのことは もう云わないで
甘えていじわる しただけなのよ
幸せなのに 涙がでるの
あなたにすべてを かけたのだから
ゆうべのことは もう云わないで
やさしくそっと 見つめてほしい
幸せだから 何だかこわい
あなたにすべてを かけたのだから
ゆうべのように もう泣かないわ
今夜もそっと 愛してほしい
小川知子、18歳の最後にレコーディングをし、19歳になったばかりに発売された曲である。冒頭に“単独での”デビュー曲と書いたが、実は昭和41年8月に、『霧の中の少女』で有名な久保浩とのデュエット曲『恋旅行』をビクターレコードからリリースしているからである。
彼女は、昭和35年、小学校5年生の時に東宝児童劇団に入り、同年日本テレビの『ママちょっと来て』で子役デビューを果たした。昭和40年には東映にスカウトされ(同期にに大原麗子がいる)映画界に入り、色男俳優、高城丈二の『悪魔のようなすてきな奴』に初出演した。
しかし、青春映画に出演することを条件に東映に入社したにも関わらず、そのような作品はなく、エロ路線などに出演させられそうになったとして、18歳の小川は2年期間を残しているものの、きっぱりと契約を解消した。当時、契約違反、そしていきなりすぐに東芝から歌手デビューということで、マスコミからは大いに叩かれたらしい。
この若さで、本当に気丈な人である。何か凛とした華がある。東京都北区立王子小学校に在学中は、音楽家の羽田健太郎と6年間同級生で、高学年になってからは毎学年二人で学級委員を務めたという。小川は、その著書の中で「私の初恋の相手は、羽田健太郎君」と語っている。
交際のあったレーサーの福澤幸雄が、テスト中に死亡した時の彼女の悲痛そのものの姿は、50年経った今でも、よく覚えている。お洒落でかっこいい人々の、派手な生活の中での突然死。当時中学1年生だった私の目にはそのように映り、同情のようなものは生まれなかった。
いつも闘っている人、という印象を持つ小川も今年古稀となったが、ここ何年か自身のブログも更新されておらず、近況が心配ではある。
-…つづく
第373回:流行り歌に寄せて No.178 「星のプリンス」「落ち葉の物語」「銀河のロマンス」〜昭和43年(1968年)
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