第119回:錆びた釘の味
更新日2008/05/08
ときには殊勝な気持ちになってウイスキーの話を書こうと思ったりする。少し前にもそんなことをしたなと思いバックナンバーを見てみると、少しどころか、もう4年も前のことだったのだ。まつわる音楽の話など、お酒の周辺のことはちょくちょく書いているのだが、とりあえずウイスキー屋を自認している身としては、あまりに体たらくだと言われそうだ。
しかも、今回はウイスキーベースのリキュールを使ったカクテルの話だから、本流ではないとも言えるが、ウイスキーの味について別の角度から考えてみようという内容なので、酒好きの方には、よろしければお付き合いを願いたいと思う。
今回書いてみたいのは、スコッチウイスキー・ベースの「ラスティ・ネイル」(Rusty Nail)というカクテルの話だ。ラスティ・ネイルはそのまま訳すと「錆びた釘」で、これは濃い琥珀色をしたこのカクテルの色を表している。また、英俗語で「古めかしい飲み物」という意味もあるらしい。
現在最も一般的なレシピは、ロック・オールド・ファッションド・グラス(いわゆるロックグラス)に2、3個の氷を入れ、スコッチウイスキーを40ml、ドランブイを20ml注いで、軽くステアをする、というもの。
「ドランブイ」(Drambuie)は、ゲール語で「心を満たす酒」という意味の、スコットランドで作られているリキュールだ。15年熟成のものを中心とした40種類のモルトウイスキーに、ヒースの花に集まる蜂からとった蜂蜜、そして各種のハーブをブレンドして作られる。
このリキュールの謂れが、なかなか興味深い。ドランブイは元来スコットランド王朝に古くからその製法が伝えられていた。チャールズ・エドワード・ステュアート(チャールズ三世)が戦に敗れてスカイ島に逃げ延びたとき、彼を庇護したのがジョン・マッキノンという人物だった。
その褒美と言うことで、ステュアートがマッキノンに王家伝来のドランブイの製法を授けた。それが1745年のことで、その後代々マッキノン家はスカイ島の地で、その家族内だけで製造を行なってきたが、約160年後の1906年に、このリキュールを一般市場で販売することになった。
とにかく甘いリキュールで、蜂蜜の他に各種ハーブも入っているため、スコットランド本国では飲酒として楽しむほかに、風邪をひいたときにレモンと一緒に飲んだり(ホットドラムというカクテルはここから来ている)、滋養強壮のために飲んだりしているらしい。
さて、件のラスティ・ネイル、バーによって配合もさることながら、使うスコッチウイスキーが違っているため、まったく違う味のカクテルになる。私は今まで自由が丘のバーのいくつかでこのカクテルを注文してみた。
モルトの品揃えで他店を圧倒しているA店では、今から8年半ほど前、私の店が開店した頃お邪魔したとき、当時の著名なバーテンダーがジョニー・ウオーカー・ブラックラベルで作ってくださった。バランスの良さでは秀逸のジョニ黒に、ドランブイが程よく溶け込んで「旨い!」と口に出したくなる上質なカクテルに仕上がっていた。
季節のフルーツのカクテルなどが有名、大人の落ち着きを持った、どちらかと言うと銀座のバーに近い雰囲気を持つB店、5年ほど前に伺ったとき、何とガツン系モルトのタリスカーを持ち出された。初め意外な取り合わせに少し驚いたが、口に含むと実によく合うのである。今考えてみると、同郷のスコッチとリキュールだったのだ。その辺りも、充分に考慮されているのだろう。
近くで懇意にしていただいているC店。何回かお邪魔しているが、最近初めてラスティ・ネイルをオーダーしてみた。ここのバーテンダーは私のことをよくご存じなので、「何かウイスキーのご希望はありますか?」と聞いてくださった。「いつもそちらが作られているもので」とお願いすると、彼はフェイマス・グラウスを使われた。
スコッチの味を前に出し、ドランブイをそのスコッチの旨さを引き出す地味めなバイプレイヤーとして起用している。私が今までに触れたことのない、このカクテルの解釈だった。本当に旨かった、そして大きな勉強になった。
私の店では、店名のリズモアを使っている。手前味噌で甚だ恐縮だが、この酒もラスティ・ネイルにはよくマッチするスコッチだと思っている。リズモアは穏やかで甘みが旨い酒なので、よく使われるレシピとは異なり、リズモア45ml、ドランブイ15mlの3:1の割合の方がよいと思い、特別なご指定がない限り、この配合でお出ししている。
これからも、いろいろな店でラスティ・ネイルを味わってみたい。このカクテルには、味そのものとともに、その店のスコッチウイスキーに対する考え方のようなものが窺えることもあり、2倍に楽しい思いがする。
チャールズ三世は、その生涯を通じ悲劇の王子して知られているが、3世紀を隔てて私のような酒飲みに秘かな楽しみを与えてくれた人物として、当時のジャコバイトのように、愛情を込めてこう呼びたいと思う。
"Bonnie Prince Charlie!"(いとしのチャールズ王子!)
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