第908回:器用と貧乏の関係性は?
もうかれこれ45年も一緒に暮らしていて、ウチのダンナさんに驚かされることがまだまだあります。ともかく何でもかんでも自分で作り、あるいは修理するのです。家のことならほとんど全部、車もトランスミッションとフロントグラスの取り替え以外すべてこなしたのではないかしら。
私たちの家はモジュラーホームで、半分に切った家を超大型のトレーラーで運んできて、ここでくっ付けて一つにしたと言ういかにもアメリカ的な、俗にダブルワイドと呼ばれている安物の住宅です。偏見だけでなく実際にダブルワイドに住んでいると言えば、プアーホワイトか黒人、ヒスパニック並みの低所得者だとみなされます。
そんな私たちの家、小屋と呼ぶべきでしょうか、を主に私の要望で、ダンナさんが窓を12ヵ所、スライディングドア2ヵ所、いずれも前のものより盛大に大きくして取り付けたのです。一挙に家の中が明るくなり、田舎の飛行場ターミナルみたいな窓だらけの家に変身したのです。
家の中の電気の配線はもちろん、水道(私たちの家に水道は来ていませんから、井戸水を汲み上げ、地下の貯水槽に溜め、それを電動ポンプで水圧をかけ、台所や洗面所、お風呂で蛇口を捻ればジャーと水とお湯が出てくるようになっています)、そして冬の暖房、夏の冷房(スワンプクーラーと呼ばれている、水の気化熱を利用した、高温で乾燥した地域ならではのエアコンです)と、何から何まで自分で設置、修理します。
玄関の大きなスライディングドアを取り替える時、隣人のスティーブが手助けに来てくれたし、異常に深い井戸から旧式のポンプを引き上げ、電動ポンプと新しいパイプと一緒に降ろす時も隣りのケンが来てくれました。森に住んでいると、街中にいれば電話一本で、水道屋、建具屋、電気屋さんらが来てくれますが、こんなところまで来てくれる職人はまずいませんし、いたとしてもとんでもない金額を請求してきます。この森に住む人たちは、自給自足とまではいきませんが、家一軒建てるくらいはお茶の子さいさいの強者揃いなのです。おまけにお互いに助け合うのです。
「俺なんか、彼らに比べれば三級クラスの便利屋だよ」と謙遜でなくウチのダンナさんは言っています。この台地に住む人たちは自分の家を建てるくらい当たり前、トラクター、車の修理は玄人肌の人ばかりです。例外は都会人でここの空気にアテられて定年後に越してきた金持ち連中です。彼らはこの台地におよそ不似合いな近代的で大きな家を建築会社に建てさせ、週末、夏、狩猟シーズンだけ過ごしています。
以前、統計に現れない経済効率として、何でも作る、建てる、する西欧人のことを書きましたが、それに比べ日本人の男どもは金槌で釘を真っ直ぐに打てないのではないかしら。それどころか、ドライバーや金槌、ノコギリを手にしたことも半世紀くらいないのではないかしら。私たちの友人で例外中の例外は家具職人で、彼は自分の家を建て、工房も造り、凝りに凝った内装、ドアのフレームまで自作した人がいます。彼など、日本では希少価値でしょうね。
日本ではウチのダンナさんのような人を“器用貧乏”と呼ぶようですが、ダンナさんに言わせれば逆で、貧乏だったから、何でも自分の手でしなければならず、必要に迫られて器用にならざるを得なかった…のだそうです。でも彼と同じくらいか、彼以上に貧乏育ちの友達らが、一向に手仕事をこなさず、全く器用でない例をたくさん見ます。これは鶏が先か、卵が先かの問答なのかしら。
最初から何でも自分でやるという心構えを持った人が、こんな高原台地に移り住むのですから、ここに古くから住む人たちは揃いも揃って器用なのは当然の理なんでしょうね。でも、皆さん大きな家を自分で建て、新車、キャンピングトレーラーなどなどを持ち、ウチよりも遥かに豊かそうに見えます。
結果、どうも器用と貧乏とは関係がなさそうです…
-…つづく
第909回:明日は我が身、介護は身に迫る問題です
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